真夜中に溶けていく

南雲 皋

息を殺して家を出る

 透明人間に、なれた気がした。


 月明かりと僅かな街灯だけが、コンクリートの地面を照らす。

 寝静まった住宅街。虫の声、風が草木を揺らす音。

 朝も昼間も関係なく、わたしはきっと透明人間なのだけれど、それでも陽が落ちて、大半の人間が家の中で過ごす真夜中は特別だった。


 二十四時間営業の建物には近付かない。

 眩しすぎる人工の光に照らされて、牙を剥く獣に飲み込まれてしまうから。

 せっかく気配を消して、何もかもから逃げ続けているのに、獣の前ではわたしは透明人間になれないのだ。

 家でも、外でも、それは変わらない。


 息を潜めて過ごす毎日。

 時計の針が日付を跨ぐ頃、わたしはようやく呼吸ができる。

 澄んだ空気を肺一杯に吸い込んで、煙草の煙や澱んだ空気に満たされた体内を浄化する。

 どうしたってこの身体が清められることはないと解っているけれど、それでも、綺麗なものに触れたかった。

 少し冷ややかな鋭い空気が、ぐずぐずの表面を引き裂いて、つるりとした中身を露わにしてくれる気がして。


 誰もいない公園。切れかけの街灯がチラついて、わたしの身体に陰影を作り出す。

 蛾が飛び回る。わたしの身体に蛾の影が映り込む。わたしの内に、蛾が。

 息を吸う。息を吐く。わたしの内に、蛾が。

 ほうと溜息を吐いた時、街灯が消えた。チカチカと目の中に光の球が浮かぶ。月の光がうっすらと、木々の隙間から差し込んでいる。

 蛾はもう、いない。

 設置された時計の針は見えないが、時を刻む音が静けさの中に微かに響く。

 夜明けまで、あと何回。カチリカチリと時を刻む。

 わたしに夜明けは訪れなくとも、太陽は昇る。夜は明ける。時は戻らないし、過去も変わらずわたしは歳を重ねていく。

 死を選べば救われると、そう思えないわたしの弱さは、どうにもならないまま真夜中に溶けていった。

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真夜中に溶けていく 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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