カミノミコ

いずも

第1話

   -1-


 山の向こうは「何もない」が広がっている。名も無き少女はそう教えられてきた。



「なーんか釣れないかなぁ」

 寂れた小さな漁港の一角で少女が呟く。

 海に糸を垂らして獲物を待つ。彼女にとっての獲物は魚ではない。

 かれこれ三時間は座りっぱなしだ。そろそろ折りたたみ椅子との倦怠期に突入すると思われた矢先にウキが沈む。

「キタキタッ! すっごい大物の予感――当たったことないけど、ねっ」

 さらばマンネリ。君との時間は楽しかったはずだ。

 立ち上がり竿を引っ張り上げる。棒きれに糸を付けただけの簡素な竿は大きくしなり、まるで電動リールで巻き取るかのように海に沈んだ糸が少女の方に向かって縮んでいく。


 彼女の釣りスタイルは針に引っ掛ける伝統的な釣りとは全く異なる。

 一言で言えばのだ。沈んだ糸は毛細血管のように深く広く浸透して海面に揺蕩いながら獲物を待つ。ダウジングよろしく獲物を検知すると、対象物はまるで磁石に吸い付く砂鉄のように垂らした糸の先、つまり水面に向かって意図せず引っ張られていく。小さな背丈でも持ち上げられるほど短く収縮した糸に獲物は絡められ、それを少女は細い腕で軽々と釣り上げる。

「……なにこれ。看板?」

 彼女が得意とするのは海に沈んだ『文明の残滓ロストテクノロジー』釣りだった。



「これはペリカン便……簡単に言えば昔の輸送サービスといったところか」

 精悍な顔つきに見合った渋い声で白髪交じりの男性がいう。

 ずぶ濡れの鉄の塊をわざわざ持ち帰ったのは彼に見せるためだった。


「じーちゃん知ってるの?」

「いや、儂の爺様から聞いた話だ」

「じーちゃんのじーちゃんってことは最初の大水害が起こるよりずっと前?」

「そうさ。儂が生まれたのが最初の大水害の少し前……ああそうか、だったらペリカンも知らんのだな」

「ペリカンって描かれてるみたいなやつのこと?」

「そう。昔はな、コウノトリ以外の鳥も存在したんだ」

「コウノトリはコウノトリじゃないの? コウノじゃないトリがいたの? だったらこいつはペリカンノトリじゃん。変なクチバシー」

 すっかり色あせた看板ではあるが、その特徴的な姿はしっかりと描かれていた。

「伸びたくちばしに荷物を入れて運べそうな見た目がウケて運送会社のキャラクターに選ばれたと言われとる。コウノトリと同じくらい、もしかするとそれより大きかったかもしれん」

「じゃあこいつも飛べたんだ。もし今も生きてたら、くちばしに入れてもらって自由に移動できたのかな。あー、だからペリカン便かー」

 一人で納得する少女の笑みとは裏腹に、男性の顔は険しい。

「……たとえ移動できたとしても、山の向こうは「何もない」が広がっている」

 しまったと少女が気付いた時にはもう遅い。

 もう何度聞かされたかわからない、警句に始まるこの世界の現状と未来について、そして彼女に釘を刺す小言をつらつらと述べていく。


「――今や世界は海に沈み、一部の陸地を残してほとんどが人工的なプレートで覆われた。もはやメガフロートが本体といっても良い。さらに、地上を奪われた人類に二度目の不幸が襲った。15年前の大水害は我々が再興した文明すら奪い去った――」

 くたびれた座布団の上でずっと正座。今や座布団とお尻が同化して、もはや座布団が本体といっても良い。幾度となく聞かされ、話の内容を暗記しつつある。次に出てくるのは「希望」という単語だ。

「――無事に15歳まで育ってくれた。お前は儂の、いや儂らの『希望』なんだ」

 ほらね、という顔で応える。

 話を続けようとすると簡易ラジオが電波を受信しノイズが走る。


<……――各地で『ミコ』の子どもたちが行方不明になる事件が多発しています。ハーメルン症候群と名付けられ、不思議な声に導か、れ、、、……>

 再びノイズが混じり、電波が切断された。このラジオはもう使い物にならない。


「お前は何ともないんか。ならええ。、お前は居なくならんでおくれ」

「……もっちろーん。じーちゃんを置いて勝手に居なくなったりしないよ」

 その言葉に満足したのか話は打ち切られ、部屋を出ていく。

 ようやく解放されたと足を崩そうとするも痺れて動かせない。お尻どころか下半身が座布団と同化していた。このまま溶けていたい気分だった。仰向けになるようズルズルと寝そべると頭が硬い床に押し当てられる。どうやら頭は溶けてくれないらしい。


「ごめん、じーちゃん。嘘ついた。私本当は――」

 少女の呟きは誰に聞かれるでもなく風に飛ばされていった。

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