第4話
「久しぶり」
夫の声が電話の向こうでそう言った。
「二ヵ月ぶりぐらい?」
「今日は?」
「西生田」
電話の向こうで生唾を呑む音がして、ため息がスピーカーに当たってごわついた音を吐いた。
「手術は無事終了?」
「…………知ってたのか?」
「何を?」
「俺の命を救えば、もう二度と会えなくなるって事」
亜美は咳払いして、電話ボックスの向こうの街路樹を見つめた。
「………ペースメーカーはどう?」
「……とても、快調だよ。快調すぎて、胸がひどく痛むぐらいだ」
「そう、よかった。これで………離婚できるね、私達」
彼の心臓が機械によって支えられ、生きてゆくことが出来る。喜ぶべきことだし、亜美にもそれ以上の幸福は思いつかない。
だが、結果的にそれはもう二度と夫と触れ合えなくなることを意味していた。世界はあまりにも残酷だった。くそったれみたいな体質で見つけた唯一の生きる希望が、皮肉にも自分の体質の所為で消えてしまう。
死は亜美にとって残された最後の希望であり、最愛の友人であった。死は彼女が愛する人を見つけ、それでも幸福に生きていたことの証明のような気がした。愛のために死ぬことが、このくそったれの運命に対する復讐のような気がしてならなかった。
「俺さ、もうお前と会えないって分かった時、生きてくことが怖くなった。亜美と会えないなら死んだ方がましだって本気で思った。けどさ、折角お前に助けてもらった命だろ? だから、そう簡単に捨てるわけにもいかないし……………こういう言葉知ってるか?愛って言うのは相手の為に死ぬことじゃない。誰かの為に自分を愛することだ、って」
黙って聞いていた亜美は思わず吹き出す。
「なんだよ、笑うなよ。俺は真剣なんだぞ」
「ごめん、ごめん。今日は随分ロマンチックだなって」
「そうだ、ロマンチックだよ。俺はふと思ったんだ。俺が死んだら、きっと亜美は悲しむだろうなぁって………」
「どうかな、」
「会えないってのは少々辛いけどさ、どこかで生きてるって分かってたらそこまで寂しくもならないだろう?だから俺は、亜美のために生きることにしたよ。精一杯な、」
言葉に詰まった。返答の言葉に迷っている内に夫は続けて言った。
「ありがとう。君には二度も命を救われた。本当に、感謝しても、しきれない……」
「………長い二年だった」
「あっという間だったけどね」
「もう、会えないけど……」
「会えなくても別に死ぬわけじゃない。これから別々の人生が続くだけ。辛いけど、悲劇じゃない」
「ありがとう。私と出会ってくれて」
「こちらこそ。で、これからの予定はあんの?」
「大丈夫。私も私なりにやることがあるから」
「なら、安心だよ」
「じゃあ、さようなら」
「もう一度くらいキスしたかったな」
「ばーか」
「………じゃあ、元気で」
「お互いに。さよなら」
「さよなら」
亜美は受話器を置くと、電話ボックスから出た。
大通りを渡す横断歩道を一歩一歩、ゆっくりと登り、中ほどで立ち止まった。欄干から身を乗り出すと、眼下を無数の車が一つの方向に向かって流れていくのが見えた。風が、前髪を軽く書き上げた。
亜美は車の往来から視線を移し、先ほどの電話ボックスを見下ろした。まだ、電灯は生きていて冷たい光でボックス内を寂しく照らしている。
肺の奥からため息が出て、肩の力が抜けた。欄干から離した手で、ポケットを探って封筒に入った紙の束を取り出した。
それは老人が妻と子に書き残した手紙だった。しばらくそれを見つめた後、亜美は再び歩みを戻し、横断歩道を渡って行った。
おわり
機械破壊者たち 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339
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