最終話:生きる者の決断

 ボロ小屋へ戻る前に、寄り道で福饅頭を買った。下手に食材を仕入れるよりも安くつくのだ、毎日のように食っている。


「悪いが、今日限りだ」

「はあ」


 馴染みとなった店主に言われ、なぜと問いはしない。春海チュンハイがあの父子と関わりあることを、今さらに知ったのだろう。

 今日の分だけでも売ってくれることに感謝した。


「ああ、いや違う。うちも店を畳むんだ」


 気にせぬ素振りをしたつもりだが、恰幅のいい店主は慌てて取り繕った。

 様子からすると、こちらの考えを察して否定している。愛想のいい男でないけれども、心から同情を返せた。


「えっ、それは——残念なことです」


(でもこれは、いい兆しなのかも)

 客足の良さそうな店を背に、歩みが早まる。ボロ小屋が見える頃には、全力に近い駆け足だった。


「ねえ破浪ポーラン!」

「珍しいね、きみがそんなに慌てるなんて」


 彼は引き潮の浜にしゃがむ。偉浪ウェイランと話せる距離だが、その様子はなかった。


 駆け寄った足下にざるがあって、中身を蹴散らしそうになる。大ぶりの蛤が幾つかと、浅蜊が両手分。

 さっと彼が持ち上げ、貴重な食料を失わずに済んだ。


「お土産があるの」

「匂いで分かるよ、福饅頭だろ?」

「あ、うん、それはそうだけど。そうそう、お店を閉めるからこれで終わりなんですって」


 肉々しくも香ばしい匂いを、胸いっぱいに破浪ポーランは吸い込む。

 同じ店のばかりで飽き飽きだと言うのか、もう食べられないのは残念と惜しむのか。この表情だけを見たのでは、きっと誰にも分からない。

 私以外には、と苦笑した。


「新しく人を呼ぼうって動きもあるみたいだけどね。まあ仕方ないよ、うまくいくか保証もないんだ」


 その通り、事情は誰しも異なる。頷き、院長から受け取った絹の包みを突き出した。


「私、やりたいことがあるの」

「いいね。でも何だろう?」


 包みを受け取りつつ、彼は口角を上げて見せた。

 春海チュンハイにだけは甘い男だ。最近ようやく気づいたが、自分から甘えることはしないよう努めている。

 戻ってこられぬ深い沼と感じて。


「福饅頭は、ジンのどこにでもあるんでしょう? いちばんおいしいのを見つけに行くの。あなたと最初に約束したことよ」

「えっ、国じゅうを? 約束はしたけどさ」


 既に破浪ポーランの知っている、杭港ハンガンにある店を紹介する。それが約束だったはずと、さすがの彼も顔に浮かべた。


「その絹はね、僧院で受け取ったの。鬼徳神ゲドの像が砕けて、中から出てきたそうよ。私は読んでいないけど、お母さまからあなたたちへの信書だって」


 美丈夫が強張る。包みの表と裏をひらひらさせていた手が止まり、射抜かんばかりに見つめた。

 息詰まった彼の呼吸が戻るまで待ち、包みが開かれる前に言葉を続ける。


「お母様は、ずっと西のお生まれと聞いたわ。南の端からぐるりと回って、皇都へも行って、またこの町へ帰ってくるのはどうかしら」

「どこかも分からない、母さんの故郷を捜して? 一生かかっても回りきれるか分からない旅だね」


 答えながらも破浪ポーランの目は、包みから偉浪ウェイランへ動く。

 案じているのだ、おそらく春海チュンハイと同じことを。


 日がな糸を垂れ、息子の嫁が口もとまで食い物を運んでようやく食べる。そんな男に、こんな劇物を見せていいものか。


 歓喜し、活力を取り戻すかもしれない。だがその正反対の可能性も、同じだけあるように思う。


「これ、俺当てでもあるって言ったね?」

「ええ」

「父さんより先に読んで、見せるか見せないか決めろってことだね」

「ええ」


 相談に乗ることはできる。こうしては、と言うことも。しかし決断は、息子である破浪ポーランにしかできない。


 だから彼が信書を読む前に、意見を言ったのだ。その意味を解してくれなければ、また春海チュンハイは的外れな女になる。


「つまり、屍運びの最後の仕事をしろって言うんだね」


 固唾を飲み、待つ耳に期待に沿った答えが届く。


「ええ、そう。地上で待っていても、お父様は帰ってこれない。迷宮の底までお迎えに行かなきゃ」


 偉浪ウェイランの心は、いまだ冥土にある。実態のない迷宮から連れ出せば、屍から生者へ戻れるはず。


 ただ、それには目的が必要だ。どれだけ長く険しかろうと、己の足で進んでもらわねばならない。


「分かったよ。俺を牽いて歩けるのは、きみだってことがね」

「まあ。私、そんな腕力はないわ」


 幅を詰めた着物の袖を捲り、剥き出しの破浪ポーランと比べる。

 事実、半分の太さもないとかはどうでもいいことだ。彼が苦笑混じりに、包みを広げたのに比べれば。


「……意外だね」


 十を数える暇もなく、ぽつと。横目にそう言われても、いまだ中身を知らぬ身には何とも答えかねる。


「何て書いてあったか、聞いてもいいの?」

「その前に俺も聞きたい。きみは本当に、読んでいないんだよね」

「もちろんよ。嘘だったら、今すぐ皇都へ戻るわ」


 いやいや、と彼は慌ててかぶりを振った。


「きみに居なくなられたら困る。でもこう言いたくなるくらい、意外だったんだよ」

「意外って、何が?」

「母さんが寂しがりってことさ」


 開いた絹の包みから、破浪ポーランは何かを握ってこちらへ向ける。それは見覚えのある、黒に近い褐色の髪束。


「俺当てには、父さんを頼むって」

「それだけ?」

「いや、きみを大切にしろとも」


 わざわざ春海チュンハイまで気遣ってくれるとは、掛け値なしに嬉しいと思う。だが息子へ当てた文章として、短すぎるのでないか。


「お父様への言葉がたくさんあるのかしら」

「いや、ひと言だけ」

「ええ?」


 意味が分からない。寂しがりと言うなら、どれほど連ねるかというほどに長く文章が続くのかと思った。

 しかし破浪ポーランの次の言葉で、なるほどと呑み込めた。


「母さんの生まれた草原は、凄く気持ちのいいところだってさ」

「ああ——」


 記された都市の名は、ジンの北西の果て。

 だがそれでも、当てなく捜すのとはまるで違う。一生をかけるどころか、徒歩でも二年足らずで行って戻れる。


「随分と時間が余るね」

「いいのよ。それなら次の約束があるわ」

「どの?」

「飯屋さんを開くんでしょう? どこで店をするか、探しながら行けばいいわ」


 それはいいね、と破浪ポーランは笑った。破顔にはほど遠い、彼なりの笑みで。

 それから迷わず、父親に絹の包みを渡しに行った。


 もちろん春海チュンハイも彼とは反対に立って偉浪ウェイランを挟み、口添えをする。


「みんなで生きましょう。神様なんかに、運命を決められる前に」



 —— 屍運びは饅頭にも劣り 完結 ——

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屍運びは饅頭にも劣り 須能 雪羽 @yuki_t

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