4.謎々
宅配弁当は味付けが濃すぎて焦げていて、散々な出来だった。この業者、普段は舌に優しい味なのだが、一月に一回くらいこういうことをしてくる。文句をつけようとおもったが、面倒だし人と関わりたくないのでそんなことはしない。ただでさえ社会にとって少しマイナスな僕が立派に働いている方々のお手を煩わせるわけにもいかないので、僕が我慢すれば良かった。
食べきらずに残して弁当はゴミ箱行きになって、それから特にやることはなかった。
また寝て、起きた。
最初にシラピと会ってからずっとふわふわしていた頭の感じがようやく冷やされてきて、否が応でも現実と向きあわなくてはならなくなる。もう夢は見られそうになかった。
考えてみる。部屋の隅で。
それは遠い話だ、自分の身に起こっていることだというのに。
ひとつ、僕は確かに死んだ。自分で自分の命を絶った。だけど生きている、なぜか。これはとんでもなく大事件だ。世の理からひっくり返ったのか、僕の頭から疑ったほうがはやいだろうけど、それを認めると僕もいよいよ終わりになっていまう。幻覚か、夢か、思い込みか、やはり認めたくない。首から放射状に焼けるような全身の痛みは、いまでも鮮明にぶりかえってくる。
ふたつめ、シラピのこと。どうして僕に構うのか、それは母の考えを探ることになるがやるだけ無駄だと思う。あれは常人ではない、ロボットだけがお友達の僕以上の社会不適合者だ。会話なんて成り立たない。人間でさえ無いものの思考回路なんてなおさら理解できるわけがなかった。だからそれは置いておいて、シラピが話した内容。彼女はロボットだと言った。それから、世界が変わったみたいなことも話していた。僕が嫌った世界はもう無い、だっけ。真偽は定かでないが、僕をわざわざ貶めようとする理由は彼女にないだろう。彼女を疑うことは、僕にはできない。その瞬間に世界全てが嫌いになって首を吊ることだろうから。
生きたいのか死にたいのか、冷めているようで熱が燻っていて、自分の心がよく分からなかった。
シラピが、ロボット。シラピはロボット。人のように動いて、ちょっとずれてるかもしれないけど人のように話して人のように感情をもっているのに。やっぱり分からない、僕がなにに戸惑っているのか。なにに納得がいっていないのか。
思い通りにならない自分の心の内はそこらに放り投げて、理論的に考えようとする。僕が知らないだけで、本当にあれほどの動きを現代の最新技術では再現できるのか。感情や応答、行動の判断まですべて自律できるシステムを開発できるのか。ロボットバカである自分の母親の力をもってすれば、人間を機械から生み出すような神の所業が可能なのか。全く信じられない。
最後に、僕が嫌った世界はもう無い、という話。半世紀経過した、とも言っていた。
もう目を背けられない。
心が落ち着く僕の味方の部屋の隅から身体を引き離し、窓のそばに這い寄る。僕が嫌った世界、といえばすなわち人間が跋扈する社会だ。つまりそれがもう無い、ということは。
人間が平穏に街を出歩けない社会、ということで。
僕がお間抜けにも社会の大きな変化に立ち会わず眠っていた間、何があったのか。その答えは目と鼻の先のカーテンに遮られた窓、その向こうにあった。
目をつむって、深く息を吸う。
大丈夫、別に不相応な明るい未来を目指すってわけじゃない。前に進むためでも、留まるためでも、この観客のいない舞台から降りるためでも、今を受容するためにこの過程は必要なんだろう。
目を開く。カーテンを手で押しのけて、視界が開かれる。
いま現在の世界が、あった。
部屋から見えるのは、錆びた金属ばかりだった。貨物の荷台に載っていそうなコンテナが規則的に、人一人ようやく通れるくらいの隙間を残して敷き詰められる。上下三段にも積まれていた。空気がこもって、苦しそうだ。ここは周りよりコンテナ2つ分ほどの高台に位置しているらしく、密閉さがよくわかる。
なんだか薄暗くて、街がどんよりと重苦しい。無機質が建ち並ぶ異様な雰囲気からか、なによりも人がいない。金属は錆びついているし、苔も生えていた。
空を見上げると、暗い。星一つなくて、ここは地下なのかもしれない。この部屋から分かるのは、それくらいだった。
ここでやめておけば良かったのに。
諦めて外から意識を外そうとしたとき、「それ」が目に入る。
こじんまりとした公園サイズの広場。アスファルトの灰色で、周りと同化しきっていた。
なんだ、これ。戸惑いがこみあげる。そのほか濁って濃すぎる海水のようなものが心を押し流そうとする。波の衝撃に逆らえたのか、まとわりつかれているのかもわからない。
全身が悲鳴をあげた。ひりつき、肌を得体の知れないものが這い上がる。
住民を見つけた。狭そうな長方形にに存在を許された、幸せそうな人々。健康で文化的な最低限度の生活を送るための無地の白っぽい服を全員一同に身につけている。
ぽわぽわと、手を突き出し、足を踏み外しながら、生きているだけのことで喜びに酔ったように踊る。芸術的とはとてもいえず、本能のままに暴れているようだ。調和もなく、しがらみ無く、5人それぞれが気ままなステップを踏んでいる。それをぼんやり見つめる人も少々。彼らの行動を縛るものは、少なくともそこには無いように見えた、のだが。
理想郷のような光景を受け入れられなかった、何かが違う。
しらない。こんな世界、しらない。拒絶しようとして、押しのけても波は左右から回り込んでくる。逃げられない。溺れる。
ようやく脳が、少し飲みこむ。にがりの多い海水を。そうして、この世界の味を知る。
目に入れたくなかった事実が視界に押し入ってくる。
引き摺られていた。何が。コンテナが開いて。何が。生身の人間が。血の跡を後に残して。
命が、引き摺られていた。既に途絶えた生命。
それを牽引するのは、鉄の塊だった。ロボット。シラピとは違う。ただ無骨に部品がくっつけられて、役目を思考停止で執行する機械だった。
誇りが穢されている。生きた後の安らぎ。僕は望まなかったけど、僕以外の他人にはあってくれと望むもの。でなくては、尊厳が、前提が覆ってしまう。
全身がコンテナから引き摺りだされ、赤いものがみえている。
何故に死んでいるのか、これから墓場へ向かうのか、何も正しくない気がした。僕が持たされた常識はこの社会で通用しない。
この世界の住民は、その凄惨な死体が見えていないように、見ていないように、手と足を動かし続ける。細そうな手足を、振り回し続ける。
回る、回る、回る。世界が、在り方が、自分が、目が。
淡々と人体を引き摺るロボットのギアが回っている。
ぐるぐるごろごろ、ぐるぐるごろ。
おぼつかない。
ぱらぱら、だらだら。動くロボットと死体のすぐ横で、住民は踊り続ける。
死体が僕の壊され、穢されていて、あの頓狂な踊りを見たばかりでは生前に個人の確固たる在り方があったのかもわからない。動かされる死体と肢体、何が違うのかも分からない。
僕の常識が改変されていく。何も知らない、漠然とした恐怖の中へ。
目が離せない。知らなくてはならない。意識を集中させ、観測体としての存在だけを残す。
干上がる。受け入れられない。
ようやく生命としての自衛本能が起動した。
平衡感覚を失う。上下左右も重力の向かう先もみえず、自分がいない気がした。気力もなく、立っていることを放棄してしまう。情けなくも尻と背から地に墜ちようとしたところで、肩を支えられ、フローリングに叩き付かれることを免れた。背中越しに他人の体温が伝わってくる。ゆっくりと、優しく下ろされる。
膝から脱力して、うずくまる。喜ぶべきなのか? 僕は喜んでいいんじゃないのか?
どうやら人が巨大な波に押し込められたらしき、この世界を。
怖かった。世界はどうなってしまったのだろう。それから、僕はどうなってしまうのだろう。
今を知らなくて、先を知らなくて、頼れるものは何もない。
部屋に閉じこもっていたときは、ずっと停滞が続くと思っていた。なんだかんだでちょっと苦しい毎日が、大した変化もなく流れていった。
それが今は、衝撃の連続で一寸先も見えていない。安全は保障されない。
シラピがいて、僕が右も左も分からない世界で僕の生死を握っている。
世界は人を堕とす何かを持っていておぞましく、停滞に慣れきった僕みたいな淡水魚には濃い塩分が苦しかった。
「閉めよう」
気づく。シラピが、きていた。
こわばっていた力が抜ける。
「締め切ろ、ね」
カーテンの幕が下ろされる。部屋が少し薄暗くなって、世界と断絶された。
ふっと、息が抜ける。僕は生きていた。
「瑞素は外を見なくていいから」
差しだされた手を取った。
自分の手が震えていたのに気づいて、どうしようもなく静止しているうちに血が巡って、指先の緊張も元通りにおさまった。
やっと、彼女の顔を見ることができる。
シラピに頼りきるしかない。全てを預けて、それで。
毎日三度も、彼女があの恐ろしい外へ出て行くのを見送るしかないのだろう。
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