第6話
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「じーちゃん!」
家の前で倒れている老人を見つけるなり少女は急いで駆け寄る。
「安心せい……いつもの発作じゃろう」
「本当に!? 本当に大丈夫?」
「そんなに心配ならコウノトリでも飛ばしておけ。あれに緊急信号を付けておけば、かかりつけ医が山を越えて駆けつけてくるわい」
「わかった。後でコウちゃん飛ばしておくね」
伝書鳩ならぬ伝書鸛は通信手段の制限されたこの時代において情報伝達手段として一般的だ。正確に言えばコウノトリというのも想像しうる生物とは異なっているが、ここでは割愛する。
「あーよかった。ひょっとしてじーちゃん昼間の人たちに何かされたのかと思っちゃったよ」
安堵からつい口を滑らせてしまい、しまったと気づいて口を押さえた時にはすでに遅く老人の表情が曇っていくのが見て取れた。
「……やはり、見られていたのか」
「ご、ごめん。隠すつもりは無かったんだよ。ただ、あんまりいい雰囲気じゃなかったから、何かあったのかなって。本当に配送の人?」
まっすぐ見つめる少女の瞳から逃れるように老人は顔を背けていたが、やがて決意したかのようにその瞳を見つめ返す。
「いまさらただの配送員と言って納得させるような子供だましも通用するまい。お前ももう15歳、一人前のミコとして生き方を選ぶ時がやってきたのだ」
その言葉は少女をひどく動揺させた。これ以上知ることは今の平穏な暮らしを壊してしまいそうな、そんな真実が告げられる予感がした。
知りたくないという思いと知りたいという思いが交錯する。言葉が出てこない。後は彼女の覚悟だけだと彼女自身が気付いている。
「――おやァ」
その覚悟を蝕むように背後から男の声がする。粘り気を含む、耳障りの悪い声だった。
「おかしいですねぇ。お二人ともぐっすり眠っていると思っていたのですが」
男が二人、一人はワカメを載せたような髪型に白衣に身を包んだいかにも研究職という男で、もう一方はがっしりとした体型で威圧感のあるパワータイプ。喋っているのは前者で、不気味に笑うと細い目がさらに隠れて仮面でも被っているように見える。
「だれ……。そうだ、昼間の、配送の……」
恐らく老人と言い争っていたのは白衣の男だ。
「ええ、そうです。配達員のお兄さんです。どうでしたか、私の食材は? この痩せこけた土地では採れないような実りの良いものを選んだつもりですが。まあ、調整剤で見栄えにはいくらか手を加えましたけど」
「……何を入れた。あの食材を食べてからおかしくなったのは明白だ」
「いやいやご心配なく。ただの睡眠安定剤ですよ。ちょっとばかし効き目が強いんで、二、三日は眠ることになるかもしれませんけどね。そちらのお嬢さんは平気なところを見ると、残念ながら食べてはおられないご様子だ」
彼女が夕食を取らなかったのは偶然だ。そして先ほど口にした時にあまり手が進まなかったのも偶然だと思っていた。しかしその違和感の正体に気付く。普段口にする食事と味が違いすぎたのだ。
輸送経路は遮断され、遠方の食材を運搬する技術はほとんど失われた現代において、地産でない生鮮食材を口にする機会などほとんど無い。その僅かな違和感が本能的に危険回避へと向かったのかもしれない。
「逃げ……ろ。あいつらの目的はお前だ。儂のことなど構うな。行、け……」
「じーちゃん! しっかりして!」
「これで、いい。山の向こうに広がる世界を……お前に見せてやれる」
「山の向こうは「何もない」って」
「お前はそれを確かめに行きたいのだろう。気づいておらぬとでも?」
「……じーちゃん」
「この世界はな、たとえ滅びゆくとしても美しいのだ。お前が生きるこの世界の素晴らしさを、どうか……その、目に……」
「……」
老人はそのまま意識を失う。
少女は迫りくる脅威に怯むことなく振り返り、睨みつける。
不測の事態に備え、常に冷静沈着でいること。老人から叩き込まれた釣りの極意は非常事態でも彼女を奮い立たせた。
「おっと、そう怖い顔をなさらずに。我々も穏便に済ませたいのですよ。ええ、まずは話し合いをしましょう。お嬢さん、貴方のお名前は?」
蛇が獲物に絡まるようにゆっくりと静かに、しかし確実に這い寄ってくる。その声は頬をかすめて再び舞い戻り、螺旋の渦を描きながら巻き付くように鼓膜へ届く。
「……ミコ。私はミコだ」
不快に纏わり付く空気を払いのけるように気丈に振る舞う。そうでもしないと今にも足の震えが止まらなくなりそうだから。
「ミコというのは役割でしょう。そうではなくて、貴方自身のお名前です」
まただ。
この男も役割と言う。あの不思議な少年といい、なんだってみんなして意味のわからないことを言っているんだ。少女は眉をひそめる。
「……ふむ。なァるほどぉ。理解しました。つまり貴方はミコという呼び名でしか呼ばれていなかったと。それはそれは。やはり研究者の性というやつなんでしょうなァ」
男は一人で勝手に納得し、高らかに笑い声を上げる。
少女はこの男の目がひどく不快だった。最初に会った時から向けられるいる視線が見下されているような感覚だった。それはただこの男が高慢だからだと思っていたが、どうにもそれだけではないことに気付く。
「被検体にいちいち名前を付けていたら情がわいてしまうものです。記号や番号といった個体識別要素があれば名前など必要がありませんからね」
「……何が言いたいの。意味わかんないんだけど」
もはや敵意を隠す必要すらない。少女の冷たい視線すら心地よさそうに嘲笑する男に狂気すら感じる。
小刻みに笑いをこらえながら一呼吸置いて、男は口角を上げる。久しく月の昇っていない夜の闇に三日月が堕ちてきたかのように。
「貴方は愛されてなどいなかったのですよ、
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