2.空虚


 一時、世界を好きになろうとしたこともあった。できる限りはした。それは社会に近づこうとすること。社会不適合者という烙印から、なんとか逃れたかったのかもしれない。そんな切実な、夢とも願いとも呼べない執着は叶わなかった。

 

 生まれたときから経験がないんだ。

 家族、母とさえも会話がなかった。あの母も人間嫌いで、僕を産んだのが不思議なほど。

 だから、全ての元凶は母だとしてもいいのかもしれない。それでも、いやそう決めつけてしまえばますます、また自分が嫌いになるだけだった。その先にもやはり、救いはない。

 愛されなくて、愛されることを知らなくて、話しかけられなくて、話しかけられることを知らなくて、行き着いた先は、愛しかたも話しかけかたも知らない自分だった。

 それでも良かったのだろう、僕が一人で生きていたのなら。


 子供は無邪気だ。ひとりでも、ぜんぜんこわくない。まわりのめなんてきにならなかった。

 本だけが友達、毎日図書館に通うようなやつ。

 そんなこどもの蛮勇さは、僕にとってはさらなる状況の悪化を招くだけだった。

 何の対処もとらなかった僕は。誰にも近寄らぬまま、遠ざけるまま、時は過ぎて。

 遠い世界を見ていたようだった。幼稚園、小学校。交わされる言葉、飛び交う愛。

 僕の居場所はなかった。

 中学校思春期を迎えた。僕にも思春期、なんだか可笑しい。こぼれるのは、自嘲の笑み。

 周りの目を気にする。自分に自信を持てない。もう、だめだった。

 ようやく焦った。もがこうとした。けど、手足の動かし方が分からない。

 惨めだっただろう、哀れだっただろう。泥のような海の中に、足場はなくて、泳ぎ方はもちろん知らない。ずぶずぶ、沈む。

 すぐに閉じこもってしまった。

 

 それから、外には出なかった。

 そのくせなんだかんだ、ひっそりと生き残っていて。

 不幸中の幸いか、母親のロボットへ熱を注いだ結果が莫大な収入になっていたので、そのあたり苦労することはなかったのだ。愛の代わりに金を得た。

 思えばその環境も、僕の成長には良くなかったのだろう。なんとかなると思った。環境は僕に飢えを教えず、努力をさせなかった。

 さて、その自堕落生活といえば、母親は息子に関わりたくないようで、ロボットだけ見ていたいんだろう。ずっと研究室にいるから、食事は宅配弁当。

 

 愛に飢えていた僕は、とあるネット配信者をみつけて、彼女に依存することにしていた。

 安らかなようで、社会から突き放されて罪悪感と孤独で満ちた、弁当と彼女で耐え凌ぐ生活は三年くらい続いただろうか。

 唐突に、終わりを告げた。

 侵食される。

 誹謗中傷の渦。僕から、彼女が奪われる。もう、本当のこと何も分からない。

 やっと気づいた。全ての生き方は、虚飾に満ちていた。

 誰も彼も、虚飾で生きている。でも、そばに体温はあった。

 僕だけは、自分の体温だけで虚飾を生き抜かねばならなかった。

 涙は出ただろうか。きっと、泣き方も知らなかった。

 僕が独りで、自分の手にできたはずの範囲、部屋の隅で生きることすら、世界は許してくれなかったみたいだ。

 誰も、僕を認めない。

 僕は誰も、認めない。


 命を絶った、つもりだ。確かに縄で天井から吊られた。脳が疼く。確かに、苦しんだのだと、不確かに覚えている。

 さよならしたんだ、僕に生きる意味がない世界から。


 それがなんの因果か蝿のようにしぶとく、まだ僕は生きている。


 澱んだ記憶の断片を思い返しながら、僕は部屋の隅のベッドの端に転がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る