「イントロ」その5
二人が出会った西新宿一丁目の交差点を一台のセダンが大胆にUターンした。
前輪を軸に、後輪を横滑りさせながら反対車線に侵入する。轟はあたりの平穏を侵食し、人々の注意を向けさせた。
それはAでさえも一瞥するほどだった。ただ、彼は一瞥しただけであって、すぐにBの方へ向き直る。車の中に誰がいたのか確認していなかった。
車の中には二人の刑事がいた。一人をCといい、もう一人をヤマモトといった。運転席にいるのはヤマモトだった。
「お前、なかなか派手な運転をするんだな」
Cは目を大きく見開いてヤマモトのことを見た。ヤマモトは目と耳を覆うくらいの長髪で、やや痩せ気味の若者だった。おまけにくたびれたスーツを身につけているため、貧弱っぽさに拍車をかけている。
「いえ、Cさんが急げとおっしゃるので……」
「確かに道を間違えた時に、遅れるぞとは言ったが、道交法を違反してまで急げとは言ってないぞ」
「……すみません、次からは気をつけます」
ヤマモトは謝罪を述べると、あからさまに肩を落とした。その姿にCは少し罪悪感を覚える。ああ、今のは少しきつく当たりすぎたかもしれない。
彼はヤマモトの肩を叩いた。
「まあ、そんなに気にすんなって。まだ配属されて一日目なんだろ? 気張ることはないから、落ち着いて行こう」
そう言って笑みを浮かべる。だが、彼は自分の笑顔が引きつっている自覚があった。心中では、とんでもないやつが入ってきたな、と思っていたからだ。
ヤマモトは今日、Cが所属する代々木警察署刑事課に配属された。だが挨拶もほどほどに管内で事件が発生したため、二人はコンビを組んで現場に赴くこととなった。
現場へは通例として後輩の運転で行くことになっている。Cもそれに倣ってヤマモトに運転を任せたものの、彼は道が分かっておらず本来曲がるべき交差点で曲がらなかった。
このままいけば、見当違いな方向に行ってしまう。Cが急いで引き返すように指示を出したとき、新米刑事は先ほどのスピンターンを披露してみせたのだ。
最近の若者は勢いがあるというが、彼もその一人なのだろうか。
Cはヤキモキしながら、ヤマモトに道を案内した。事件現場のある高校は一度、脇道に入ってから国道二十号線に沿って進まなければならず、たしかに分かりづらかった。ナビのないこの車では迷走することも必然かもしれない。
二人を乗せたセダンは所定の位置で曲がると、全幅ギリギリの小道を進んだ。左手には巨大な建造物がそびえる。
直方体というシンプルな構造、車の窓を埋め尽くすほど大きなコンクリートの壁。そこに規則正しく張り巡らされた窓は一つ一つが目のようで、不気味に思えた。
生徒数、二万を超える都内有数の私立大学、第一大学の本部キャンパスである。この大学の附属高校にあたる第一高等学校が今回の事件現場だ。
第一高等学校の校舎は、この巨大な建築物の裏に追随するような形で建てられた六階建の建物だった。周囲は平時であれば閑静な住宅街で、目と鼻の先に国道二十号線があるとは思えないほど静かである。
しかし、そんな住宅街も今日は騒がしかった。高校の校門前にはすでに多くの警察車両が詰め掛けている。ただでさえ車一台が通るのもやっとの往来なのに、こんなに集まっては人の通れるスペースがない。通りの向こう側では、制服警官が交通整理を行なっていた。
車から降りたCとヤマモトは、先に現着していた警察官に案内されて校舎裏にやってきた。そこは住宅路との境目にフェンスが立てられた陰気くさい、日当たりの悪いところだった。おかげで気温は低くなったが、不快度指数は高くなった。
「遅いぞ、二人とも」
事件現場ではすでに鑑識による現場検証が行われていた。その様子を見ていた小柄の男が二人に声をかける。男は代々木警察署刑事課の課長で、名をDといった。
「一番早くに出ていったはずのお前らが、なんで一番最後にやってくるんだ」
Dは怒っている様子はなかったが、その言葉には棘があった。
「すみません。ヤマモトに運転を任せたら、彼が道に迷ってしまいまして……」
Cとともにヤマモトは頭を下げた。Dはしばしヤマモトのことを見ていたが、やがて視線をずらす。
「まあ、いい。次からは気をつけろ。俺はここの校長と教頭に挨拶へ行ってくる。現着時の説明は彼から聞け」
Dに指差されたのは、現場保存に協力していた若い制服警察官だった。名指しされた制服警官は二人に対して勢いよく敬礼する。制帽の隙間から見える濃い眉毛と、上がった頬骨が印象的だ。その風貌から、彼が現場に着任してからまだ日が浅いことが伺える。Cはかつての自分を思い出した。
「お疲れ様です。自分が通報を受けて一番に駆けつけました」
「ご苦労様です。早速ですが、現着時の様子を教えてください」
「はい。通報があったのは午前九時半ごろ。この学校の用務員からでした。何でも、校舎裏に不気味なものがあると言うので、駆けつけたんです」
「不気味なもの?」
Cは思わず眉をひそめた。それに応えるかのように制服警官は苦笑を浮かべる。
「ひとまず、現場を見てもらった方がいいですよね。この規制テープの先にそれがあるので、ついて来てください」
そう言って制服警官はさっさとテープの先へ進んでしまった。Cとヤマモトも慌てて彼の跡を追う。現場は鑑識が検証中だったため、シューズカバーをつけた。
規制テープの中へ一歩入ると、そこは別世界のようだった。風景は変わらず陰気な校舎裏であることに変わりないが、数多のシャッター音や数字板が散逸している。それらが、見慣れた景色を異世界に変貌させた。
湿ったコンクリートもその隅に生えた雑草の残骸も、地下室の廊下や魔法薬草のように見える。そんな近未来と神秘が入り混じった異世界を、三人は進んでいった。
しばらく進むと、それがあった。
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