「ブレイクダウンA」その2
Aは目を見開いた。
自分が〈力〉の持ち主であることは、警察上層部でさえほとんど知らない情報である。それをどうして一般市民であるはずの彼女は知っているのだろうか。
もしや——。
Aは万が一を想定した。
「どうしてそう思うんだい?」
今度は茶化す気配を見せず、真剣な口調で尋ねる。すると、Bはじゃっかん引き気味にこう答えた。
「だって、さっきの現場で超能力を使っていたじゃないですか。わたし、見ていたんです。瞳が虹色に変わるところを。その直後に犯人の女性が倒れていた。あれは、あなたが能力を使ったから転んだんでしょう?」
それを聞いてAは肩の力を抜いた。よもや〈敵〉の刺客ではないかと疑ってしまった。先ほどの〈神〉の一件があってから、少々考えすぎていたらしい。Aは微笑を浮かべて俯くと、頼んだコーヒーを一杯飲んだ。
「そうか、見られてしまっていたか。だから、私に声をかけたのだね」
Aは〈力〉を使うとき、眼が虹色になる。それに気付かれないためにも、彼は〈力〉を使うとき、決まって大衆の注意を自分以外に逸らすようにしていた。
先ほどの事件だってそうだ。刑事や野次馬含めて、全員を逃亡する女性に向かせてから〈力〉を使っていた。
「そうです。わたしの名前を変えるとしたら、超能力しかありえない。だから、同じ超能力者であるあなたに声をかけたんです」
Bはこくりと頷いた。Aはふむと唸る。彼女が自分を超能力者として頼ったとしても、そもそも手がかりが何もない。Bの名前が変えられた痕跡は? 現に、彼女の学生証にはBの名前が印字されている。おそらく戸籍を調べても、改ざんの跡は見つからないだろう。それではまるで、死体がない殺人事件を捜査しているようなものだ。
ただ、Aはその手の事件は大好物である。
「だとしても、だ」
Aは言った。なるほど。どうやら少女が病気などではなく、本気で自分の名前がないと思っている。
なるほど。そして彼女は自分が超能力者であることを知っている。
なるほど。だから彼女は自分に名前を変えられた原因を調べてほしいらしい。
名前を変えられた証拠はないが、それ自体は造作のないことだ。捜査方針も固まりつつある。それでも、彼にはどうしても分からないことがあった。
「どうして元の名前に戻してほしいんだい? 別段、今の名前でも困っていないだろう」
「それは……」
彼の指摘にBは俯いて口をつぐんでしまった。その眼は意図的にAから逸らされ、唇も拒絶するかのように固く結ばれている。Aは彼女の態度に一種の怯えを見出した。しかし、それでも彼には彼女が今の質問で怯える理由は分からなかった。怯えの理由は想像できる。それが、なぜ名前と結びつくのか分からない。
いや、そもそもなぜ、彼女はここまで名前にこだわるのだろう。名前なんて自己と他者を識別するための記号にすぎないというのに。
その解に辿り着いたとき、Aの心の中に一種のモヤが生まれた。まるで、今の答えが自分の中に存在する最適解ではないかのように。
どういうことだ。今までこんな精神反応、有したことはなかったぞ。
未知の感情。しかし、それは彼にとって些末なことであった。目の前にはもっと重要な問題が迫っているのだから。
警官はその姿に似合わず、手拍子をした
「よし、わかった。君は一度、学校に行きなさい。その間に私が手がかりを集めておくから。待ち合わせは放課後でもいいかな。再び集合したら、捜査状況を報告してあげよう。なあに。もしかしたら原因が分かっているかもしれないしね」
「……それは、いやです」
「どうしてだい?」
「————」
「だんまりじゃ何も分からないぞ。学校には行っておきたまえ。
それでもBは俯いたまま頑なに動こうとしなかった。Aはため息を一つついた。
「分かった。学校に行くかどうかはひとまず置いといて、一旦このカフェから出よう。警官と女子高生が二人っきりでドトールコーヒーにいる。それは、はたから見ればなかなか珍奇な光景だ。だから、とりあえず席を立とうじゃないか」
「チンキだって……。このカフェに誘ったの、おまわりさんじゃないですか」
少女の一言にAは言葉を詰まらせてしまった。特別捜査官はどこにも所属していないゆえに、自分のデスクを持っていない。だから話を聞くとなると、自然とカフェくらいしか思いつかなかったのだ。
Aは珍しく顔を歪ませた。それを見て今度はBがため息をつく。
「なんか、本当に警察官かどうかも疑わしくなってきました」
この状況でそのセリフはぐうの音も出ない。
「いちおう、確認のために警察手帳とか見せてもらってもいいですか?」
警察官が警察官であることを証明するための警察手帳。これは偽装など許されない唯一無二の代物である。これを出さないわけには、Bを納得させることは難しかった。
Aは嘆息を一つついて、内ポケットから警察手帳を取り出した。
気づけば、カフェの中はため息で一杯になっていた。
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