八十歳の老婆を交番に届けたら八歳の少女を返された
木古おうみ
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インターホンの音の後「交番からです」と言われて、俺がドアを開けると少女がいた。
古いカーテンのような水色の花柄のワンピースを着たおかっぱ頭の少女だ。
「警察です」ではなく、子どもの声だった時点でいたずらを疑うべきだった。
少女は「交番からです」と繰り返す。
「何?」
少女は答える代わりに胸の辺りを指す。首から札が下がっていた。俺は目を細めて書かれた文字を読む。
“八歳”
「他に書くことあるだろ」
俺がドアを閉めようとすると、少女がドアノブを掴んでそれを拒んだ。
「何だよ……」
「遺失物法28条1項」
子どもの口から聞いたとは思えない堅苦しい言葉だ。
「何だって?」
「遺失物法28条1項」
俺が黙り込んでいると、少女は呆れたような顔をした。
「大人なのに」
俺は仕方なくアパートの非常階段に腰掛けてスマートフォンを出した。少女が二段上から覗き込む。
部屋に入れた日には今度こそ「警察です」が来そうだからだ。
検索窓に“遺失物法28条1項”を打ち込む。
物件の返還を受ける遺失者は、当該物件の価格の百分の五以上百分の二十以下に相当する額の報労金を拾得者に支払わなければならない。
ざっくり言うと、落し物を交番に届けたら一割程度の分け前がもらえるということらしい。
俺は振り返って少女を見る。少女に覚えはないが服の柄はどこかで見た気がする。少女はまだ呆れ顔で俺に囁いた。
「八月二十一日、コインパーキング前」
同じワンピースの持ち主を思い出した。
八月二十一日、仕事で上司の車に乗った際、立ち寄ったコインパーキングに立ち尽くしていた老婆だ。
徘徊していたんだろう。
上司にせっつかれて俺が交番まで送ったのを覚えている。八十歳くらいの老婆だった。
「八十の婆さんを交番に届けたから八歳の子が来たってことか?」
少女はやっと気づいたかと言うように頷いた。冗談じゃない。
「何でそうなるんだよ……」
「分割贈与の方がよかった?」
また聞き慣れない言葉だ。
「分割贈与?」
少女は俺のスマートフォンを奪って何かを検索する。突き返された画面には、画像検索の結果一覧で肉切り包丁が並んでいた。血生臭い話になりそうだ。
「勘弁してくれよ……」
少女は俺に構わず非常階段の下を指した。まだ何かあるのかと思ったが自動販売機があるだけだ。
少女は俺が買い与えたサイダーを飲み、自動販売機にもたれかかる。
「お前があの婆さんの一割ってことだよな」
少女が頷く。
「婆さんは今どうなってるんだ。一割減って七十二歳なのか?」
少女は知らないという風に首を振った。
「お前のお父さんかお母さんは?」
「婆さんのお母さんだったらひいおばあさんになっちゃうでしょ」
これ以上の話し合いは諦めた方がよさそうだ。
「受取拒否した場合は?」
少女は目を逸らした。
お互い黙りこくっていると、非常階段からアパートの大家が降りてきた。
「あら、妹さん?」
「違います」
大家はそれ以上詮索しなかった。
大家は停めてあった自転車の鍵を外す。
「どこか行くんですか?」
「ちょっと交番にね」
嫌な響きだ。
「どうしたんです?」
「すごいの。ニュースになるかもしれないわよ。海の方まで犬の散歩をしてたら、船みたいなものが砂浜のところにあって、こんな浅い海にと思って近くで見てみたら、何だと思う? サメよ、サメ! こんなに大きい……」
大家が腕を広く広げたとき、少女が俺の服の裾を引いた。
何だよ、と聞く前に、とんでもない轟音が響いて土煙が舞う。
俺と大家は呆然と爆発があった方を見た。
煙が薄くなり、姿を現したアパートの駐車場には、ひび割れたアスファルトのど真ん中に巨大な三角形のヒレが突き出していた。
八十歳の老婆を交番に届けたら八歳の少女を返された 木古おうみ @kipplemaker
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