推しの居ない夏

萌木野めい

国道沿いのファミレスにて

「あのね、みーんな、推しがいるの」


 すみれはファミレスのボックス席で頬杖を付き、パーマの落ちかけたボブヘアの毛先を指でくるくるといじりながら、向かい合う耀あきらに言った。

 時間は午後十時過ぎ。八月の夜のむわんとした気怠さはファミレスの中にも容赦なく染み込んでくる。

 田舎よろしく、この周りには本当に何もない。窓から見えるのは点々と続く街灯の明かりと、それに群がる蛾、偶に通り過ぎる車のヘッドライトのみだ。新幹線で数時間かかる都会の大学に進学したすみれは大学一年生の夏休み、生まれて初めて帰省という行為をやってみているところだった。


「推し、ねえ……」


 大学入学のために家を出た三月から数えて五ヶ月ぶりに会った耀あきらは明るいオレンジを基調としたファミレスの制服姿で、ぽりぽりと短い黒髪の後頭部を掻いた。

 今は帰宅部らしいが中学まで陸上部だった名残がある体躯には、制服のファンシーさが何だか不釣り合いだ。


 耀あきらとすみれは実家同士が隣り合った幼馴染だ。中学卒業後に地元の高専に進学した耀は、親戚の経営するこのファミレスで長いことバイトしている。この時間は殆ど客が居ないし、親戚の経営というのもあって、暇な時間ならこうやってすみれと適当にドリンクバーを飲んでいてもお咎め無しだ。


 すみれと三日違いで生まれた耀あきらはすみれにとってほぼ兄弟のような存在だった。行き過ぎた友達とでも言おうか。

 耀あきらの兄とすみれの兄が同じ学年だった事もあり、耀あきらとすみれは互いの家を自由に行き来した。どちらの家も家族ぐるみで自分の家みたいで、互いの家の冷蔵庫を勝手に開けてアイスを食べても大丈夫な関係だった。


「アイドルとかゲームのキャラとか漫画とか俳優さんとか声優さんとか。私だけなーんにも、無くてさ……」


 すみれはそう言ってファミレスのテーブルに突っ伏す。必死の受験勉強が実って第一志望の都会の大学に入学したが、そこで仲良くなった女の子グループはみんな元から都会に住んでいる子達ばかりだった。

 すみれはいつも何となく話題に上手く入れなくて、口籠ることが多かった。その子達もすみれが馴染めていないことは分かっている様子だったが、みんないい子だからそんな事ですみれをハブったりはしない。

 その何とも言えない惨めさを思い出し、すみれの胸はちくちくと傷んだ。せめて、推しだけでも作れば少しは輪に馴染めるかもしれないのだ。

 期待だけを胸に抱いて入学したのに、こんな事で悩むなんて思いもしなかった。


「それってそんなに落ち込む事か?」


 手にしたドリンクバーのオレンジジュースを啜りながら、耀あきらは少し呆れた感じで聞き返す。


耀あきらには分かんないよーだ」


「じゃあ俺に相談すんなっての」


「うっ……」


 確かに耀あきらの言う通りだが、敢えて相談したのには理由がある。

 昨日、すみれと同じ様に都会の大学へ進学し帰省している高校時代の女友達三人と集まったら、彼女らにはそんな悩みはてんで無さそうでとても言い出せなかったのだ。

 実家では親や兄貴に聞かれるのが嫌なので、この時間にわざわざ原付で耀あきらのバイト先まで来た。

 でも、もしかしたら迷惑だったのかもしれない。今日の耀あきらはすみれの記憶よりもすごく無口で仏頂面だからだ。兄弟みたいな仲なんだし、迷惑なら迷惑と言って欲しいと思いつつ、すみれはもう一度口を開いた。


「だから私、夏休みの間に、絶対『推し』を作るの!」


「ふーん、へえ」


 耀あきらは、心の底から興味無さそうに、自分の指先のささくれをいじりながら適当に返した。


「もー! 耀あきらも手伝って! 私の大学生活応援してよね! 私の『推し』になりそうな人を探してよ」


「お前が好きそうな男を挙げろってこと?」


 耀あきらがきつく眉をひそめたのですみれは思わず怯んだ。基本的にいつもへらへらしている耀あきらのそんな顔を見た記憶が無かったからだ。


「まあ、あんたが乙女ゲーのキャラとかアイドルとか知ってる筈無いもんね……」


 すみれが語気を弱めると、耀あきらは大きな溜息を付いた。


「……すみれの頼みなら手伝ってやらなくもないけど」


「へっ? 本当?」


 すみれは想像より好意的な耀あきらの返事に、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「つっても、マジで分かんねーけどな。俺バスケ好きだからNBAの選手なら推し、いなくも無いけど」


「えーNBA? うーん……現時点で完全に興味ないけど、試す価値はあるかも……」


「お前、めちゃくちゃ失礼だぞ」


 耀あきらが眉を吊り上げ、また心底迷惑そうな顔をした。すみれは気まずくなり、耀あきらと自分のドリンクバーのコップをさっと手に取って立ち上がった。


「の、飲み物持ってくるよ」


「同じので」


 すみれは頷くと、ぱたぱたと足早にドリンクバーコーナーへと向かった。


 —


 耀あきらは眉を吊り上げたまま、ドリンクバーコーナーへ小走りで向かっていったすみれの後ろ姿を見ながら、もう一度ため息をついた。

 上京してしまった片思いの女の子に久しぶりに二人きりで会えると言う胸の高鳴りを絶対に悟らせない様に仏頂面を作り続けていた耀あきらは、約半年ぶりに再会したすみれのあまりの垢抜け方に内心、激しく動揺していた。


 髪の毛がふわふわしているし、見慣れたユニクロではない、縁にひらひらの着いた都会っぽいTシャツを着ている。しかも何かいい匂いがした。


 都会に行った幼馴染の変わりぶり、と言うめちゃくちゃベタな部分にベタに慌てる自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、耀あきらはそれを悟られない様にするのに必死だった。


 しかし、すみれは久しぶりに会った耀あきらに微塵も慌てる様子が無いことが、耀あきらの気持ちをすっと鎮まらせもした。

 すみれが好きそうな男探しを頼まれたのが、何よりの証拠だ。


 遠距離の片思いになってしまった好きな女の子の頼みを断る選択肢なんて無かった。でも、この願いを手伝ってやったらすみれは耀あきらからもっと遠ざかってしまうと冷静に判断できない程に耀あきらは動揺していたのだ。


「私だけ、なーんにも無くてさ」というすみれの言葉が少しの胸の痛みと共に反復される。兄弟みたいな幼馴染は都会の大学では、なーんにも無いことにされている。


 すみれは耀あきらのコップにめいいっぱい氷を入れ、オレンジジュースを注いでいる。耀あきらが小さい時からそうやるのが好きだと知っているからだ。


「俺を推したらいいと思うんだけどな」


 耀あきらはすみれに絶対聞こえないであろう小さな声で、一人呟く。

 そんな恥ずかしい事をこの夏休みの間に、すみれに伝えられるだろうか。その自信はまだ無い。

 両手にオレンジジュースを入れたコップを持ったすみれがこちらに笑顔で向かって来た。

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推しの居ない夏 萌木野めい @fussafusa

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