「イントロ」その7

 警備室に向かう道中、ヤマモトが小声で話しかけてきた。


「あの……、なんか、あの用務員さん、喋り方が変じゃありませんでした?」


 急に小声で話しかけて来たため、Cは驚くと同時に眉をひそめた。なんだってこんな時にそんな話題を出すのだろうか。


「そうか? そうでもないと思うぞ?」


 そう言ってさらりと話題を終わらせる。現にCは用務員の言葉遣いに全く違和感を覚えていなかった。覚えていないのだから、そこで話題を終わらせるのは当然である。だが、ヤマモトは納得いっていない様子で、


「そうですか。なんか、ここ数週間でお年寄りの方の口調が変わった気がするんですよね」

 とぼやいていた。Cはそれに対して何も反応せずに警備室へ入った。


 屋上にある防犯カメラは階段から屋上へ続く入り口側に設置してある。そのため、どのような経路をたどっても、屋上へ向かうとなると最後にはここを通らなければならない。カメラには入り口から屋上までと、その先にある金網フェンスをデフォルトで映していた。


 Cは警備員に頼んで今朝の六時ごろから記録を進めた。特に変わった様子もなく過ぎていくと、六時五十分あたりで一人の女子生徒が屋上に上がってきた。

 少女の髪はミディアムヘアで背丈は平均的に見える。しかし、防犯カメラは入り口から屋上側に向けて設置されているため、屋上へ出ていく少女の顔を映し出すことはできていない。


 彼女があの大きな〝作りもの〟を落としたのだろうか? それにしてはあまりにも身軽すぎる。事件と何ら関係ない生徒か、もしくは下見に来たのだろうか。

 ふと、Cの脳裏に校舎裏で散らばる例の物体がよぎった。あれもミディアムヘアの女子高生だった。

 彼は心の中で苦笑を浮かべる。


   いやいやいやいや……。


 するとどうだろう。屋上に出た女子高生は迷うことなく歩を進め、ついには首くらいの高さにあるフェンスを跨いで屋上のへりに立ったではないか。一歩間違えれば取り返しのつかない場所。分不相応の風が吹いていた。風は彼女のスカートを揺らす。まるで正義のヒーローのマントのように、その姿は誇らしく見えた。


 この展開にはCも含め、映像を確認していた全員がどよめいた。


 まさか。だって、あそこに散らばっているのは死体じゃないんだぞ。


 しかし少女の立った場所は、ちょうど事件現場の真上に位置していた。


 驚きを隠せないCたちだったが、さらに驚くべきことが起きる。なんと、入り口からもう一人の女子高生が駆けて来たのだ。フェンス越しにいる彼女と同じ制服で、背丈は彼女より低めだろうか。うなじにかかったポニーテールが印象的だった。生憎、こちらも顔を見ることは叶わない。


 ポニーテールの彼女はフェンス越しにいる彼女に声をかけたようだ。フェンス越しの彼女は金網に捕まり、少女の様子を伺う。その顔は髪に隠れて輪郭すらも分からない。

 ただ、どうやらポニーテールの彼女が、今まさに飛び降りようとするフェンス越しの彼女を止めているように見えた。


 時刻は六時五十三分。一体、このあとどうなるんだ。誰もが固唾を飲んで映像の行く末を見守った。


 映像の中で、二人はしばらく問答を続けているようだった。様子からしてポニーテールの彼女が押されているのがわかる。わずかに見える右手が握られている様子や、肩の小刻みな震えがそれを物語っていた。


 Cは自分の鼓動が耳で聞こえるくらいまでに高鳴っている自覚があった。心音はまるで時計の針のようだ。心拍が重なるごとに、ポニーテールの少女が言い返せなくなっていった。


 彼はいつの間にか自分が刑事であることを忘れ、ポニーテールの彼女を応援するようになっていた。それはとても不可思議なことだった。なぜなら、いくら願ったところで結果は目に見えているのだから。

 しかし、Cは祈らずにはいられなかった。これは演劇部の練習で、リアルな飴細工とは一切関係ない、と。


 時刻は六時五十九分。二人の間に一陣の風が吹いた。そのとき、こちらを伺っていたフェンス越しの彼女の髪が揺れる。おかげで顔全体までは見えなかったが、口元を見ることができた。何の装飾もされていない綺麗で幼いくちびるだった。


 少女の口が動いた。映像だけのため、なんて言ったかは分からない。しかし、Cには彼女が「さようなら」と言っているように見えた。



「あ!」



 次の瞬間、モニターに釘付けになっていた人々が一斉に声を上げた。フェンス越しの少女が落下したからだ。それは空を目指した羽ばたきでもなく、死を決意した跳躍でもない。ただいつも通り歩くかのように一歩前へ踏み出して、そして重力加速度にしたがって瞬く間に画面から消えた。


 ポニーテールの彼女も思わずフェンスに近寄る。だが、時すでに遅し。フェンス越しの彼女が屋上に戻ることはなかった。


 時刻は午前七時を指していた。


 とんでもないことになったな。

 Cを含め、その場にいた誰もがこう思ったはずである。一人は慌てて警備員室から出て行った。おそらく現場責任者のDを呼びに行ったのだろう。どのような経緯でフェンス越しの彼女があの奇妙なオブジェに相成ったかは不明だが、捜査本部が置かれることは間違いない。


 えらいことになったな。

 Cは一周回って同じ結論に戻ると嘆息をついた。ひとまずこの映像は鑑識か科捜研で分析して、二人の正体を掴まなければならない。あの二人が事件の鍵を握っていることは間違いないのだから。



「あ!」



 部屋の中にいた一人が声を上げた。それは、湖面に落ちた一滴のしずくのように、ざわめく部屋を黙らせた。誰もが声のした方を向く。声を上げたのはヤマモトだった。


「もう一人の少女が振り向きました」


 ヤマモトがそう言うのとほぼ同時に、刑事たちは再びモニターの前に集まった。確かに画面の中には、一人取り残されたポニーテールの少女が振り向いてこちらに顔を見せている。少女は化粧などせず、釣り上がった眉だけを整えた飾り気のない顔をしていた。


 こちらを見て防犯カメラの存在に気づいたのか、少女の眼は底のない穴のように虚ろであった。しかし、すぐに濃褐色の瞳孔には悲しみが滲む。そんな彼女を見てCは胸の奥が締まる思いがした。その原因を彼は知らない。



 少女の名をBという。



 そして、Cとヤマモトが彼女の正体に気づくのは、もう少し後の話である。

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