第4話

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 その日の夜、何もなかったことにして眠りにつく。


「って寝つけるわけあるかーいっ!……はぁ」

 静かな夜に、一人きりそっと部屋を抜け出す。

 気が晴れない時、考え事をしたい時、もしくは何も考えたくない時。こっそりと夜釣りに出かける。普段は危険なので禁止されているが、禁止されるとやりたくなるのはいつの時代の子どももおんなじだ。


「うぐっ、おなか空いたなぁ……」

 食欲も湧かなくてほとんど食事にも手を付けなかった。目が覚めたせいで余計と空腹が助長される。夕食の残りを口にするも、やはり食欲は回復しない。体は食事を欲しているが、気持ちが追いつかない。

 やはり夜釣りに出かけて気持ちを落ち着かせる方が先決のようだ。


 暗い夜道を歩きながら思考を巡らせる。

「もしかしてー、コウノトリのコウちゃんのことを言ってたかもしれないよー」

 老人が飼っている伝書鳩の役割を果たすコウノトリのことを話していたかもしれないと仮定する。

「いや~、コウちゃんオスだしなぁ」

 すぐに却下された。もちろんわかっていた。他に誰も居ないのだから自分以外ありえないと。

「はーあ。相変わらず何も釣れないし、耳鳴りも――何か、聞こえる」

 今までと違う、はっきりとした声に近い音が頭の中に響く。

<…………て、……を、……けて……、見つけ、て。――ぼくを、見つけて>

 はっきりと聞こえた。

 まるで救難信号のように何度も繰り返される。

「うそ。聞こえ、ちゃった。ハーメルン症候群ってやつ……?」

<来て……いちばん、……高い場所に、来て……>

「一番高い場所って……海岸沿いにある灯台のことかな」


 正確に言えばそれは灯台ではないのだが、この地域一帯を灯りで照らす姿が灯台のようだと老人が話しているのを聞いて彼女はその施設を灯台だと認識している。

 そこはほとんどの大地が水に沈んだこの世界で数少ない本物の地面が覗いている場所だった。やはり本物の地面の上と水の上に作られた人工的な地殻の上では感覚が違うのだ。灯台周辺は安定感があった。

 気持ちを落ち着かせるためにも灯台を目指さねばならぬと思った。

 瓶詰帆船ボトルシップを手に取りゆっくりと歩き出す。

 夜の海を泳ぐ船のようだ。澪標などなくとも辿り着ける。



「あった。香住天文館とうだい……本当はなんて読むんだろ」

 何も見えない真っ白な上空を見上げる。灯台の光が眩しくて何も見えないわけではない。

 今や太陽も月も星も見えない。この世界はずっと夜が続いているのだ。ただ「明るい夜」と「暗い夜」があって、明るい夜を便宜上昼と呼んでいるだけ。


<こっちだよ……こっちだよ……>

 声はずっと聞こえていた。道を間違えると「そっちは違うよ」なんて聞こえるものだから、幻聴ではないのだという安心感と、幻聴ではないのだという不安。


 昔からある半円型の施設と、その横に併設された通称『灯台』。大洪水後に建設された。本物はとうの昔に海に流されてしまった。

 施設前の広場には不思議なモニュメント。ただのテーブルだと思っていたが、正面のパネルに描かれた絵は船だと判明した今では特別な意味を持つオブジェクトに思えた。小さなくぼみがあり、まるで何かを設置してくれと言わんばかり。


 かちゃり、と。ぴったり嵌った瓶詰帆船をしばらく見つめるが、何も起こらない。地形が変形して巨大ロボが出現する様子もないし、天文館の扉が開くわけでもない。元々手動だ。


「容器から魔神が現れて願いを叶えてくれる……なんてお話みたいにはいかないか。あれ、夢のある話で好きだったんだけどな」

 幼い頃に彼女の祖父が読み聞かせてくれた昔話。願い事は三つもいらない、一つでいい。その願いを口にしたらひどく悲しそうな顔をする祖父を見て、彼女はそのお話をねだることはなかった。

 今は願いなどいらない。ここで祖父と静かに暮らすこと。それで十分だった。


<――た、……がった。やっと、……つながった。ああ、やっと――>

 頭の奥底で響く音声が鮮明になる。

「――やっと、つながった」

 背後から声。これは今までとは違う、確かにそこにいる誰かの声。

 ゆっくりと振り返る。誰も居ない――視線を下げると、彼女よりいくつか幼い少年の姿があった。


「……あなたは、何者? 私を呼んでいたのはあなたなの?」

 その少年はどう見ても普通ではなかった。髪の毛は青白く見えたかと思えば金色にも見えて、見る角度によって違うわけではなく、文字通り常に色が変化している。ホログラムの映像を見ているようだ。その割に大正時代を思わせる古風な和装で今どきこんな格好をしているような人はいない。こんな格好でうろついていたら確実に人目につく。それもこんな幼い少年ならば尚更だ。

「まず、君を呼んでいたのは僕であって僕じゃない。僕は声の主の代言者メッセンジャーであり、君とつながったことで僕が出来上がったんだ。生まれた、って言った方が人間らしいかな」

 少年は鈴を鳴らしたような美しく心地よい声で静かに、ゆっくりと応える。一陣の風が吹けば飛ばされてしまいそうな儚げな雰囲気で笑った。

「じゃあ、声の主って」

「――カミ様」

 言葉が風に乗って通り抜けてしまい、頭で理解が追いつかなかった。

「……え? 今、なんて」


「だから、カミ様さ。僕はカミ様の使いとして、君に会いに来たんだ」

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