第8話
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たとえ夜道でも何度も通い慣れた道だ。目を瞑ってでもたどり着ける。目指すはコウノトリの眠る
ミノムシのようにぶら下がっているボタンはナースコールの役目を果たす。といってもその方法は極めて原始的だ。
「カタカタカタカタッッッ!!!」
コウノトリがくちばしを震わせながら飛び立ち闇夜に紛れる。鳴かない鳥の彼らはクラッタリングと呼ばれる方法でコミュニケーションを取っている。おおよそ『任せときな!』といったところだろうか。
だがそれは時に致命的な問題を引き起こす。
「げっ、今ので絶対にバレたじゃん」
少女は急いで木から離れる。秘密のナースコールは狼煙のように居場所を知らせることになった。
彼女に行く宛てはない。逃げ出したとて、ここでの暮らし以外何も知らない箱入り娘だ。この終末世界を生きる術など何も知らない。
「……私が生きる意味って、なんなの?」
自分が置かれた立場を少しずつ自覚する。それが絶望の畔にいることを意味するのだとは信じたくない、が否定する材料がどんどん削られていく。意識が遠のく。何も、何も考えられない、いや考えたくない。このまま融けてしまえれば――
<――……、っ…………。――>
頭の奥底にノイズが響く。意識を掘り起こされるような感覚。
ああ。これより先に安寧はない。たとえ地獄であろうと、目を開いて見つめなければならぬのだと気付かされる。
「ふむ、先ほどまでここに居たようですね」
白衣をなびかせて男が言う。
「それにしても薄情なお嬢さんだ。育ての親を見捨てて一人で逃げ出すとは。そうは思いませんか?」
「……お前がその育ての親を貶めたんじゃないのか」
呆れたように大男が返す。彼の言動はいつもそうだ。何度指摘しても直す気がない。
「おやァ、そうでしたっけ。ふふふ、しかし老人一人だと慢心していましたね。こちらに人員を割かなかったのは失敗でした。まさかあれほど活発な
「それにしては嬉しそうだが」
彼の舌なめずりするような話し方は得意でない。しかしその口調から容易に機嫌をはかることが出来るのでやりやすい人間ではあった。
「いやァ、活きが良い被験体であればあるほど実験のやりがいがありますからねぇ。多くの神子はすでに壊れかけています。あんな健康体は滅多にお目にかかれないのですよ。ふふ、ふふふ……」
男は彼の考え方に賛同していない。しかしこの男に付き従うのが己の役割と自分に言い聞かせている。
<やあ、改めてこんにちは。いや、こんばんはかな?>
「それさっきも聞いた。ねぇ、この頭痛もあなたが――カミ様が原因なの」
導かれるように香住天文館の
<半分正解で、残りの半分は不正解だ。これは特定の電波帯を利用しているからミコにしか聞こえない。君たちだけに影響を及ぼしている>
特定の周波数による共鳴が頭痛を引き起こしているとも考えられていたようだ、と。それも今や昔の話。電波を用いた道具はほぼ全て国家の管理下に置かれ個人利用は認められない。昔は電話という送受信可能な道具があったらしいが、それを管理する設備も海に沈み庶民に出来ることと言えば一方的な電波の受信のみ。
彼女にとってはラジオを聴いているのと何ら変わらない。
「じゃあ、もう半分は」
瓶詰帆船を見つめる。答えが返ってくるのは頭の奥底からだが、どこかに視線を置いておかないと落ち着かない。
<それはミコの耐久性……初期症状と言い換えてもいいのかな。軽度のめまいと頭痛。ああ、これは人間も同じか。――答えを、知りたい?>
少女の表情が強ばる。
ここから先は踏み出すと決して戻れぬ茨の道。第六感という言葉すら知らない少女でもここが日常と非日常の分かれ目だとひしひしと感じる。
カミ様は少女の決意を待つかのごとく何も語らない。逃げるか、意を決して顔を上げるか。その二択を迫られている。
「…………知りたい。ついさっきまでは知らなくてもいいと思ってたけど。今は知りたい。私は何者で、何をするために生まれてきたのか。
彼女は自分の生い立ちを知っている。
「私は何も知らなくて、でもそれでいいと思ってた。知らなくたって生きていけるんだから、何も知らないまま死んでいくだけなんだって。でも、何となくそれでいいのかなって思うようになって、針の穴みたいに小さかった疑問の点が日に日に風穴みたいに大きくなって、怖くなった。その不安をなんとか押し留めてきたのに、見ないふりしてきたのに……!」
今夜、瓦解した。崩れる時はあっという間に。
<君は自分がジーンリッチだと知っているなら話は早い。どこから来たのか、という疑問には既に答えが出ているよ。それじゃあ次。ミコとは何者か、どういう存在か、についてだね>
カミ様の声は不思議だ。
慈愛に満ちていて母性があり、けれども男性的で教え諭すように彼女を導く。
<そもそもジーンリッチは文明の衰退による人類の絶滅を防ぐための手段だ。環境に適合した新人類を生み出すことに過去の人間たちは心血を注いだ。その積み重ねの結果が君たちミコという存在なのさ。うん、だけど問題が一つあった>
問題、と少女は呟く。見上げる彼女の視線の先、香住天文館が放つ光が瞬く間に空を照らしては何も見えない空間を映し出す。
<ジーンリッチはこの地上には不適合だったのさ。遺伝子配列の問題か、別の問題かなんてことはわからないけれど、ある一定の年齢まで成長すると身体に異常をきたし、やがて死に至る。十歳を超えた頃から症状が現れだし、歳を重ねるごとに生存率は下がっていく。十五歳を超えてからは一気に悪化して、成人までの生存率は限りなくゼロに近い。少なくとも知りうる限りで成人したジーンリッチはただの一人も居ない>
「……え、なにそれ。つまり、私は二十歳まで生きられないってことじゃん。多くても後五年間しか残されてない。おじーちゃんそんなこと一言も言ってなかった。……あれ、じゃあ私ってさ、やっぱり研究の対象でしかなかったってこと? ただの道具で、名前も与えられなくて、ここで何も知らずに生きて、何も知らずに死んでいく、だけの存在、だった、んだ。そう、なん……だ」
ボロボロと涙がこぼれていく。自分でも止められない。自分が生まれてきた意味、ここに今生きる意味、そんなもの知りたくなかった。何も知らずに生きていた方がよっぽど幸せだったじゃないか。
その場に崩れ落ち、涙が染み込んでいく衣服を呆然と見つめている。
<ミコ>
「私はミコなんて名前じゃないっ! そうだ、名前は、名前なんて……無いんだ……」
カミ様に吠えたところでどうしようもない。握りしめた拳には爪が食い込んでいるが、その痛みも感じない。ただ力なく項垂れることしかできなかった。
<ミコよ。カミに愛されし愛し子よ>
「私は愛されてなんか、いなかったよ……」
「そんなことないと思うけどなぁ」
背後に気配を感じ顔を上げる。チカチカと目に悪い光り方を繰り返す髪の毛。その少年には見覚えがあった。
「あなたは。あなた、は――」
「カミ様の使い、さ。まだ出番じゃなかったけど、思い違いをしてる君の誤解を解くために出しゃばってきたんだ。愛されガールのミコの君」
「……?」
少年の言葉はまるで少女には響かなかった。ちょっと悲しかった。
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