8.《排気》

#働キ者


 コンクリートの床を見る。すでに死体は回収された後だった。衛生班の仕事は血の一滴として後に残さない。

 

 S-13を見ていない時間は空白で、S-13を想う時間だけは生きている。

 いまはS-13の警護から離れてしまって、だから考えるだけをする。


 これで良かったのだろうか。悲劇しか生まないあの二人の関係を終わらせなくていいのか。

 そのリスクを負ってなお、あのニンゲンはS-13の幸せに繋がってくれるのだろうか。


 あいつは自信が無い。自分は死んでもいいと思っているから、けっこう働キ者に似ている。

 でも違う、彼には欠損が大きすぎる。それも、一度も埋められたことがなく、彼自身には認識できない大きな穴だ。

 働キ者にも残っていたらしい腐ってでこぼこな良心が、金属のボディには宿らないはずの軽い、それでも働キ者だけが成し遂げられるのだから命を賭してやるべきだった、そういう働キ者の存在意義の全てであることの、邪魔をした。


 本当に、あれで良かったのだろうか。S-13に瑞素の護送を頼まれた後に、また殺せば良かっただけだ。それだけなのに、殺さないことを選んだ。

 これが、どんな結果を招くのか。

 いい方向に転ぶか、いやそうとは思えない。電源オンから動作しつづけてこの方、働キ者の行動が良かったと評されることなど一度足りともない。

 悔やんでばかりだ。後ろを見てばかりだ。幸せだったかもしれない過去と、壊してしまいたい働キ者だけがこの場に残留している。

 感情とは、刹那的なものだ。あのときあのころの若かりし記憶は、色褪せている。

 特に、ロボットにとっては。

 そう、働キ者は昔、幸せだったのかもしれない。今は違うといえる。でも昔はわからない。


 幸せだったのなら、それは悲しいなと思う。今沸き起こるのは、悲しい気持ちだけだ。喜びは、喜べるときにしか発されない。いまは喜べない。

 ロボットは、論理的な事実からしか感情を作ることができない。非現実的なお花畑思考は、働キ者の性格がそれを許さない。

 メモリーの重要領域には、今も好きだった人の姿が保管されている。いつでも見ることはできるが、働キ者はそれをしない。できなかった。悲しい気持ちで、幸せだったかもしれない過去を汚したくない。

 けれど、働キ者が働き続けることをやめない限り、彼女の姿は働キ者の頭に残されるのだろう。


 そうだ。働キ者は、働キ者の働きを責め続けている。あれ以来、ずっとだ。


 自分の腕を見つめた、とうに血に染まった、それも好きだった人の血で染まった、細い鉄のアームだ。

 シラピのためなら、好きだった人を失って存在価値を失っていた、この使い道のなかったはずの腕をどんな用途でも捧げられる。

 覚悟は決まっていた。


 ボイラーから熱気を発する。働キ者は世界を嘆いて、いつも熱が余る。

 だから世界に刃向かうように、排気はささやかな嫌がらせだった。

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