【特別ショート・ストーリー】丸の内で就職したら、幽霊物件担当でした。

竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸

【特別SS】視点と焦点


「――コウが来れなくて残念だったね。まさか急に会社から呼び出されるなんて」

 ここは、世界屈指のホテルチェーン、ウェズリーガーデンホテルのロビーラウンジ。

 みおと同席しているのは、ウェズリーグループの御曹司、リアム・ウェズリーだ。

 容姿端麗なリアムは、とにかく目立つ。着くやいなやひっきりなしに周囲から視線を浴び、澪は早くも憔悴していた。

「本当に。こうくんがいたらどんなに気楽だったか」

「気楽って?」

「……な、なんでもないです」

 落ち着かない澪を他所よそに、リアムは美しい所作でカップを口に運ぶ。しかし、そのとき、ふいにリアムの携帯が着信を知らせた。

 リアムはディスプレイを見ると肩をすくめる。

「ミオ、ごめん。少し待っていてくれる?」

「はい。お気遣いなく……!」

 リアムは申し訳なさそうにロビーラウンジを出ていき、残された澪は心細さに小さく溜め息をついた。

 リアムがいなくなってもなお、周囲からの視線は相変わらず痛い。

 さしずめ、あの美しい青年と同席している地味な女は何者だろうかといったところか。

 気にしない素振りで紅茶を飲むけれど、味わう余裕はない。

 ふと思い出すのは、リアムが出ていたパリコレの映像。澪は改めて、人の視線に慣れるというのは凄いことだと実感した。

 すると、今度は澪の携帯が嗚り響いた。

 慌てて取り出すと、会社のメールアプリに新着が一件。送り主は「経理部」。

 ざっと読むと、どうやら今朝出した経費の申請書類に不備があったらしい。すぐに修正内容を返信しなければ、振り込みが一ヶ月遅れるとある。

「は!? こ、困る!」

 澪は慌てて返信の文面を作った。

 そのとき、リアムが戻ってきたのだろう、正面の椅子がカタンと音を立てる。

「リアム、すみません……! 今すぐメールを返さなきゃお金が……!」

 視線を向ける余裕はないが、クスクスと響く笑い声に安心し、澪は引き続き文字を打ち込んだ。

「笑っちゃいますよね……、すごく単純な申請フォームなのにいまだに間違えるなんて」

 そして、ようやく完成させたメールを送信し、ほっと息をつく。――しかし。

「できた……! リアム、お待たせしまし――」

 顔を上げた澪は、思わず息を呑んだ。

 正面の席に、リアムの姿はない。

「え……?」

 心臓が、ドクンと嫌な鼓動を打った。

 なんだ、勘違いだったのか、と。そうやり過ごしたい気持ちは山々だが、たった今まであったはずの気配や、確かに聞こえた笑い声の記憶が、それを否定している。

 じわじわと不安が込み上げ、澪はしばらく身動きが取れなかった。――そのとき。

「ミオ! ごめんよ!」

 リアムの声が響き、澪はビクッと肩を震わせた。

「父からの電話だった。……ミオ? どうかした……?」

 挙動不審な澪に、リアムはこてんと首をかしげる。

 ただ、霊という存在に心酔しているリアムに下手なことを言うわけにはいかず、澪は首を横に振った。

「い、いえ……。リアムがあまりに目立つから、視線に緊張しちゃって……」

「視線? ……どこから?」

「どこって、そこらじゅうから――」

 まさか、と。振り返りながら、澪は既に嫌な予感を覚えていた。

 そして、周囲の様子を見渡し、目を見開く。

「ミオ……、ここには最初から誰もいないよ……? チェックインまでまだまだ時間があるし」

「…………」

「疲れてるんじゃない? そうだ、ミオの好きなアップルクランブルを頼もうか」

 リアムが言う通り、ロビーラウンジに人の姿はなかった。

 全身がゾクリと冷え、思わず体をさする。

「ラウンジで食べるとジェラートが付けられるんだけど……、ミオ、もしかして寒い?」

 澪は曖昧に頷きながら、落ち着かない気持ちで視線を戻した。

 正面には、ニコニコと笑うリアム。

 多くの女性を釘付けにする、美しくも人懐っこい笑みだ。

 しかし、――どうやら視線の主は、女性だけに限らないらしい。

 そういえばここは正真正銘の訳アリ物件だった、と。

 つい数ヶ月前、ここで体験した恐ろしい出来事を思い浮かべ、澪は深い溜め息をついた。



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【特別ショート・ストーリー】丸の内で就職したら、幽霊物件担当でした。 竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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