第10話 同じ夢を見る

 同じ夢を見た、という表現は今は正しくない。ここが夢の中であると実感しているが、抗うことも、能動的に行動することもできない感覚が、体の神経に絡みついている。

 俺は、もう夢の観客ではなかった。夢という世界の住人になっていた。俯瞰的視点が、一人称の視点になり、目の前にある笑顔が、何よりも愛おしいと思ってしまい、彼女の笑顔のためなら人でも殺してやろうとさえ思う。けれど、彼女は人を殺しても笑わない。

 俺は、それを良く知っている。


 友達を5人連れて、お姫様の元へ向かった。山を進むたびに見えてくるお城は、自分たちにとって空想上の物だ。けれど、しっかりと現実に根を張っているし、そこには愛おしいお姫様がいる。ただ、今日の様子は違っていた。

 いつもは、柔らかい灯が窓越しに、外を照らしているのに、今日は真っ暗だ。それに、お城へ向かう道の空気も違っている。俺は、考えたこともなかった。夜の森が、こんなにも恐ろしい空気を含んでいるなんて……

 いつもお姫様とお話をする窓の前に来ても、お城は灯一つ照っていない。ただ、山の風が不気味に木々を揺らし、月が雲の影に隠れてより深い影を落としている。

 連れてきた友人たちは、不気味な空気に耐えられず、1人また1人と山を下りていく。俺が、独りきりになるのに時間は掛からなかった。

 空気がとても冷たく。静寂の音が耳鳴りみたいに響いている。一人でお城の周りを歩いた。誰もいない。まるで、この城に元から人なんて存在しなかったみたいだ。

 けれど、お城の玄関に1枚の手紙が落ちていた。その横には、俺がよく知っているハート形の硝子のネックレスが添えられていた。

 手紙の内容はこうだ。

『今まで、私とお喋りをしてくれてありがとう。 

私を普通の女の子として扱ってくれてありがとう。 

私を好きでいてくれてありがとう。 

でも、お別れです。 私は、ずっとずっと遠い場所に行かなくてはいけなくなりました。

お別れの言葉も言えずごめんなさい。 その代わりに、このネックレスをプレゼントします。 貴方に幸福が訪れますように』

 この日から、青年は笑わなくなりました。青年は、人を愛することを辞めました。青年は、誰も信用しなくなりました。

 俺は、家族を知る機会を失いました。


   *


 目が覚めるのは、ごく自然だった。夢の劇場が終わり、カーテンコールもほどほどにして現実へ、自分で引き返したのだ。

 意識がハッキリと現実へ戻ってくると、この世界に身を置いている自分の感覚を取り戻す。冷たい気温、換気扇の乾いた音、点滅する薄暗い蛍光灯、両手首に感じる鈍い痛み。それから、額を滴る生暖かい感触。椅子に座っている膝上は血が汚していた。

 コンクリートに囲まれた部屋には、テーブルも何もなく、錆びた鉄製の扉と2人の人間がいるだけだ。

「やっと起きたかい少年」

 乾いた女性の声だ。ゆっくりと声の方を振り返りながら「血を流した少年がいて堪るか」と答える。俺とほとんど同じ状態で、椅子に縛られたアンがいた。

「ここどこだ?」

「私が、なんでも知ってると思う? まぁ、知ってるけどね」

 アンの冗談に付き合えるほど体力は残っていない。無言で睨みつける。

「怒んなって。 ここは、研究室、拷問部屋、取調室、監禁場所、エトセトラ、エトセトラ……って場所」

「……わかってないじゃねぇか」

 また、アンはケラケラと笑った。自分の置かれている状況が分からないのだろうか。鏡写しのように、全く同じ状態で俺が、隣にいるというのに。

「この場所がどこかわからないよ。 でも、黄瀬にとって重要な場所なのは確かだよ」

 ピエロの長い前置きが、やっと終わった。俺は、軋む手首を探りながら「どうしてお前もいる」と尋ねた。

「いやぁ、黄瀬の情報をあんたに私のバレちゃってね~ 参ったよ。 裏の情報屋さんも、魔法司所にはお手上げ、お手上げ」

「それだけじゃないだろ」

 アンは「何が~?」と含みを持って笑う。遠回りなやり取りだ。でも、そのおかげで麻痺していた思考が、じんわりと動き出してくる。

「情報の出所が、そんなホイホイ見つかるわけないだろ。 しかも、それがお前なら尚更だ。 自分の身の安全のためなら、誰だって切り捨てるくせに」

 こいつが、遠回りな会話を望むなら、俺も嫌味で答えてやろう。アンは、何も効いていないように「言い過ぎだな~」と笑っている。ひとしきり笑ったところで、大きく息を吸い「鹿間くん」と俺の名前を呼んだ。

 その声色は、馬鹿にするような物でも、ピエロのようなひょうきんさもない。

「な、なんだよ」

 鹿間くんなどと呼ばれたことが無かったから、無意味に警戒してしまった。彼女は、緊張感のある空気を崩さず言葉を続ける。

「君は、全てを知る覚悟がある? とても不幸な魔女たちの全てを……」

 目が覚めてから、ずっと頭の中に魔女という単語はあり続けた。

 俺に家族を探して欲しいと頼み込んできた2人の少女の事だ。けれど、俺は言葉に出さないようにしていた。あの涙と血で汚れた表情を思い出したくなかったからだ。

 でも、思い出さなくてはいけない。思い出して、俺が拭ってあげなくてはいけない。

「今さらな話だ。 何を知ったって驚きはしないよ。 例え、新しい魔女が現れてもね」

 真剣に、本心から答えた。これから魔女に関する何かが増えたところで、何も変わりはしない。手首に向けていた半分の意識を、完全にアンの方へと向ける。

 無言で、話を促した。

「なら、安心だ。 鹿間、私は魔女だ。 そして、お前は魔女と個人的な遺恨がある」

 動揺はしなかった。ただ、アンの話が全て納得できる物だったというだけだ。

 俺には、魔女と遺恨がある――正しくは、俺の家系が魔女と遺恨があるのだ。それは、ずっと忘れられずに夢にまで出てくるお伽噺が、深く関係している。

 俺の家系に女性は居ない。いや、厳密にいうのなら女性の気配が無いのだ。でも、戸籍には母の存在はあるし、祖母の存在も、曾祖母の存在もある。

 居なかったことにされているのだ。父に理由を聞いても教えてはもらえなかった。

 だから、俺は母親に会ってみたくて探偵になった。自分で探して、探して、大金を積んで魔法具を使い、怪しい情報屋と関係を持ち、結局見つかったのは「二度とその顔を見せないで! 汚い魔女の呪い!」と罵る女性だけだった。

 その時、あぁ、俺は、魔女と関係があるのだな、と全てを納得してしまった。

「あれ? 驚かないの? 私は魔女なんだよ?」

「……別に驚きはしないよ。 ずっとお前の性格の悪さは、魔女みたいだからな。 あぁ、本当に魔女だったんだなって思うだけ。 俺が魔女と遺恨があるのも知ってる」

 アンは、つまらなそうに唇を尖らせ「なーんだ」と不貞腐れた。けれど、悪戯を思いついた子供のように「じゃ、魔法見せてあげようか!?」と笑った。

「……いいのか? 魔法は、その、簡単に人に見せる物じゃないだろ?」

 アンに気を使ったわけではない。あくまで、魔女である双子の姉妹に気を使った。彼女たちは、自分たちの魔法に関して、とても繊細に接していた。だから、俺は、子供にも分かり易い前置きを置いたうえで、十分な猶予を取り、自分で証明するという手段を取った。

 いつでも、彼女たちが魔法と共に俺の前から消えれる余裕を持たせていた。

 アンは、眉を顰め、きょとんとした表情を浮かべている。でも、すぐに口角をにたりと上げて「あぁ……鹿間は、魔女の遺恨の意味を知らないんだ」と呟いた。

 大切な秘密を抱える子供のような表情で、話を続けた。

「知ってる? あの子たちも私も、魔法を使えるようになったのは最近なんだよ。 なんでだか分かる?」

「……知らねぇよ」

「鹿間の心臓――」

 アンは、顎で俺の胸辺りを指す。俺は、視線を落とし自分の左胸を見た。

「魔女は、子供たちの魔法を消すために、心臓を代償にしたの。 でも、魔女は生きていたら、いつか人間に殺されちゃうでしょ? だから、自分の心臓を人間の夫の中に入れたの。 人間なら逃げれば勝ち。 どれだけ時代が経過しても、消されることはない」

 この世界に生きる者なら誰でも知っている逸話。その隠された一片を聞かされた。

 信じないという選択肢は無かった。俺の家系に女性がいない事や母に会いに行ったときの罵声、魔女の遺恨と辻褄が合う。それに、アンが「私は、魔法を使えるようになりたくて、鹿間を見つけた。 鹿間は、嫌でも魔女を引き寄せる」と呟いている。

「……なら、雪音も雨音も、それこそアンだって魔法は使えないはずだろ。 俺は生きている」

「そう、だから、使え始めたのは最近なの。 生きているのに、私たちが魔法を使える。 あくまで、私の仮説だけど、魔女が心臓に掛けた魔法が、時代を重ねるごとに弱くなっている。 その証拠に、私が使える魔法は、凄く些細な物だもの」

 俺の頭の中で、探偵として生きていくと決めた日から漂っていた線が、全て結びつく感覚があった。あまりに膨大な情報の一片が結びつく衝撃で、呆然としてしまう。

 アンは「あの子たちは優しい子だよ」と言う。雨音と雪音を指していることは、すぐに分かった。

「あの子たちが、自分たちの魔法を話さないのは、鹿間のためでしょ。 鹿間が、魔女の呪いを恨まないようにするために」

 雪音と雨音と過ごした短い日々が、アルバムを捲るように蘇る。

子供っぽくてよく笑い、人が大好きな雪音の笑顔。

少し大人びているが妹を信じ、小さく微笑む口元で幸福を噛みしめる雨音の笑顔。

 俺は、ここに座って血を流しているべきではないのだ。大切なそれらの笑顔を汚している涙とか、血とか、恐怖とか、不安とか……そういう物を全て拭わなくてはいけない。

「……アン、2人の場所に行くぞ」

「もちろんだよ。 私にとって、あの子たちは家族だからね」

 そう答えるとアンは「よいしょ!」と言って立ち上がった。椅子の足元には、綺麗に分解された魔法具が落ちている。

「私の魔法は、壊す魔法。 本当は、この建物ぐらい壊せるんだけど、今は仕組みをわかっている物を分解することしかできない……ほら、これで鹿間も動けるでしょ」

 アンの足元に転がる魔法具だった物と同じように、俺を拘束していた物が外れる。

 縛られていた手首は、痺れるような痛みが残っている。けれど、それ以上に、胸が痛かった。2人の幼い魔女の泣き顔を思い出すのが辛い。

 アンは、慣れた手つきで錆びた鉄の扉に、本物の魔法をかけた。重く閉ざされていた扉が、プラスチックのように分解され、鈍い音を立て開く。

「お前、何でも仕組み知ってるんだな」

「そりゃ、裏の情報屋さんですから」

 初めて俺は、アンの冗談で笑った。

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