第1話 全ては"魔法”で説明がつく

「おはようございます! 宅急便です! すみませーん!」

 夢の中に陣取っていた意識が、太陽のように明るい声で現実へ呼び寄せられる。意識ははっきりとしないが、脳内は驚愕に支配され体は従順に動く。

 驚愕の理由は簡単だ。早朝に荷物を受け取れるはずもない俺が、日時指定をせずに何かを注文していること。それから、二日前の夜に酔った勢いで、くだらない玩具を20個ほど注文してしまったことを思い出した、この2つだ。

 宅配業者の声が、事務所の窓越しに聞こえていること、その事務所がビルの2階にあることは、驚愕の理由にはならない。

 居留守を使おうかと思ったが、ストーカーみたいに再配達の催促が来る1日なんて悲劇でしかない。固いソファから体を起こし、窓に手を掛ける前、自分がパンツ一枚であることに気が付いた。部屋の隅に落ちていた適当なスウェットに着替え、窓を開ける。

「あ、おはようございます! 鹿間ろくまさん! 調子はどうですか?」

 声のイメージ通り爽やかな青年の笑顔が光る。きっと、学生時代には友人に囲まれ、大人になった今でも飲み会で恋愛話に困らないのだろうと思う。

「調子は最悪だよ。 どっかの誰かに起こされたからな」

 あと少しで、俺は、極上のウイスキーにありつけていた。あくまで、夢の中での話だ。

 青年は、愛想のいい笑みを浮かべ、スマートに受け取りの業務を済ませていく。

「……はい、ありがとうございます! 今日は、温かいらしいんで、外に出かけてみてくださいね」

 鬱陶しいテレビの占いのような言葉とわざとらしくない営業スマイルを残し、ずっと先の空に飛んで行った。雲一つない快晴の空を飛ぶ彼は、憎たらしいほど理想的だ。

 ただ、それは彼の背中と青空の背景を額縁に納めたらの話。

 少し視線を逸らせば、騒々しく笑う女子高生がいる。青年と違うのは、ピンクにデコレーションされた空飛ぶ箒に跨っている事だ。

 暖かいといえど、吹き込む早朝の風はまだまだ冷たい。スウェットのポケットに手を入れる。ぐしゃぐしゃに潰れたマルボロとライターが入っていた。

 湿気た煙草に火を付けて、この世界にタール塗れの汚れた煙を吐きつける。

 ここは、魔法が残る世界だ。ずっと昔の逸話が、呪いとして残る憎たらしい世界だ。


   *


 注文してしまった玩具は、銃を模した貧相な作りの物だった。陳腐な作りであるが、20個も注文してしまったのだから総額が気になる。恐る恐るスマホで注文履歴を確認すると1個当たり300円だ。

 「300円なら……まぁ、いいか」と思った。だが、総額は6000円であることを暗算してしまい、やっぱり肩を落とす。

 そもそも、独り身のアラサーの俺に子供だましの玩具は意味を全く持たない物だ。

 いや、考えても仕方がない。6000円は惜しいが返品作業をするため、あちこちに電話をするのは時間が惜しい。俺に、そんな時間は残されていない。

 無精ヒゲを丁寧に剃る。顔を洗い流すついでに、寝癖立った髪を濡らし、手探りでタオルを探す。手の届いたタオルを顔元に持ってきて、鼻を歪めた。

「いつのタオルだよ。 くっさいな」

 独り身を長く続けていると、つい独り言が多くなる。数秒の間をおいて、俺はそのタオルで顔と髪を拭いた。固まって蓋が開きにくくなったジェルを無理やりこじ開けて、髪を整える。髪を切るのが面倒で、パーマをかけて誤魔化していた髪も、ヘアゴムで縛れるくらい伸びれば様になる。映画によく出ている俳優がそんな髪型だ。

 ソファに投げていたスリムデニムとジャケットに着替る。

 うちのテーブルは、機能性が失われるほど缶ビールの空き缶やたばこの空き箱が、散らかり過ぎている。これではただの板だ。その板の上から可能な限り綺麗な煙草のソフトケースへ手を伸ばす。

 だが、その隣に置いてあった未開封の黒い封筒が視界に入り、それを取った。

『鹿間探偵事務所 様宛』

 確かこれは……俺は、考えるのをやめ、そのままゴミ箱へ捨てた。この黒い封等が、めっぽう嫌いで、現実逃避をしただけだ。

 改めて、出来るだけ綺麗な煙草のソフトケースへ手を伸ばす。期待はしていなかったが、3本ほど残っていた。

 1本に火を付けて、口に咥えたまま部屋の扉を開ける――その前に、今日届いたばかりの玩具の銃をポケットに入れる。1個300円の値段なら1日持ち歩けば、元は取れるだろう。それに俺はだ。銃を持つくらいが、ちょうど理想的である。

立て付けの悪い扉が、音を立てて開く。埃っぽい空気を押し出すように、晴れの日の空気が吹き込んできた。事務所の窓から見る世界とは違い、直に触れてしまった世界は、澄み過ぎていて、俺にとっては最悪な天気だ。曇りが天気としては都合がいい。

 非常階段を下りて、1階に続く踊り場に前のめりに寄りかかる。ここは、外がよく見渡せる。窓やフェンスもなく、胸辺りまでの高さの壁しかない踊り場は、雨風に晒されて、所々色がくすみ、角では小さな雑草が生えている。

 他人が見れば、ここを廃墟だと思うだろう。だが、ここは立派な2階建てのビルで、なんと屋上付きだ。まぁ、屋上に入ったことはないのだけれど。

 煙草を吸いきるまで、俺は、外を眺めていた。

 ある少年は、機能性を無視し装飾された杖から火花を散らし、何かしらの必殺技を叫んでいる。

 ある2人の主婦は、後ろにヘルメットを付けた子供を乗せ、空飛ぶ箒を上手にホバリングさせ談笑している。

 談笑を待たされている子供の頭上には、熊と少女の指人形が空中で、コミカルな動きをしている。よく見ると、談笑している母親の指先が、それを操っているようだ。

 詳しい原理は分からない。鍋に入れた水が火にかければお湯になると分かるが、液体がどのような反応を起こし、熱を帯びるのか説明ができないような物である。

 ただ、これらすべての事柄は、たった一言で片づけることが可能だ。

 ――魔法

 もちろん、水がお湯になる魔法も存在する。金を出し高性能の物を買えば、お湯を出す魔法も存在する。

 咥えていた煙草は短くなり、重力に負けて灰が落ちた。随分と、ゆっくり時間を過ごしていたようだ。

 その時、ポケットに入れていたスマホが着信音を告げる。

「もしも――」

「ちょっと探偵さん! 約束の時間になっても来ないってどうゆう事かしら!?」

 癇癪気味の女性が、電話越しから叫んでいる。俺は、耳からスマホを話し、怒りのお言葉を頂戴した。

 今朝の配達員の青年の笑顔を思い出す。

「すみませ~ん。 すぐに向かいますね、マダム」

「……馬鹿にしてるのかしら! とにかく、さっさと来て頂戴!」

 雑に電話が切られた。現代的なスマートフォンのはずなのに、プツッ!、と回線が切れる音がはっきりと聞こえた。

 やはり、俺は、愛想を振りまくことが苦手だ。慣れないことはするもんじゃない。

 ポケットから煙草を取り出し火を付けて、再び魔法だらけの世界に視線を落とした。

「さて、仕事しますか」

 煙草を吸い終え、コンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、完食してからマダムの元へと向かった。普段は、朝食を取らない。ただの嫌がらせだ。


   *


 約束の時間から30分ほど遅れて、ヒステリックマダム――改め、依頼主に会う。電話越しでは、感情的に叫んでいた女性も対面してみると、無理やりな愛想を作っている。これから、俺のさじ加減で依頼が成功するか否かが決まるわけだ。俺が辿り着くまでの時間、反省でもしたのだろう。

「それで、今回は、迷子の捜索ということで」

「そう、私の家族が居なくなって、もう夜も眠れないし食事も喉を通らないのよ」

「そうですか」

 食事が喉が通らない割には、マダムの体は随分と貫禄がある。俺とマダムの間に流れる空気は、はっきりと違いがあった。

 マダムの言う「家族」というのは、一匹のチワワの事。テーブルの上に、大量の迷子犬の同じ写真が並べられている。それだけではなく、部屋のいたるところにゴージャスな額縁に入れられた同じチワワがいる。

「この犬が――」

「犬じゃなくて、マロンちゃん!」

 テーブルに出されたコーヒーを一口飲む。口内に広がる苦みと一緒に、イラつきを飲み込んだ。

「マロンちゃんが、居なくなったのはいつですか?」

「一昨日の夜よ。 いつもは大人しい子なのに、その日はやけに庭に向かって吠えていたの。 私が、気になって玄関を開けたら、そのまま外に飛び出して、姿が見えなくなったのよ」

 当時の様子を思い出したのか、マダムはハンカチで目元を抑える。

「姿が見えなくなった。 マロンちゃんには、何か魔法はかけていなかったんですか?」

 テーブルに並べられたマロンちゃんの写真に視線を落としながら尋ねた。だが、マダムから返答はない。俺は、視線を上げる。

「かけれるならかけているわ! 私は魔法を信用していないの! マロンちゃんが、魔法で死んだらどうするの? 害はないの? もう探偵なんていう怪しいあなたに頼まなければ良かったわ」

 泣き出しそうな姿が一変した。スマホ越しに聞こえていた癇癪と同じテンションで、叫び出す。マロンちゃんの写真に唾液が飛ぶ。大切な愛犬なら唾を飛ばすなよ、と心の中だけで思った。

 モンスターを見ているようだ。といっても、ここで指すモンスターは、あくまで小説やアニメの中の存在でしかない。

「す、すみません。 ただの確認です。 任せてください」

 この言葉を皮切りに、モンスターは落ち着きを取り戻す。唾液の被害を免れた写真を一枚、ジャケットの内ポケットにしまい、マダムとは早々に話を終えた。

 玄関の扉が閉まるその寸前まで、マダムは「マロンちゃんを見つけて頂戴ね! お値段は気にしないわ!」と神にでも拝むかのように、俺を見つめ続けていた。

 扉が閉まり切っても、数秒間は下手くそな愛想笑いを浮かべ続ける。扉越しのマダムの気配を注意深く探ってから、背を向けた。

 すぐに煙草に火を付け、マロンちゃんの写真を見る。

 マダムの性格とこの犬に対する執着は、鼻に着くところがある。しかし、弱小探偵事務所の俺としては、金払いのいい案件だ。

 魔法を嫌っている人間も悪くはない。

 この世界の『魔法』とは、小説やアニメの中とは少し違ってくる。木の杖があり呪文を唱えることで、超常現象を起こすわけではない。

 絶対に道具が必要なのだ。

 魔法を発動させる道具――通称「魔道具」

 魔法とそれに伴う現象を媒介するための道具。水をお湯に変えるのにも、専用の魔道具が存在し、空を飛ぶための魔道具、大切なペットを保護するための魔道具も存在する。

 魔道具を使い現象を起こすことを総じて「魔法」といい、魔道具を使うことを「魔法をかける」と言う。

 そもそも、ファンタジックに魔法を使える者がいるなら、それこそ「魔女」だけだ。だが、魔女の存在は許されるものではない。

 現代社会で魔法を使わないというのは、ジャングルで何も持たずサバイバルをするような物だ。しかし、それほどの物をある一定層の年齢の人々は、使いこなせないでいる。最も、歴史的に見ても悲惨な出来事を起こしている『魔法』を拒む年齢層とも被っている。だから、原始的な方法で、何かを解決できるというのは需要があるのだ。

それと同時に老人を狙った『マジック詐欺』や魔道具を使い悪質な宗教を作り上げ、法外な値段で壺や水を売りつける悪徳集団も存在するのも、また高年齢層から嫌われている理由だ。

 とにかく、俺のやっていることは「前時代的なご老人たちの手助けをしてあげよう。その代わり、相応の値段は払ってもらいますよ」ということ。

「さて、さっさと終わらせますか」

 デニムのポケットから黒い万年筆を取り出す。これも、魔道具の一種だ。だが、魔法をかけるのは「マロンちゃん」ではなく「マロンちゃんの写真」に対して行う。

 俺は、悪質な詐欺集団ではないし、魔法がかけられないわけでも、嫌いなわけでもない。

 大金を積んでお金を出し、それなりの魔法を揃えれば、姿の見えないマロンちゃんに魔法をかけて見つけ出すのは簡単だろう。しかし、今回はそれをやらない。

グレーな商売を行う以上、自分の中で線引きが必要だ。交通法は守らなくてはいけないが、今にも死にそうな病人を乗用車で運んでいる時、速度違反を多少は犯してでも人命が第一……みたいな感覚。線引きがあれば、結果がどうであれ、悔やむことはない。

つまり、今回に限っては「魔法は極力使わず、足を使おう」ということ。あのマダムも魔法を嫌っているが、ただ感情的に嫌っているだけだ。庭に空飛ぶ箒が立てかけてあった。怠惰な体のように、楽に移動はしたいらしい。

 写真へと万年筆をかざす。インクを模したような黒色の線状の光が、マロンちゃんの輪郭に沿っていく。次に、俺の中でイメージを作る。迷子犬を探すために必要な情報だ。名前や俺の電話番号、飼い主の電話番号、居なくなった日付と場所……しばらくすると、レンジのようなチン!という音がして、眼前にA4サイズほどの迷子犬ポスターが映し出される。これで、無限に増殖する即席ポスターの完成だ。

 これを近隣住人に聞き込みをすると同時に、配り歩けば大抵の迷子は見つかる。

 以前、迷子猫を探した時に同じ方法を取ったら、100m先の家に住み着いていた、なんてこともあった。最も、あのマダムが、迷子犬に位置が分かる魔法を使えていれば、探偵なんて言う怪しい輩に頼る必要もなかった。自分で言うのもなんだが、現代の探偵は怪しすぎる業種の1つだ。

魔法は信用せず、探偵は信用する……俺は、自分があと十年もすれば、同じ道を歩むかもしれないと思うだけでため息が出た。

 とにかく今は仕事だ。6000円の玩具代金を回収しなくてはならない。


 ジャケット1枚羽織っただけでは、夕暮れ時に肌寒さを感じる。

 もう少し厚手のインナーを着てくればよかった。でも、あと1時間くらいで、見つかるだろう。1時間後を迎えた時には、流石にもう少しで手掛かりの1つくらい見つかるだろう、と思っていた。

 結果、日暮れから5時間ほど経過して、夜10時過ぎ。手掛かり1つ無い状況で捜索開始から12時間が経過しようとしている。マダムの癇癪気味の声が懐かしく思えてきた。

 魔道具ではなく足で探すといった物の30歳の足腰の弱さ、体力の低下を舐めてはいけない。煙草もいい加減辞め時かな、なんて思いながら、本日3箱目(1箱目は、自室から持ち出した3本だけの煙草)を購入するために、コンビニへ入った。

「赤マルのソフト1つ。 あと、この犬見かけたりしませんでしたか?」

 万年筆型の魔道具を取り出し、金髪の店員に聞く。

「あー……知らないっすね」

 愛想の悪い店員だ。俺は、愛想を振りまく事は苦手だが、不愛想に振舞うことはもっと苦手だ。店員は「袋入りますかぁ?」と欠伸を噛み殺しながら言う。煙草1箱に袋が必要かどうか、確認がいるのだろうか。

 なかなか見つからないマロンちゃん……いや、あの犬への苛立ちが込み上げてきた。

「煙草1箱だよ。 カートンじゃない」

「……え、分かってますよ。 袋はいらないってことっすか?」

 苛立ちは、口内を十分に満たすくらい込み上げている。その影響で、口元が痙攣し、吊り上がってしまった。

 流石に文句の一つでも言ってやろう――

「貼っておきましょうか?」

「え?」

「その迷子犬のポスター、うちで張っておきますよ。 店長、うちの親父なんで、俺の一存で決めれます」

「え、あの…お願いします」

 突飛な状況、またはギャップ萌え。良い意味で予想を裏切る状況が訪れると感情の上書きは容易らしい。

 こうやって人はマダムのような歳のとり方をしてしまうのだな、と落ち込みながら万年筆からポスターを複製し、金髪店員に手渡した。それから、彼をいち社会人であると認め、俺の名刺も手渡した。金髪の店員は「頂戴いたします」と丁寧に両手で受け取り「失礼ですが、シカマさんでよろしいですか?」と確認まで取ってきた。

「いえ、ロクマです。 読みにくいですよね。 ハハ」

 金髪の店員は、笑い所が分からないかのように「はぁ……」とため息を溢す。

 これが、ジェネレーションギャップという物か。俺のおっさん化は、もう止められないのだろう。

「ありゃしたー」

 欠伸を我慢したような声に見送られ、店を後にした。

 自分のマダム化とおっさん化の羞恥心をかき消すために、すぐにでも煙草を吸いたい。だが、金髪店員に見られるのも気恥ずかしくて、コンビニから少し離れた街灯の下で煙草に火を付けた。

 火を付けてからの一口目は、必ず吹かす。濃い煙が、街灯に照らされて夜空へと漂っていく。

 ――マロンちゃんが見つからない。

 正直言って、俺の探偵としての腕前は確かな物だ。弱小であるが、それは高額な魔道具を用いなければ解決できないような大手の依頼を受けないだけであって、受けた依頼は必ず解決する。今までも、手詰まりな状況はありえなかった。まして、迷子犬を探すことくらい、簡単な物だ。

 まぁ、魔法とは違う、人に言えない事をしているから解決している節はある。

 それから高額な魔道具を買えない、ということもある。

ただ、大手の依頼を受けないのは、あくまで、ニーズ的な問題だ。高額な魔道具を使い問題を解決するのは、金さえあれば子供でもできる。子供でもできてしまう事なら、少しだけ賢く、怠慢な大人が当たり前のようにやる。つまり、魔道具に頼り切った「探偵業」というのは飽和状態なのだ。そもそもの話、それは探偵ではなく「なんでも屋」ではないか。俺は探偵だ。

 と、自己を十分に肯定し、再び「マロンちゃんが見つからない」という問題と対峙する。

 煙草を半分ほど吸うまで熟考――うん、無理だ。残った半分の煙草を雑に吸い上げ、靴底で消す。明日にでも、マダムの所に行って依頼の延期を打診してみよう。

「おーい」

 マダムには嫌味……それ以上の事を言われるかもしれないが、仕方がない。偉そうに1日分の依頼料金(遅刻割引)しか貰っていないんだ。

「おーい、探偵さん」

 3日間……いや、後1日で、何としてでも見つけてみせよう。

「……無視するなよぉ」

 俺は、声の方向へと振り向いた。

 少女だ。黒い長髪と綺麗に整えられたパッツン前髪の少女。ただ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。見てみろ、パッツン前髪がプルプルと震えているじゃないか。

 俺は、サラサラの髪なんだなぁ、と感心してしまった――そうじゃないだろ。

 この少女は、何故、泣き出しそうなんだ。確かに、声は聞こえていたが――

「俺に、話しかけてた?」

「うっ……ぐっ……無視しないでよ」

 泣いてしまった。どうやら、本当に、俺に話しかけていたらしい。

 いや、考えてみれば夜10時過ぎの夜道に、俺とこの小学低学年くらいの少女しかいない。考えずとも、俺に話しかけているだろう。

「す、すまん。 考え事をしていて……聞こえてなかったわけじゃない」

 少女は、目元を手で、ぐしぐし擦りながら「ほんと?」と言う。

黒い長髪にパッツン前髪は、偏見ではあるがクールで孤高のイメージがある。それとは真逆で、守らるべき存在の象徴のような少女だ。いや、子供なのだから守られるべきではある。女の子なら尚更だ。

 名も知らぬ泣いている少女と30歳のおじさん。しかも、職業「探偵」で、自宅住所は事務所……事案だ。疑いようもない事案だ。

 テレビで自分の名前が報道され、昔の同級生が自分の知らぬ所で尾ひれの付いた噂を流しているところまで想像ができた。

 少女を泣き止ませるために、何かないかとポケットを弄る。

「見て! 犬の写真だぞ~ 可愛いね~」

「犬……好きじゃないよ」

 不発だ。

「見て! ほら、空にお姫様がいるぞ~」

 万年筆型の魔道具を使い、空にお姫様を描いてみる。だが、少女が空を見上げる前に、魔法を消した。あれは、お姫様ではなく化け物だ。すぐに掻き消した。

遅れて視線を上げた少女は空虚を見つめ「何もない」と声を震わせる。

「ほ、ほら! 銃だよ! おじさんが悪いよね。 よーし、悪いおじさんは倒しちゃえ!」

 何をやっているんだ、俺は。女の子が、悪役を倒すヒーローへの憧れなんてないはずだ。せめて、この玩具が魔法少女のステッキだったら。いや、魔法少女のステッキを20個も注文するおっさんも事案だ。

「てっぽう……撃つ」

 俺の手元からスルリと銃の玩具を奪った少女は、それを俺へと向けた。息を吹きかけられたような風圧が、頬に当たる。これも、魔道具だったのか。なら、少女が使っているのだから魔法少女のステッキといっても過言ではない。

 その証拠に、泣いていた少女は、へへと口元を手で隠しながら笑い、何発も俺の頬を撃っている。子供の残酷さは凶器にもなるとは、まさにこのことだ。狂いなくヘッドショットを決めている。

 少女の涙に混乱していたが、その涙が悪戯好きな笑い声に変わり、俺は冷静になった。

 夜も11時に迫ろうとしている中、何故、小学生くらいの少女が夜道に居たのか。そして、何故、親から『危険な人物』と教わっているはずの総称『おっさん』に声を掛けたのか。

「なぁ、君、こんな時間に何をしているんだ?」

 顔を撃たれながら、出来るだけ紳士的な笑みを浮かべ尋ねる。

 少女は、呆気にとられたように口をぽかんと開きながら、ハッと目を見開く。

「探偵のおじさんに、依頼があるのです!」

 その言葉に、次は俺が呆気にとられ口をぽかんと開く。

「なんで? どうゆうこと?」

「私の家族を探してください! 魔女の家族を!」

 今日は、最悪な日だ。いや、最悪な人生の始まりである。

 これは、小さな魔女と俺の物語だ。とても残酷で、個人的な理由が深く、とても深く関わっている悲しい物語だ。

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