10.「心」

 目が覚めた。

「ねえ」


 会うことを恐れていた顔が、目の前にあった。


「とりあえず、ごはん食べる?」

 え。

 なんで僕に、優しいことを言うんだ。


「僕にそんな資格無い」

「いいから、食べよ? じゃないと」

「なあ」遮ってしまった。

「……なに?」

「僕を、殺してくれないか」


 ようやく、言えた。

 嫌いな顔の口角があがっていることが肌で分かる。

 ようやく、やっと、心からの願いを言えたんだ。

 僕は死んでいたはずで、今生きていることもおかしくて、今きみが話しかけてくれていることもあってはならないから、矛盾も美しくない僕もぜんぶ壊して。


「……」

 殺してほしい。それだけが僕の希望だ。何もかも無くなりたい。

 期待をこめて、目の前のシラピをみた。


 おかしい、俯いていた。眉をひそめている? どうして。僕という社会の屑がいなくなるのに。何を思って、


 殴られた。ぽすん。え。


「そんなこと、いうな……」

「なんで、うれしそうなの」

 悲しそうだった。

「おかしいよ」

「苦しんで、自分が嫌いで、なんできみは生きてるの」

 そうだ。それでいい。僕を嫌って、僕を消して。でも、胸が痛んだ。

「どうして外に出たの」

「それは……」


 続きを言わせてくれない。

「外には出ないでっていったよね、危険だから」

「どうして身を危険にさらすの」

「危なかったよね、ロボットに殺されるところだった」

「うん、」

「生きるつもりがなかったでしょう、まるで……」


 シラピは俯いて、また僕の首辺りをみた。

「アームが上がって、ちょっと遅ければ死んでた」

「おしかった」

「――なんで嬉しそうにするんだよぉ!」


 瞳がうるおっている。目線が僕を一直線に刺して、僕は身じろいで張り付けられた。

「死を待ちわびていたみたいに目を閉じてさ、抵抗せずに受け入れて幸せそうに!」

「そのときも、今も、死を喜んで、きみは本当にそれでいいの?」


「もっと自分を好きになれよ、生きていたいって思ってよ」

「私に頼れよぉ……」


 よくわからない。またわからないことが増えた。


「嫌いだ!」

 そこまではいい、嫌いでいいのに。憎んで、さっさところして。

「誰がきみをそうしたの」

 悔いるように。哀れむように。

「嫌いだよ、その心」

「……なんで、どこをみて笑ってるんだよ」


 まだ笑っていたらしい。乾いて張り付いたピエロのような笑みは、シラピの手によって僕が死の世界へ旅立てることを喜んでいる証左で。

 ほら、みにくい僕を、シラピも嫌っているじゃないか。

 だから、これでいい、これで――



「……ごめん、ゆるせない」

 

 またわからない。優しさに包まれていた。

 体温が伝わってくる。嫌いな自分のものじゃない、僕が好きな人の。


「もっと、私をみて笑ってよ」


 僕は、シラピの胸の中にいた。


 張り付いたピエロのような笑みは、死へ喜んで旅だ、証左で、だからこの状況は、ほど遠くて僕が望んだものじゃないから喜べないだめだほら早くころしてころし、全部嘘だった。


 虚像が溶けていく。偽れない。嘘をつけない。

 

 ――涙が出ていた。笑っていた。


 僕が。僕の心が。

 シラピに抱かれて、温められて、幸せで包まれて。

 僕はシラピに許されなかった。


「ごめんね」

「ごめん」

「だけど、言わせて」

 

「生きて」

 その言葉は、僕を縛った。


「瑞素、生きて」

 僕を絡めとった。光がさした。いともかんたんにどこかの美しい夢を見せた。

 もしかしたら、願わくばが映る。祈ってしまう。


「僕は……」


「そうだ、生きたい」

 声は掠れる、でも。


 僕は、生きてほしいと言われたかったのかもしれない。

 ずっと一人で、世界に刃向かっていたから、こんな気持ちになるなんて、しらなかった。

 いま、知ったんだ。知ってしまった。

 知ったからには、逃れられなかった。こんなに強い熱。


 ねえ。僕は。もう一度、はっきりと。


「生きたいと、思えた」


 ぎゅっと、シラピを確かめた。シラピの息がかかる。


「生きても、いいですか」

 震える。震えながら、問うた。嬉しくてか、喜びからか、とにかく経験にない素晴らしい者だということは分かる。

「いいんだよ」

 はっきりと答えが帰ってきた。

「本当に、僕なんかが」

 もっと、認めてほしかった。手放したくなかった。

「うん、きみなんかが」

 シラピは、全部答えてくれた。

「生きていいの?」

「いいよ、ずっと笑っていて」


「ありがとう」

 僕は、心から笑った。笑いながら、泣いた。

 それを僕は責めなかった。シラピも笑って肯定した。

 笑った息が、耳にかかる。


「私は……きみに幸せになってほしかった、それだけだったの」

 

 大きな一歩、だろうか。

 僕はシラピが好きだ。

 シラピが認めてくれる限り、僕は生きていようと思えてしまう。


 死のうと思った。ずっと思っていた。生きる価値がなかった。

 シラピに、僕の価値を与えられてしまった。それも、一生分の愛情を。


 僕の人生が、始まった。

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