毎日三食、僕の部屋で充電する彼女
鳩芽すい
一章「また、生まれ落ちてしまった。」
1.「おはよ」
「――ぁ」
瞼が開かれる。
映る部屋は、僕の部屋。珍しく片づいていた。
食べかけの弁当も無い、飲みかけの清涼飲料水も無い、投げ込まれるチラシも無い。
ワンルームというわけではなく、一軒家の隅に押しやられた部屋。
壁から床まで白い部屋の輝きが、目に刺さる。
置かれてあるものは椅子、テーブル、それと縄。
珍しく、片づけられている。
ああそうだ。立つ鳥跡を濁さず、だっけ。
僕にとっては本来どうでもいいこだわりのはずだけど。
――僕が命を絶とうとしたこと。
どうして今も押し殺すように息をしているのだろうか。
この汚れた世界で。
誰からも必要とされず、生きている意味を持たない僕は、どうして。
思考は深海に沈んでいくようで、命を保とうとため息をつく。いつものように。
「世界なんて、消えたらいいのに」
ぼそりと呟いた。部屋の陰りが増す。
自分のまわりの世界を恨んでも結局、消えようとしたのは自分だった。
なぜか、今も心臓は動いているけれど。
たぶんというかうん、分かっていたのだ。自分が悪いこと。
周りが悪いことにして、自分は正しいことにして、そうできたなら楽なはずだった。
でも自分が嫌いなのだから、大嫌いな周りより何よりも嫌いなのだから、周りに責任を押しつけることなんてできていなかった。
世界を恨んでいた。自分を呪っていた。挙げ句最後には、命を絶った。
ただ、それだけ。そう、そのまま終わって天国行き、それでよかったのに。
終わらなかった。
「おはよ」
ぱっと割りこんだ、アルトボイス。
ぱっと薄い桃色に染まる、僕の視界。
ようやく僕は部屋の中に紛れていた異物の存在を認識した。
どうしてか、女の子が僕の部屋の中にいる。
ベッドに腰掛けて、じっと見つめてくる。
「え、と」
何もまともな言葉を返せやしない。
「……うん」
そのまま、時だけが過ぎた、はずだ。見かけだけが穏やかな時間で、違和感だけがこみあげて時間の経過とともに胃の底を引きずる。
本当に何も起こらず、目の前の彼女はずっと僕だけを見つめていたから、時間が止まっていると錯覚してしまうほどだった。
前触れなく、目の前の彼女は立ち上がった。
コードを――白いUSBケーブルを? うなじから抜き取って。透きとおった肌の神秘的な美しさに目が吸い込まれていた。
「あ、そうだ。安心していいよ、あなたが嫌った世界はもうここにはないから」
またまた突然に、世界が変わったとのだと名も知らない彼女は言う。
「だから、ちょっとは胸を張って」
自信を持て、と僕をよく知らないはずの彼女は言う。
僕は、何もできない。体が動かない。
意志の全てを、目の前の彼女に奪われたかのように。
「あなたが生きてもいいのだと、そう思うよ」
整った焦げ茶ボブが揺れる。手がサイドテーブルに添えられて。
僕のほうを見ていた。
眩しかった。僕とは遙かに遠く、輝いていた。
彼女のうるおう瞳に、僕の弱い手足が心臓が脳が、全身全霊が囚われた。
ああ。僕は誰からも愛されなかったのに。
たった今、名前も知らない誰かに存在を認められている。
僕はまた、生まれ落ちてしまった。
「ね、瑞素」
個体名で呼ばれたのはいつ以来だろう、それどころか他人に呼びかけられたのはいつ以来だろう、人と目が合ったのは、この生で何度目だろう。
すっと、軽くなってしまった。
早歩きのあとのぬるい緑茶に、ちょっとしたあがきを肯定されたような。
何者かと対面して張りつめた心はほどよく弛緩し、息を確かめるように一呼吸ついた。
そうして、ようやく僕も言葉を発することができる。
「僕なんかと、関わらない方がいい」
錆びついた声帯から、かろうじて声は出る。部屋の無音をかき消すために、独り言は多かったから。
でも、つまりは僕の声で伝えられるのはこれだけだった。恐らく、これが最初で最後の発声。
はやく出て行ってくれと、こんな前途ない少年に関わるなと、それだけだ。
僕に干渉しようなどと、そんな聖人を通り越したとんでもないお節介な行動をとったところで誰も幸せにならない。もちろん君も、そして当然僕もだ。
「んーっと」ちょんと頬をかいて「そういうわけにはいかないから、またくる」
口から、息が抜けた。僕は他人との糸が切れなかったことに何を思ったのか。
「あっそれと、半世紀たちましたごめんなさい、って言うように言われた」
……なんの冗談か。
「じゃ、また」
ぱたん、とドアが閉じられた。部屋が少し暗くなる。僕一人になった。
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