第8話 魔女だけが分かる恐怖
ビルの中に入り、ジャケットではなくスーツを着てくるべきだったと後悔した。
笑顔で電話を受けている受付嬢の流し目が、俺を見定めているように感じる。
「あ、すみません」
受付嬢に声を掛ける。やっぱり、見定められているようだ。
彼女は、俺の足先から頭までを2回往復するように見て、電話相手に「またすぐにお掛け直しします」と伝える。
「どうされましたか?」
「あの、ここに黄瀬さんってお越しになっていますか? 黄瀬波歩さん」
受付嬢は「少々お待ちください」と言い、パソコンで何かを調べ始めた。
俺は、その間、ぐるりとエントランスの天井を見渡す。
入り口と受付、それからエレベーターへ監視カメラが向けられている。死角は、ほぼ無いと言っていい。ここで、スリをしたらすぐに捕まるだろう。
「黄瀬様はいらっしゃいますね。 どのようなご用件でしょうか?」
「今日、待ち合わせしていたんですけど、中々来なくて。 それで、関係者の方に電話をしたらここに居るって言われたんですよ」
できるだけ自然な笑顔で、用意していた言葉を自然に言う。受付嬢は、また俺の容姿を観察しだした。
誰でも知っている組織の上層部だ。そんな人物にヤニ臭いジャケットを着た男が現れたら、警戒するのも無理はない。
十分に俺を観察して「失礼ですが、ご職業をお伺いしてもよろしいでしょうか?」と言う。
俺の笑顔は怪しさ満点だったということだ。
この手はなるべく使いたくなかった――俺は、財布からB5サイズの紙を1枚取り出し、カメラに映らないよう体を壁にして、受付嬢に見せた。
「大企業の受付嬢が、ヤクザ紛いの連中から金を借りているなんて知られたらどうなるんでしょうね?」
受付嬢の顔が、ピリリと張り詰めた。大企業の顔ともいえる受付嬢から、何も持たない人間になった瞬間だ。彼女は「え、どうして……」と困惑を見せる。
ここからは、探偵としての本領発揮だ。
「何もするつもりはないです。 黄瀬がどの階層、どの部屋にいるのか教えてくれるだけでいいです」
女性は、挙動不審の態度で再びパソコンを操作する。さっきは軽快に叩いていたキーボードのはずが、何度もデリートキーを押している。
「黄瀬様は……5階の……会議室にいらっしゃいます」
挙動不審の女性は、未だに現状を理解できていないようだ。ただ、目の前の怪しい男に弱みというコントローラーを握られ、思い通りに操作されている傀儡だ。
「ありがとう。 じゃ、この写真はしまいますね。 誰かに知られたら大変だから」
仮に、この受付嬢が脅しにも屈せず対応をしたところで、俺はこの写真でどうこうするつもりはなかった。そもそも、後から事務所に届いたこの写真を持ってくるつもりもなかった。bar黒猫から届きさえしなければ。
これで魔女の証明はできた。間違いなく、2人の魔法は本物であり、魔女である。
見る事を司る魔法を使う魔女だ。
ビルを出るまで冷静さを装ってはいるが、頭の中で何度も「魔女」という単語が反復する。認めたくないわけではない。とても個人的な理由で受け入れられないというだけだ。
ビルを出るとさっきまでいたカフェのテラスから2人の少女が手を振っていた。片方は満面の笑みを浮かべ、片方は小さく口元に笑みを浮かべている。
到底、魔女とは思えない――
「すみません」
刃物を突き立てるように冷たく、感情を持たないような低い声が背中から聞こえてきた。
自分が殺されたような感覚が一瞬、全身を駆け巡る。
俺は、額に出た冷や汗を拭い、すぐに自然な笑顔を張り付け、振り向いた。
「どうかされましたか?」
なんとか声を震わせずに言えた。だが、俺の眼前にはあいつがいる。冷たく感情を持たない声の主は、黄瀬だった。写真という無機物に映し出された人物からは感じ取れない、ある一種の残酷さを滲み出させている。
「部下が、私を訪ねてきた人物がいるいっていたから声を掛けさせてもらったんだよ。 丁度、私も帰る所だったからね」
完全に盲点だった。エントランスにまで部下を残しているなんて、想像もつかない。それに、受付嬢と黄瀬が会話をしていたら、脅しの事を話している可能性がある。
受付嬢の様子を伺おうとした。
しかし、意図したことなのか彼女の姿は、黄瀬が壁になって見えない。
「どうかしたか? 私を尋ねたんじゃないのか?」
最終警告と言ってもいいだろう。黄瀬の背後に黒いスーツ姿の男が2人並ぶ、同時に俺の背中からも何者かの気配がする。完全に囲まれたと言っていい。
何か答えなくてはいけない。こう思考している間にも、沈黙が長引く。沈黙が長引けば、何を言っても俺が不利になるのは分かっている。
分かっているが……思考が巡らない。黄瀬の威圧がそうさせる。
「パパー!」
殺人鬼と相しているような冷たい空間にユニコーンに乗った妖精の空気が割り込んでくる。その空気は、俺の足に2人分抱き着いた。
「パパ、クセのおじちゃん、まだお仕事中?」
雪音の甘えたような声を反復するように雨音がたどたどしく「お、お仕事中?」と甘えた声を出した。
「クセ? おい」
黄瀬の声は、俺ではなく背後のスーツ男に向けられる。はっきりとは聞こえないが男は「クセ建設という会社の社長が来ています」と耳打ちしているのが聞こえた。
俺は、この状況に身を任せ、あくまで娘を可愛がる父親の演技をすることに決めた。
「すまない。 私の勘違いだったようだ」
これを合図に、スーツ姿の男たちが一歩身を引く。
どうやら、受付嬢は、自分の保身に走ってくれていたらしい。
黄瀬は、スーツの胸ポケットから名刺を取り出した。
「失礼した。 だが、これも何かの縁だ」
声色も表情も変わっていない。だが、さっきとは違う、一般的な人間の空気を出している。一歩遅れて黄瀬から名刺を受け取る。
彼の多くを知っているが、初めて知ったように「魔法司所の……えぇ!」と驚いて見せた。それから慌てたように、ジャケットの胸ポケットから自分の名刺を取り出す。あくまで、わざとらしくない演技を意識して。
「私、探偵でして。 今日は、仕事じゃなくて親戚であるクセに会いに来ただけです」
黄瀬は、名刺を受け取るとじっくり目を通し、俺の顔を見る。一般的な人間の空気を出してはいるが、眼鏡越しの双眼は、何を考えているか見当もつかない。
「なるほど。 最近は、物騒ですから。 私どもも警戒しているんですよ」
黄瀬の視線がぐっと下に行く。地面に片膝をついて、雨音と雪音に視線を合わせた。
「お姫様方も悪かったね。 パパとの時間を奪ってしまって」
2人は、ただ笑顔を向けた。だが、俺の足には震えが伝わってくる。それは、雨音からだった。俺は、雨音と雪音の頭に手を置いて「では、また」と黄瀬の視線を遮った。
黄瀬も立ち上がり「えぇ、また」と呟く。その言葉に添えられた微笑について言及はしなかった。
さっさと黄瀬と距離を取りたくて、途中でタクシーを拾う。車内に乗り込み、車が発進しても黄瀬は、ずっと俺たちを見ていた。亡霊のような目つきだ。呪う相手を探している亡霊だ。
亡霊の姿が小さくなって、体の奥底からため息が漏れた。ジャケットから煙草を取り出す。だが、上手く取り出せない。手を見ると震えていた。
「2人とも大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。 でも、危なかった~」
雪音は、胸に手を当てて「まだドキドキしてる」と呟いている。大人が震えるほどの恐怖を楽しめるのも、また雪音の良さだ。だが、雨音はそうではない。
「……殺そうとしてた」
「え?」
「あの人……鹿間も私たちのことも殺そうとしてた」
雨音はそれ以上何も言わなかった。俺も、何も言ってあげられなかった。
雪音と雨音は『見る』魔法を使う。しかし、2人とも同じ『見る』ではないと、俺は思っていた。ただその違いはさほど重要ではなく、違いをはっきりさせようとするのは探偵としての知的好奇心だった。
彼女たちは、確かに『見る』魔法を使う、再確認だ。だが、そこには決定的な違いが存在し、それが彼女たち個々を作り出してしまっている。魔女としての在り方を決めてしまっている。
事務所に帰ってから、俺たち3人は抜け殻になった様に各々の時間を過ごす。
雨音は、雪音の方に寄りかかりながらぼーっと窓の外を見ている。雪音は、姉の体温で目をウトウトさせている。
俺は、そんな彼女たちの時間を壊さないようにそっと部屋を出て、屋上へ行った。
昼過ぎの屋上は、太陽が一番高いところで照っていて、ポカポカと温かい。1人でも十分に過ごせる気温だ。煙草に火を付けた。
魔女の証明は完璧に行えた。けれど、仕事に関しては投げ出してしまった。自分の探偵としての無力さを痛感するとともに、鹿間という人間の醜さに落胆した。
仕事の失敗をアンに電話で伝えたら、笑ってこう答えた。
「あの仕事は、チンピラみたいな大学生の依頼だよ。 失敗したって何も起こりやしない」
俺は結局、年下の女の手の平で踊らされ続けていた。それだけではなく、自分のルールすらも守れなかった。
魔女であろうと幼い2人の少女は守るべきである――これは、自分に架したルールだ。なのに、闇雲に2人を大人の恐怖心と対面させ、震えさせただけだ。
今後について考える。
魔女である2人との約束は、まだ済んでいないのだ。
――魔女の家族を探す
魔女を証明するためにやり遂げるはずだった仕事を投げ出した。魔女を証明するために幼い少女を2人に恐怖を植え付けてしまった。魔女の家族を俺が探すなんて、到底できるはずがない。
あぁ、そうだ。山か海に行こう。どこで煙草を吸っても文句を言われないくらい、誰もいない土地に行って、何も考えずに過ごそう。今まで過ごしてきた1人という時間を満喫するんだ。それでいい。
俺に魔女の存在という呪いは、あまりにも重すぎる――
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