第7話 魔女のスパイ

 馴染みの街並みだ。1人でいることに疑問や寂しさを抱かなくなってから随分と経つ。日々移り変わる自分の心と共に過ごしてきた街並みだ。

 それほどに冷静で向き合える街並みだが、今は違う。別にこの街の景色が変わってしまったわけではない。あくまで、俺の心が変わった。今は、危険な仕事を受けている。歩く人全員が悪者に見える。

「あまりスパイっぽくないね」

 雪音が、玩具の銃をいじりながらそうつぶやいた。

 3人で座っているカフェのテラス席には似合わない少女の手遊びだ。

「いいんだよ、これで」

 俺は、新聞を広げながらそう答える。

 新聞の一面を飾っているのは違法に改造された魔道具を販売していた集団が逮捕されたらしい。20歳の大学生6人が小遣い稼ぎにおこなった犯行らしいが、新聞は荒々しく報じている。

 新聞を読み進めると達観した気持ちになれた。俺は、今、逮捕されていく犯罪者たちの手助けをしている。報復のための一歩を一緒に歩んでいるんだ。別世界の話のようで、全くそうではない。けれど、俺達はあくまで外野として見ている。

「あ、来るよ」

 カフェの空気感に飽きていた雪音の顔が、ピシっと張り詰めた。

 新聞越しに道路を挟んだ向こう側のビルを見た。

 黒い乗用車が縦に並んで停車し、前の車からサングラスをかけた2人の男が降りてくる。彼らは、後続に停車した車に近づき、ビル側の後部座席の扉の前で立ち止まり、周囲を警戒している。

 分かり易い。だが、敵意を向けてくる相手には、これが一番効くのだ。

 探偵として尾行をしている時も、相手が電話をしながら不意に振り返り、キョロキョロと何かを探す仕草をされたことがある。

 俺は、誰かが尾行の情報を掴み、ターゲットに話したと勘繰って諦めてしまった。

 結局、真相は分からず、その仕事は依頼内容より半分ほどの成果しか出せなかった事がある。

 あからさまな黒塗りの車、あからさまなボディーガードとくれば、ほら見ろ。

 後続の車から奴が出てくる。

 黄瀬だ。写真通りの証券マンのような見た目に、鋭い目をしている。正義のために魔法を管理している者なのだが、一般人として生きているようには見えない。

「スパイとして潜入するんだね!」

「いいや、ここでいい。 俺達の目的は、時間までに奴がどこにいるか知らせることだ。 それに、目的は魔女の証明だからな」

 魔女の証明――おおよその予測は付いている。

 2人は「見る」ことに関する魔法を使う。ただ、正確なことまではわからない。

 千里眼的に全てを見るのか、何らかの条件下で見るのか……なんて細かい部分の仮説が立たない。

「雪音、雨音、黄瀬はどこにいる?」

「……ビルにいる」

 雨音は、引っ掛け問題に答えるみたいに慎重に答えた。

 賢い雨音の事だ。この質問の本来の意味を分かっているのだろう。

 姉の答えに雪音は「違う、違う」とクスクス笑いながら訂正する。

「ビルの5階にいるよ。 なんか、扉の前に怖い人が2人立ってる!」

 2人は魔女の魔法について小賢しく隠すことを辞めたようだ。雪音に関しては、質問の本質を理解していないだけの答え方のような気もする。

 とにかく、これで2人が魔女である証明となる。

 質問の本質はこうだ。

 黄瀬はどこにいる?――これに対して、見る魔法を使えないのならば、車から降りて中に入っていくのを視認できた「ビル」と答えるはずだ。しかし、見る魔法を使えるならリアルタイムでの黄瀬の場所。ここでは、ビルのどこにいるのか、を答えられるはずなのだ。

 それから、条件もなんとなく見当がついた。

 千里眼的に全てを見渡せるのなら、黄瀬のいる部屋の中を答えるはずだ。

 しかし、雪音は、黄瀬がいる階層しか答えられなかった。

 おおよそ、何か限定的な物を介してしか見れない、と言う事だろう。

「2人はここで待ってろ。 ちょっと確認してくる」

 あとは、俺が、黄瀬のいる場所が、本当に5階の部屋なのかを確認すればいいだけだ。

 ポケットからスマホを取り出す。アンから借りたのスマホだ。

「もし俺に何かあったらこれに連絡を入れる。 何があっても連絡が来たら、すぐに逃げるんだ。 わかったか?」

 最後に言った確認は、雨音に伝えた。雪音を守ることに関しては、俺よりも誰よりも姉である彼女が適任だからだ。

「わかった! あ、じゃこれ、お守り!」

 状況を分かったうえで、静かに頷く雨音に対し、雪音は興奮したような様子だ。どこか、スパイへの憧れを捨てきれていない。だから、お守りと称して、玩具の銃を渡してくれているのだろう。

「私と雨音のおまじないかけてあるから、絶対に大丈夫だよ!」

 魔法ではなく、おまじないと言うあたりに何か深い意味が……いや、勘繰るのは悪い癖だ。

「ありがとう。 じゃ、行ってくる」

 俺は、玩具の銃をジャケットのポケットにしまいビルを目指した。

 これでいい。後は、簡単に黄瀬の居場所と雪音の言っていた場所があっているか確認するだけだ。それから、カフェでパフェでも頼もう。それを食べながら時間を潰して、仕事を終わらせる。


   *


 鹿間がビルの方へ歩いていくのを、2人の少女は、何者にも汚されていない瞳で見つめていた。お互いに視線を合わさず、彼の背中だけを見て話す。

「なんで、雨音は魔法の話を鹿間にしないの?」

 ここでの魔法とは、雨音自身が扱う魔法の話だ。つまり、という特性の本質の話である。

「……魔法の話は、とても繊細な物なの。 子供にはわからないだろうけどね」

「双子じゃん……」

 なんとなく雨音は、居心地が悪くなって話題を変える。

「鹿間は、安全?」

「ちょっと待って」

 雪音は目を閉じた。そのまま言葉を続ける。

「……うん、大丈夫そう。 まぁ、鹿間に何かあっても、私には雨音がいるから」

 鹿間の背中へ送っていた視線を最初に外したのは、雨音だった。雨音は、雪音へと視線を向ける。それに気づいた雪音も、ゆっくりと目を開け、雨音を見た。

「私はずっと雨音を信じるよ。 今までも、これからも」

「私だって雪音を信じている」

 2人は、とても懐かしい気持ちになっていた。

 鹿間と出会った日と、とてもよく似た状況だ。

 探偵のおじさんが魔法具の玩具をジャケットに忍ばせて、離れた距離から2人が見ている。でも、2人は、互いの気持ちを言葉にはしない。それで十分だった。


 鹿間はビルに入る前に、後ろを振り返った。互いを見つめ合う姉妹は、無菌室のような潔癖さを持っていて、人工物のように精巧に作られたみたいだ。だけど、その表情は守られるべきもので、笑顔以外の何も似合わない。

 そう思った。そう思うことが、彼にとって救いだった。

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