04/「……参ったなぁ」

 それを一言で例えるなら樹だ。大木から切り出したままの丸太を継ぎ接ぎに拵えた人形のようなものが、ラーフェンの前に立ちはだかっていた。

 樹皮そのままの質感の肌に、頭部にこんもりと無数の葉が茂り、咲き乱れる薄桃色の花の周りには小鳥さえ飛んでいる。正面のうろのようなくぼみに輝く橙色の瞳は、さながら熟れた果実のよう。

 根を束ねたような太い脚が一歩踏み出せば、ズゥン……と重い地響きが轟いた。


 ひとまずデカい。本来はダンジョンの挑戦者が最後の戦闘を行う、最上階の「挑戦者の間」の高い天井すれすれの巨躯を見上げながら、一瞬魔神ですら呆けてしまった。

 ――そもそもこの身体でどうやってダンジョン内の他の部屋や通路を歩けるんだ?

 もっと簡素な姿に変身したり、大きさを調整できるのだろうか。つまりラーフェンと同じに。


 しかし背後の夫人の容貌を鑑みるに、……この二人の血を継ぐソルマは一体どんな姿をした魔物なのだろう。想像するのが少し怖い。


「用意はいいか、挑戦者……我はこのグラズベル迷宮の主〈魔帝樹アスフォデルス〉なり!」

「これなるは稲妻を纏う者インプンドゥル。お手柔らかに頼みます」

「良し! かかって来いッ!!」


 彼の言葉に応えるようにラーフェンは飛翔した。個人的には屋外のほうがやりやすいのだが、あまり贅沢は言っていられない。

 それにサルバトリアスの絶品の血をいただいた直後である、これほどの快調は今までなかったと言えるほど全身に魔力が漲っていて、もはや加減が難しいほどだ。

 目前の巨樹の魔神とも、今なら充分にやりあえる。


 咆哮で雷を呼ぶ。縦横無尽に這わせた魔力の糸を伝って創り上げられた雷撃の網が、サルバトリアスを包み込んで自由を奪う。

 何しろ樹と鳥だ、もともと機動力だけならこちらのほうが上だろう。


「ふんッ! なかなかやるな!!」


 如何に強力そうな巨大な拳も、その一撃を受けさえしなければ怖くはない――


「あなた! 彼、こないだソルマの手を握ってたわよ!」

「――何?」


 そこで空気が変わった。


 味方だと思っていたメディ夫人が突然、背後から投げつけてきた問題発言リークに、巨樹の帝王はぴたりと止まる。

 直後――彼の枝という枝が音が鳴るほど激しく逆立ち、葉という葉が反り返った。電網はいとも簡単に破れてちりぢりに消えていく。

 心なしか、サルバトリアスの身体が戦闘開始直後よりひと回り膨らんだような……。


「貴様……俺の娘に……邪な感情を……!?」

「えっあの今はそういう話をしている時では……、いやメディさんは急に何を言い出すんですか!?」

「ごめんなさいね。でも……私、このひとの戦う姿が好きで結婚したから」


 激憤する夫を見つめるメディ=ヘリン夫人は、まさしく「うっとり」な表情で続けた。


「たまには血沸き肉躍る本気のをしてほしいんだもの……♪」


 そんな理由で他人を人身御供に出さないでほしい。

 しかしラーフェンが突っ込みを入れるより先に帝王の剛腕が炸裂し、魔鳥は軽々と吹き飛ばされて一秒後には壁へめり込むことになった。


 ああ、長いこと養生していた意味が今、無に帰した。



 結論から言うと、死ななくてよかった。

 もともとそう簡単に死ねるような身体構造をしていないとはいえ、サルバトリアスほどの魔力量で打ち砕かれたら、霊体が再構成不可能なまでに粉微塵にされるおそれは充分にあった。

 それに一応は事前に提供された彼の血液によってラーフェンもかなり底上げされていたので、それなりの健闘ができたと思う。とりあえず夫人にご満足いただけた程度には。


 さんざんやりあって満足したのか、終わるころにはサルバトリアスの機嫌も治っていた。

 ラーフェンは立ち上がれないくらいズタボロにされたが。


「はっはっは、なかなか骨があるな! 気に入った!! 三階でも四階でも好きなほうに住んでいいぞ!!!」

「あ……ありがとうございます……」

「ただしソルマには近づくなよ!」

「もーあなたったら、それじゃソルマはいつまでたっても結婚できないわよ」

「せんでいいッ! 最低でも相手は俺より強い男でなければならん!!」


 無理難題。


 そんな会話の間に応急手当が済み、といってもまだ歩くのもままならないので、夫人の触手に包まれて運ばれる。だいぶ情けない光景だが、恐らく拾われた初日も似たような恰好だったろう。

 道中すれ違ったダンジョンの住民たちも別に驚いたりせず、普通に挨拶された。たぶんここではこれが日常茶飯事なのだ。


 大家一家の部屋に戻って再び寝かされていると「ただいまー」と明るい声が聞こえた。

 それではっとして跳ね起きる。心臓が早鐘を打ち始める。

 どうしたらいいのかわからないまま、重くて動かせない身体を、せめてと思ってなんとか人型に変えた。……このほうが、本来の姿よりはわずかに魔眼の効力が落ちるからだ。


 やがて扉が開いて、少女が顔を出した。


 側頭部に大きな赤黒い角はあったが、背中に触手はなさそうだ。それに巨大な樹でもない。人に近い母親寄りの姿をしているが、耳からは鮮やかな花が咲いている。

 父親そっくりの大きな橙色の瞳をくりくりさせながら、彼女はラーフェンを見てにこりと笑った。


「元気になったんですね! 改めまして、ソルマです」


 眼が合っても、こんなに長く見つめていても、彼女の態度はおかしくならない。

 彼女のほうが魔力量が多いのだ。少なくとも今は、戦い疲れてまたからっきしになったラーフェンには、ソルマを魅了するだけの余力が残っていない。


 安堵が塊で降ってきて、ラーフェンは思わず項垂れる。


「……参ったなぁ」

「え、ど、どうかしました? ……あっ、きっと私の顔が予想と違ったんだ……どうしよ、そんなに美人じゃないから期待しないでって、先に言えば良かった……」

「ああいやそうじゃなくてね」


 美醜なんて、どうでもいい。先にあどけない純真をもらったから、魔神の心が動いたとしたら、惹かれた理由は間違いなくそこにあった。

 魅了の魔眼で眼差さなくていい相手に、やっと出逢えたのだ。


 だから、だからこそ、ラーフェンは彼女に聞こえないように小さな声で呟いた。


「……僕が彼より強くなったら、この眼が君に届いてしまうじゃないか」



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