「ブレイクダウンA」その3

 警察手帳の表面には文字やマークなどは一切描かれていない。一方で手帳を開くと、今まで隠されてきた公権力が開花する。

 下面には立派な金属製の記章が金と銀のツートーンで施され、上面にはかの者の制服写真と階級、氏名などが明記されている。まさに、自分の絶対的な立場を示す現代の紋所が、この警察手帳なのである。


 いま、掲げられた警察手帳には階級に巡査部長、そして氏名には「C」の文字があった。


 向かい合うは、第一高等学校の教頭、そして二十代前半の男性教諭。


 教諭はBの担任をしている。


 屋上の防犯カメラが捉えた衝撃的な映像。警察は映像を分析して、ポニーテールの少女が第一高校の生徒、Bであることを突き止めた。

 Cはこの事実を学校側に伝え、彼女の担任や責任者に話を聞きたいと申し出た。しかし学校側との調整は難航し、昼休みに教頭と担任から話を聞くことで約束を取り付けた。


 そして、迎えた昼休み。いま目の前にいる教頭と担任が応接室に姿を現した。学校側いわく、二人は貴重な昼休みの仕事を返上して対応するとのことらしい。


 やはり、学校の先生はそこまで忙しいものなのか。Cはそんな思いに耽っていた。

 ヤマモトは今回も警察手帳を出さなかった。


「あの——」


 革製のソファに腰を据えるなり、教頭が切り出してきた。教頭は、頭皮が見えるくらい薄い髪の毛と、大きな丸渕メガネが印象的な初老の男性だった。渋みをお洒落と思っているのか、濃緑色のスーツを羽織り、これまたくすんだ赤色のネクタイを身につけている。


「やはり、自殺したのはうちの生徒で間違いないのでしょうか」


 どうやら私立高校の教頭として、学校の体裁を気にしているようだった。Cにはその理由も分からないわけではなかった。そのため、現状について正直に言う。


「前例のないことですので、まだなんとも言えません。そもそも、あれが人なのかどうかも、鑑識の結果を待たないで断言はできません」


「しかし、うちの生徒の一人が屋上から飛び降りる様子が防犯カメラに映っていた。そうお聞きしたのですが、そうなりますと、やはり——」


「もしかしたら、何かトリックを使ったのかもしれません。どのみち、現段階で我々から断定した事実をお伝えすることはできません」


 Cは徹底して自分が第一情報源であることを意識した。ここで下手なことを言えば、学校側をパニックに陥らせてしまう。だから、彼らに渡す情報はきちんと吟味しなければならない。これは、刑事となって六年目になる彼が習得した知恵の一つだった。


「それで、うちのクラスのBに話を聞きたいと?」


 若手の担任が口を開けた。彼は黒目が小さく、背の低い男であった。前髪もヤマモトほどではないが、目にかかるくらい長い。


「そうです。あの映像には二人の女子生徒が映っていて、そのうち身元が判明しているのが彼女しかおりません。ですので、彼女から話を聞きたいと思っています」


「ただ、先ほども事務を通して回答した通り、Bは今日、学校には来ておりません」


「その理由は……ご存知だったりしますか」


 Cは質問の途中で、その答えが既に学校側から提示されていたことを思い出した。しかし、学校側かれらが何か隠している恐れがある。閉鎖的な組織は往々にして事実を隠蔽しがちだからだ。それを確認するためにも、本人に尋ねるべきだと考え、質問を強行した。


「いえ、家からは休むなどの連絡は来ていません。無断欠席です」


 どうやら、Bの欠席理由が不明であることは本当らしい。


「そうですか……。では、Bという生徒について教えてください。彼女はどのような生徒でしたか? 何か友人とトラブルを起こしたりとか、巻き込まれたりとかありましたでしょうか?」

「いえ、普通の生徒でしたよ。……特に問題やトラブルなども……起こしていなかったような、気がします」


 担任はじゃっかん言葉を詰まらせながら視線を外した。明らかに後ろめたい何かがあることは間違いなかった。

 ここでCは問い詰めるべきか迷った。刑事としては確認のためにも問いただしたほうが良いのだろう。

 しかし、たとえそうしたところで、確度をもったNOが返ってくるだけだろう。加えて下手に警戒心を抱かれては、今後捜査に協力してくれなくなる可能性が高い。

 そんな思考回路を経て、彼は問い詰めないことで行動を可決する。聴取では押すことも大事だが、それ以上に引くタイミングが大切。これも刑事六年目の彼が習得した知恵の一つだった。


 ところが、そんな知恵が働いていない人物がいた。



   「本当になにもなかったんですか?」

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