03/「ッこれは……美味い……!」
ソルマの問いはある意味もっともだ。自分で眼球を四回も抉ってくれてやるなんて、いくら霊属でも正気の沙汰ではない。
今だってこんなにも弱って回復に時間がかかっているのは、異界渡りの疲労にその負傷が重なっているからだ。どちらか一方だけならこんなに長く伏せることはなかったろう。
それでもラーフェンは答える。
「違うよ」と、包帯に触れていた手でそのまま目許を隠すようにしながら。
「僕らは子を持たないが、それでも喩えるならあの子は娘のようなものだ。かわいいし、守ってやりたいとも思う。サルバトリアスさんが君を心底大事に想っているようにね。
だから好意の対象であることは否定しないが、君が問うような性愛とは異なる」
「……ラーフェンさんて、生真面目だってよく言われません?」
「意外と堅物、とは言われるかな……」
厳密にはそれも違う、と自分では思っているのだが。
何しろインプンドゥルには、眼が合うだけで相手を破滅的な恋に
まあそれは身持ちの話で、性格について述べられるなら何とも言えないか。
仕組みとしては視線を介した魔力の放射なので、相手の魔力量が多いほど効果は低くなるが、インプンドゥルは中程度の格の魔神だ。生物も含めれば自身より弱い相手のほうがはるかに多い。
平たく言って周囲にいつも不幸と混乱をもたらしてきた。己の一挙一動が、否が応にも周囲に少なからぬ影響を及ぼすものだから、あれこれ考えて立ち振舞うようになったのも自然の摂理というものだろう。
「ソルマ。……眼もだいぶ
「えっ、なんでお別れみたいな空気になるんですか!?」
「君もそろそろ学校の長期休暇が終わるってメディさんに聞いたから。入れ違いになって言いそびれたら失礼だと思ってね」
「そうじゃなくてっ」
急にソルマの魔力がぴんと張りつめた。偉大な迷宮の主と似た気配に、インプンドゥルの背筋も一瞬ぞわりとけば立つ。
「ダメです、きちんと治るまでいてください」
「……いや、それだと迷惑が……それにもうずいぶん世話になってしまってるし、これ以上は」
「そんなこと気にしなくていいんですっ! ラーフェンさんを拾ってきたのはお母さんだし、もしそれがダメならそもそも最初にお父さんがNG出してますから! ……そうじゃなくて」
そしてまた、ゆるゆる魔力の強張りが解けて、毛布のような温もりがラーフェンを包み込んだ。
「……ちゃんと眼、治して、私……私たちの顔、見てってくれなきゃ。もしまたどこかで逢えたときに、お互いがわからなくてすれ違っちゃったりしたら、嫌ですもん」
それは明らかに方便だ。互いに少なからぬ魔力を持つ者同士、それぞれの気配の質や癖さえ覚えていれば、顔がわからなくたって再会はできる。
だから本音はそうじゃない、だとすれば、このまとわりつくような感覚は、ラーフェンを引き留めようとする彼女の焦りが表れたもの。
いかにも箱入りのお嬢さんらしい稚いやり方をする。この眼の凶悪さを知らないから、そんな軽率な言葉を口にできる。
なぜだか魔神はそれにひどく癒された。例えるならずっと昔から心の底に空いていた、自分でも気にも留めていなかった小さなひび割れを、何かで塞いでもらったようだった。
そこから漏れ出続けていた何かが、ぴたりと堰き止められたような心地がしたのだ。
気付けば彼女の手を握って、頷いていた。わかったよ、と。
そんなわけで全快するまでしっかり居ついてしまったラーフェンを待ち受けていたのは、サルバトリアスとの試合であった。
半ば冗談だと思っていた「治ったら手合わせをしよう」が実現してしまったのである。
成績次第ではひとまずの住まいを確保できるありがたい話ではあるが、さしもの魔神もさすがに緊張する。
やり合う前から力量差は明白。正面からやり合ってもまず勝てない相手に、ろくな策もなく身一つで挑むなど、賢しらな彼なら今まで避けてきた行いだ。
ちなみにその日、ソルマは不在だった。休暇は終わったらしい。
それでも幸いラーフェンには頼もしい味方がいた。メディ=ヘリンである。
初めて見た夫人の容姿は、声から感じていた印象とさほど変わらない、おっとりした華奢な女性だった。頭部に一対のねじれた赤黒い大角を備え、背中から無数の黒々とした触手が生えて絶えず蠢いている……という二点だけが想像の斜め上だが、それ以外は概ね予想どおりといったところだ。
ともかくメディはラーフェンに輸血パックを手渡して言った。
「さあ、これを飲んで頑張って。今日はいつものと一味違うわよ」
「? ありがとうございます」
言われるがままとりあえずひと口飲んでみて、ラーフェンに電撃が走った。
「ッこれは……美味い……! 凄まじい量の魔力が凝縮されてこんなに濃厚なのに、まろやかなのど越し……それに驚くほど爽やかな後味だ……一体これは誰の血ですか?」
「うちで一番強い男……つまり夫のサルバトリアスよ」
「えッ!?」
これから戦う相手なのに医療用品をいただいてしまってよかったのか、と困惑するラーフェンだが、気持ちとは裏腹に啜る口は止まらなかった。
今まで飲んでいた血はなんだったのかと思うほど、一味どころではなくまるきり違う。身体の隅々まで熱がゆき渡り、途中で我慢ならなくなって本来の姿――漆黒の鳥に戻って、パックが空になるまで夢中で吸い尽くした。
食事を終えて恍惚状態のラーフェンの背を、夫人の触手が励ますように撫でる。
「本気を出すのよ。用意はいいわね?」
「ええ……ありがとう、こんな気分は初めてです」
「――それが貴様の真の姿か!?」
聞き慣れた大音声に振り向いた魔鳥の眼に、巨大な影が映った。
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