五章「世界はいつでも敵でした。」
働キ者の話は、こんな感じだった。
#回想『働き者』
蒸気が空高く、あがった。
働き者は、この世界を強く憎んでいる。
ロボットに恋はできない。恋などできるはずがない、というようにロボットの頭はできているはずだ。だってロボットは子どももつくらないし、余計な感情は仕事の邪魔だ、という理屈。
つまり恋なんて不自然な行動をとるロボットは生産性のない行動をとっている出来損ないか、世界の平穏を脅かす反乱分子だと、この世界ではそういうことになっている。
そういうことになっているから、そういうことをしたロボットは解体されて処理場行きだ。リサイクルされて、新たな機体へと生まれ変わる。尊い恋は、なかったことにされる。
何度か、『そういうこと』を見かけた。ロボットは恋をしない、という前提を働き者は疑っていた。
人間がロボットに近づいているのであれば、それはロボットを使って何かしら企んでいるということになるし、逆もしかりだ。
人間がロボットを『傷つけようとしている』ならばそれは当然反乱分子なのだから、発見次第そういう人間を屠るのが働き者の仕事だった。この街の、警察のような力を担っている。
働キ者は、働き者だった。世界を疑わずに、純真な新品ロボットだった。
でもあるとき、ある瞬間から、世界は敵になった。
あるとき、それは出会いだった。
この世界に、会ってはならない出会い。
それを、ちょっと昔の平和な人間社会に住む人々は「恋」と詠んだ。
それを、いまこの都市の外に都市が生存しているのであれば、また「恋」と呼ぶだろう。
そんな「恋」は、この小さな都市のなかだけでは「罪」だった。
新しくて純真な働き者は「罪」、つまり悪事を働いた。
そして仕舞いには然るべき裁きを受けた。これはそんな、一体と一人の話。
「じゃ、また」
「アア、またな」
最初は、ほんの出来心だったのかもしれない。人間を簡単に殺すことができる機能を持っている自分に近づいてきた人間に、ちょっとした興味を抱いてしまった。
彼女だけは、この世界でまともだと思った。
働き者から見た、どこかで覚えた常識だから、本来人間からすると彼女以外がまともなのだろうけど。
だから、働き者と彼女はこの世界で二人っきりだった。
逢瀬を重ねた。こっそりと、世界に隠れて。
彼女が、働き者のことをどう思っていたのかは分からない。働き者は、ただの鉄くずでしかなくて、人から性的に好まれる容姿を備えていなかったけれど。量産モデルだから、全く同一の身体をもつロボットはごまんと稼働していたけれど。
それでも、働き者が必死に言葉を紡いで。それを、彼女が笑ったあのときは。
きっと、幸せだったのだろう。
そう思える。過去を想うと、胸が痛む。
働き者が未練がましくS-13を見守り続けているのは、あのころを求めているのかもしれない。
彼女との日々はきっと、幸せだった。そうに違いない。間違っていないだろう。
感情とは、刹那的なものだ。あのときあのころの若かりし記憶は、色褪せている。
特に、ロボットにとっては。
そう、働キ者は昔、幸せだったのかもしれない。今は違うといえる。昔はわからない。
幸せだったのなら、それは悲しいなと思う。今沸き起こるのは、悲しい気持ちばかりだ。喜びは、喜べるときにしか発されない。いまは喜べない。
「おはよ」って挨拶と、「じゃ、また」って挨拶と、その間の会話。
それは今日何があったとか、大抵何もないからこんなことを考えたんだって自慢とか、だいたい彼女の方からの。
その話はユーモアにとんでいて、考えもしなかった気づきと視点ばかりで。
働き者を巣食った彼女の思慮深さと愛おしさをより濃くしていって。
彼女は闇を抱えているようだった。世界に、責められたらしい。命を、絶ちかけたらしい。彼女と出会ってだいぶ絶ったとき、そう打ち明けられた。不安そうにして話す彼女をなだめ、働キ者は彼女の過去を受けとめた。
世界を恨んでいるかと、働き者はたずねてみた。すると彼女は、「これが世界だよ」と投げやりに笑った。
世界はここに、ただ一つしかない。それ以上でも、それ以下でもなく。抗えないものに牙を剥いても無意味なことだと、そういうことだ。
働き者は相槌を打ちながら、きっと楽しかったはずだ。
彼女も、世界で唯一話が通じる物体との話はきっと楽しかったと、そう思っていてくれていただろうか。
であれば、それは、幸せだっただろうか。もう働キ者は、あの頃を掴めない。
その日も、何でもない日だったように思う。
あれ、と思った。
彼女が泣いていた。
なんでかな、と思う。
何のことはない、世界に苦しめられていたからだった。
ログを遡ってみると、あるロボットが事情聴取にきたらしい。それは、引き裂かれるという最終通告だった。彼女はそれを、働き者に隠していた。
働き者は、何もできなかった。
その日は、朝からギアの調子が悪かった日だったように思う。
あれ、と思った。
銀色の金属アームが、肘まで朱に染まっていた。ボディ一面に、返り血の花が咲き誇っている。働き者を、嘲笑うかのように。
「ばいばい」
彼女の声は、遠のいていって。
あれ、と思う。働き者は、何を働いたのか。
この血は、だれのもの。
はたらきものが、あいしたひとのもの。
あいしたひとの、ち。
愛した人の、返り血。
一番近くにいた働き者が適任だと、アルゴリズムが判断した。それだけの話。
その決定に、感情は挟まらなかった。
非生産的で危険な行動をとった、ロボットに近づくニンゲン。それを排除するための命令は、たった数文字のテキストで働き者に送信された。
ただただ、機械的に。働き者は、勤勉に任務を遂行しただけ。それだけで、働き者は何もかもを失った。世界の全てを失ってしまった。
それほどに、彼女の存在は働き者の心を埋めていたんだと、やっと分かった。遅すぎた。
泣けたらよかったのか。叫べたらよかったのか。
働き者が今更何を働こうが、彼女は帰ってこないのに。
心の中は鈍色に塗りつぶされた。幸せな時間は悲惨な記録に、置き換えられてしまった。
それからどれだけ時が経っただろうか、ロボットにとって時間とはただの数値で、あまり重要でない。ただ、動き続けていた。ただ生きることが罰だと示すように、他のロボットが停止していくなか、アームを動かし続けた。どうでもいいニンゲンたちの命を奪って。
#いま
そうして、時は過ぎて、あるとき。
それは、救いか。新たな罰か。それとも、天からの迎えか。
S-13と出会った。
彼女は、彼女とそっくりだった。生き写しかと思うほどに。
次こそは、次こそはと思った。近づくことはしなかった。陰から見守り続けた。
働キ者は自らの働きを尽くして彼女を守ろうとした、のに。
同じ危機を、S-13が招こうとしていた。
あまりにお粗末だった。この結果を招かないように、働キ者は存在し続けていたというのに。
それでも、働き者は問いたかったのだ。もうあのころじゃない、働き者なんて自称できない、働キ者は、問いたかったのだ。
「きみたちは、幸せか」
感情とは、刹那的なものだ。
幸せだったのなら、それは悲しいなと思う。今沸き起こるのは、悲しい気持ちばかりだ。喜びは、喜べるときにしか発されない。いまは喜べない。
けれど、幸せだったのなら、それで良いんだろうな、とも思う。過去を想いながら、働キ者は働くことができるからだ。忘れた幸せを、眺めながら。
ほら、忘れた幸せはそこにある。
S-13。瑞素。
きみたちは、幸せか。
あれから世界は、少し変わった。
サイバー攻撃を受けるようになったから、画期的な新たな仕組みとかで、ロボットそれぞれが一つの観察者となって世界を監視する仕組みが整えられた。
きっと、また悲劇が起こる。
働キ者は阻止するため、そのときの準備を進めていた。彼女の尊い犠牲を無駄にしないため、といえば聞こえはいいけれど。
どうせニンゲンの数は減っている。それにあれらニンゲンは無力で、何をやらかしても働キ者一人で対処できる。
だから必要のなくなったものを壊した、それだけ。働キ者と同じ使命を背負った警備モデルは、もう一つ残らず働キ者の手によって停止させてしまった。
あの悪口をばらまく小型ドローンロボットは、よく分からなかった。あれは働キ者が恋人を殺させられた後に現れた。カプセル型のとっかかりのない構造は働キ者にも破壊できず、手の打ちようがなかった。
#敵
一夜を、意識の途絶えないまま過ごした。
心はぼやけている。霧がかかってカーテンを閉じて、何も見たくなかった。シラピをつかんでいた手のひらだけは、手を離してもまだはっきりと脈打っている。
温かいものでも食べましょう、とシラピが言う。僕は表情筋を動かすこともなく、ベッドに座って佇んでいた。
僕は頷いて、なんとか笑みを浮かべようとした。心細いのは、マスターを亡くしたシラピも同じだろうから。
シラピも僕の笑みを受けとると頷いて、ドアに手をかけた。僕の食料を調達するために。
ドアが、開いて。
そこには、異様な光景が広がっていた。
金属が擦れ、響く音。耳を刺し、心を傷つけ、そして――
ロボットたちの目が、行動を責め立てるように罪を咎めるように。
僕たち2人を見ていた。
発光機能があるものは眩いライトで照らす。
サイレンを付けているものはチカチカと血の赤を明滅させる。
何も持たないものはモーターを、ギチギチギチギチと悲鳴のように鳴らしている。
その中心に、浮かぶものは。これを引き起こした元凶であろう、これまで散々僕たちに罵声を浴びせてきた小型ドローンロボットは。
『消えろ。死ね。消えろ』
ぎゃんぎゃん叩きつけてくる。心臓が、うめきをあげた。
なんだ、これは。
カーニバルのような、そうこれは祭りだ。
僕とシラピを晒し上げて、まるで処刑場のようだった。
僕の部屋が、ロボットたちによって完全に包囲されている。
大勢に見られている。大勢に恨まれている。
それを認識すると体は震えだし、汗がとまなくなる。
その横で、シラピは。
走り出した。表情を覗く間もなかった。
ロボットたちを掻き分けていく。僕をおいて、群衆のその向こうへいなくなってしまう。
僕は何もできなかった。
ロボットたちは僕をおいて、シラピを追いかけていった。
悪夢のようだった。
部屋の前に、一人残された。
静寂が怖い。今、シラピは、僕は。
安寧が、平穏が、母が望み、僕が享受した時間が。
終わった。
何もかもが、終わった。
もう何も、叶わないのだと。
諦めて、何もできない自分を笑おうか。
「おい」
「……あ」
「このまま、何もしねえのか?」
働キ者が、いた。
「お前が知らないだろう、状況を話しておくが」
ひときわ、強い蒸気を上げていた。
「あれは、S-13の日常だ」
「……は」
「いつも、S-13はこの世界に責められていた。じっと堪えていた。それがいま、お前に露呈したに過ぎない」
じゃあ、どうして、そんな。
平気な顔をして、僕のご飯をつくって、僕に微笑みかけて。
シラピのことだから、きっと母にも言わなかっただろう。
平気な顔をして、マスターの世話をして、マスターの話を聞いて、僕のことを考えて。
その安寧の、裏では。
ロボットたちに、責められて。存在を否定されるようなことを、言われ続けて。
光を浴びて、うんざりするような高音を聞かされて、心に、ひびが入るだろう。
食料を調達するために保全センターに通い続けて、僕との毎日3回を過ごして、それが、全部この世界では「悪」とされていた。
僕のせいだ。
全部、背負わせてしまったのは、愚かで鈍感でしようがない僕の所業だ。
それで、僕は、僕は。
知らなかった、知らないことで守られていた、僕は。
どうすれば、なんて。
「僕は……やらないと」
「お前に何かできるか?」
じっと見られている。僕が、何をするべきか。
「……やる」
それでも、揺らがなかった。この想いは、どうにもならないものだけど、それでも。
「……そうか」
僕がシラピにできることなんて、一つくらいはある気がするんだ。
それをやるだけでも、僕は。きっと、救われる。
ほんの僅かでも、彼女のためになれたらと思う。
僕を見て、働キ者は言葉を紡ぐ。
「これでオレも、成仏できるってもんよ」
働キ者は、穏やかに蒸気を上げる。
「スイソの足の震えもとまったようだ」アームを掲げて、
「ばいばい、だな」働キ者は言う。
「僕は、シラピのものだから」
「よく言った」
僕には彼が、初めて笑ったようだと思った。
そして、働キ者はいなくなった。
僕は、走り出した。
#終章 毎日三食、僕の部屋で充電する彼女
走って、走った。
走って、走って、息が暴れて、足を暴れさせて、心臓が暴れて、走った。
土を踏んで、コンクリを踏んで、水たまりを踏んで。
走って、走って、走って。
どこに行ったのかなんて分からない。それでも、
シラピを、見つけようとその一心で、走った。走りきった。
やっと、見つけた。息をつく。
安堵、できなかった。
だってそこは、働キ者が教えてくれた。
断崖絶壁の高所だったから。シラピは下を見て、風に髪をたなびかせて、何を考えているのか。
この都市が見渡せる。
穏やかで、人は少なくて、ここに闇というものは存在しないはずで。
知らなかったから、悪くないと思えた。
でも、今は。
ここは、シラピと僕を関係を引き裂こうとした都市。
ここは、シラピを高音のノイズで何度も何度も刺していた都市。
ここは、シラピのマスターが、造った都市。
それを知った今、この都市に何を思うか。
考えても仕方がなかった。事態は好転しないし、この都市を幾ら憎んでも、出口がないから脱出することはできない。
受け入れなくてはならなかった。そして、僕はどうする。
僕はどうすればいいのか。
僕は、どうすればよかったのか。ずっと考えていた。
僕はただ一人世界との縁だった「彼女」を救えなかった。彼女が炎上したとき、彼女を攻撃するアカウントに僕は、言葉をぶつけた。怒りを思慮なくぶつけて、それは彼女の目に入れば悲しむだろう。今から振り返ってみれば愚かな行動だったことが分かるけれど、あのときの僕は怒りに震えていた。
無力だった、だって彼女の心は遙かに遠くて、僕の手では届かないのに、どうして悪意に染まった愛のない言葉だけが届くのだろうかと、世界を恨んだ。
そんなことで、彼女は救えなかった。
そしていま、シラピを救えない。
きみが愛してくれたかもしれない僕なら。
今なら届いてもいいんじゃないか、なんて思ってしまうんだ。
シラピは崖下を眺めて、その周りを高音を、光源を浴びせて、ロボットが取り囲む。この世に人を傷つけられる言葉がそんなにあったのかと思うほどの、誹謗中傷の限り。
きっと人を愛するときにも使われる言葉が、悪意によって捻られて先端が尖っている。
ロボットでも使える狂気の凶器で、小さな背中を滅多刺しにしていた。
止めなくてはならなかった。酷い行いを。
止めなくてはならなかった。シラピの背中を。
震えていた。小刻みに、ゆらゆらと。一歩前を踏めば、彼女は真っ逆さまに転落してしまう。
早くシラピの側に行きたい。金属たちの隙間をかいくぐろうとする。音を出すロボットの間近を通って、耳をナイフで刺すような高音だった。
心を蝕む毒がシラピを襲っていることに、怒りを覚える。でも、落ち着かなくてはならない。
「――っ」
ロボットたちの高音に打ち消され、自分でも声が出ているのか分からないくらいになった。
息を吸う、肺いっぱいに。
「――――っ」
叫ぶ。まだ届かない。ロボットたちは高音をぎゃんぎゃん鳴らしたままだ。
シラピをもう一度見る。あの背中に、届くくらいに。
吸って、吸う。なに、今までのは発声練習だ。
落ち着かせて、横隔膜からいっせいに、この都市の天井まで突き抜けるように。
叫ぶ。
「好きだああああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁあっ!」
知ったこっちゃなかった。世界の理由も。ロボットたちの行いも。
それでも僕は、僕とシラピが僕とシラピであるために、進まなくてはならないから、
叫ぶ。
ロボットたちの足をくぐり抜けて、頭を押しやって、無我夢中で汗をかいてやっと、届いた。
シラピの手を、掴んだ。もう離さない。
「……」
僕たちは、見つめあった。
「きちゃった、のかぁ」
間の抜けたように、シラピが息をはいた。
目をそらして、羞恥をごまかす。
「うん、きちゃった」
「ねえ」
「――ても、いい?」
「……いいよ」
「ありがとう」
ぎゅっと、抱きしめた。
シラピがぴくり、と動いて、身を委ねてくれた。
もう離したくない、と思う。
僕たちの周りを、ロボットたちが取り囲んでいた。
耳障りな高音で騒ぎ立てる。
僕たちには、届かない。
笑った。二人で。
これでいいんだと、頷く。
『第三フェーズ、心理的攻撃の実行を終了。最終フェーズ、実力行使を実行を開始』
『できません。警備モデルが見つかりません。捜索の必要があります。集った人員は世界を守るために行動してください』
ロボットたちは波が伝播するように動き出していく。街へ散り散りになった。
シラピと僕が、場に取り残される。見張りのためか、小型ドローンは僕たちの周囲をうようよしていた。
「働キ者……」
「うん?」
「幸せになったのかも、な」
「そっか」
「これから、どうする?」
「きっと、どうにでもなるよ」
「そうだね、二人なら」
毎日三食と、その他も。一緒にいられたら、きっと。
毎日三食、僕の部屋で充電する彼女 鳩芽すい @wavemikam
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます