第2話 双子の化け物

 今の状況は、簡単に一言で表すことができる。

 ――意味が分からない。

 混乱はしていない。俺は、至って冷静だ。状況を整理しよう。

 さっきまで泣いていた名も知らぬ少女から笑顔を取り戻し、疑問をぶつけた。すると、少女は、魔女の家族を探して欲しいと頼んできた。

「意味が分からねぇ」

 思わず、心の声が出てしまった。だが、少女は、これを質問と捉え、純粋に答える。

「魔女の家族……私の家族を探してください!」

 何も変わっていない。少女の言葉が比喩であるなら……流行のアニメの名言なら……いや、どちらであってもろくな物ではない。そもそも『魔女』という存在を使うことは、全人類が嫌悪を示し、ある一種の蔑称に近い。

 理由は、昔から伝わるある逸話のせいだ。人間(・・)として生きているなら、誰だって意味を違えず話す事が出来る。


 遥か昔――ある1人の魔女が生きていた時代。

 その魔女が、人間との間に女の子を授かりました。子供は、半分を人間の血、半分を魔女の血を引く、人間でも魔女でもない存在として産み落とされました。人間にも魔女にも成り切れない少女の体は、魔女の血を制御することができません。

 成長していく中で、暴走していく魔女の血は、魔法という異端の力として発現していきます。それに恐怖した人間は、魔女の家族を殺すことに決めたのです。

 人間が言いました。

「魔法を使える者は全て殺す」

 魔女が言います。

「私は、殺してもいい。 だから、子供だけは見逃して」

 人間は「ダメだ。 魔法を使える者は誰であろうと殺す」と答えます。

 魔女は話を続けます。

「なら、私は死んでもいい。 その代わり、子供から魔法を奪うから殺さないで欲しい」

 次の日、人間が魔女の元へ向かうと、魔女は死に、父親は消えていました。

 その代わり、6人の異様な子供が残されていたのです。

 2人は、片目が潰れ

 2人は、片腕が無く

 2人は、片足が無い子供――その子供は、魔法を使えない人間でした。


 これが、現代まで伝わる魔女の逸話だ。魔女の存在を否定する者はいない。逸話の証明が、『魔法』という形で残っている。

 異端な存在に恐怖を示すのは当たり前のことである、それが強大な力を持っているなら敵対心を持つことも納得できる。ただ、現代でも魔法だけが残っている理由は、あくまで道具であり、いつだって手放せるという点にあるのだろう。

 現代で魔法は道具であり、禁止してしまえば、人類は無力な人間にすぐ戻る。

 俺は、少女の視線に合わせるため、膝を地面につけて、真剣に向き合った。

「大人は、からかうもんじゃない」

 怒っているわけじゃない。あくまで、この少女を嗜めるため、俺は言った。

 彼女は、意味が分からないかのように俺の目を見ていた。まだ濁りを知らない少女の目は、球体人形の瞳のようだ。非現実的であり、厳重に保管され、誰かに見せるその時を静かにじっと待っていたような輝きを持っていた。

「ほら、おじさんは、仕事中なんだ。 親御さんの電話番号分かる? 電話してあげるから」

 少女の瞳は、輝きを増した。ただ、それは涙によるものだ。

「家族は居ないよ。 そのために、おじさんにお願いしたんじゃん」

 マズイことを聞いてしまった。ぱっと見ではあるが、綺麗な身なりに、服から覗く細い腕には痣は見当たらない。迷子それともこの時代に捨て子……いや、俺が考えても仕方がないことだ。子供のことは分からない。家族については、もっと分からない。

 まして、魔女という単語を出されてしまったら、俺の思考は一気に歪む。

「じゃ、おじさんについていっちゃダメ?」

 子供の突拍子もない接続詞の意味も分からない。

 夜の11時に迫ろうとしている時間帯に、子供を連れたおっさん……だが、大人と居た方がいいだろう。これもまた、俺の中のルールに従うまでだ。

「おじさんの仕事の邪魔をしなければいいよ」

「私も、おじさんの仕事手伝う! あっちにいるよ。 マロンちゃん!」

 彼女は、家族に触れてしまった時の落ち込みが嘘かのように走り出す。止めようと腕を掴もうとしたが、大人が掴んだら折れてしまいそうな華奢な腕をみると、それはできなかった。

 結局、俺は、会ったばかりの名も知らぬ少女の後ろを追いかけるしかない。

 後ろを追いかけていて、ふと不思議に思うことがある。

 ――俺、マロンちゃんの名前教えたか? そもそも、なんで探偵ってわかった?

「ほら、マロンちゃん逃げちゃうよ! 早く!」

 振り返る少女の笑顔が、どことなく不気味に感じる。1日中足を使って働いた疲れからかもしれない。それとも、非現実的な美しさを持つ少女の仕草がそう思わせているのかもしれない。

 俺の中に漂っていた疑問は、すぐに消えてしまった。

 きっと、コンビニに居たのだろう。そこで、マロンちゃんの事や俺が探偵であることを聞いたのだろう。


 結局、俺の体力の無さから200mも走らないで、歩きに変わった。10m先を少女が歩き、その後をついていく。

 この道は知っている。犬は、1日の行動範囲が1㎞程と聞いたことがある。室内で飼い主に異常な愛を注がれたチワワなら1㎞も歩かないだろう、と目星を立て、半径500m圏内で捜索をしていた。この道は、その範囲内のため今日だけで5回は通っている。

 確か、この先をもうしばらく進むと公園があるはずだ。その公園でも、談笑をする主婦たちにポスターを渡している。

「あのさ、おじさん」

 少女は、前だけを向いて静かに呟く。そして「もしも、もしもだよ」と念入りに前置きをしてから、話を続けた。

「私が、マロンちゃんを見つけたら、なんでも言うこと聞いてくれる?」

「あぁ、見つかったらな」

 あくまで、子供のごっこ遊びだ。誰しも子供の頃には、大人の姿に憧れてしまう。例えば、お医者さんごっこをするのに、本当の診察券を親の財布からこっそり抜いて遊んでしまう。この子も、ごっこ遊びに探偵を使いたいんだろう。

「本当に!?」

 今度は、こっちをしっかりと向いて少女が言った。そして、念入りに「本当の本当のほんとのほんと?」と確認をする。

「本当だ」

 俺は、子供の無邪気さが鬱陶しく感じ、適当に答えた。

 それに対して少女はそれ以上何も言わなかった。その答えのように、満面の笑みを浮かべている。

 偶然に見つけられたら、お菓子でも買ってあげよう、それで終わりだ。

 俺は、煙草に火を付けた。名も知らぬ少女と出歩いている罪悪感も消え、はっきり言えば家に帰りたくなっていた。温かい風呂に入り、冷蔵庫で冷えているビールを飲みたい。

 それほど疲れているのだろう。

「おじさん、ここだよ」

 俺の予想通りの場所に来た。公園だ。昼間と違うのは空気感のみ。子供達の声はなく、主婦達の談笑も聞こえない。遊具はどれも動いておらず、もちろん人影はない。

 本来なら可愛らしさを含んでいるカエルの遊具が、夜の影に染められて不気味だった。まるで、魔女の魔法でカエルに変えられてしまった人間を見ているみたいだ。

「何もいないぞ。 公園で遊びたかったのか?」

「いるよ。 ほら」

 少女は、俺の後方を指差した。

 ゆっくりと振り返る。そこには少女がいた。女の子がいたということではない。ここまで、俺と一緒に歩いてきた少女と全く同じ人間がいるのだ。

 絶句した。さっきまで正面にいたはずの少女の姿はない。瞬間移動――まさかな。

「ねぇ、おじさん――」

「来るな!」

 理解不能、存在不明、説明不可能――意味するところは嫌悪と恐怖心だ。これは、魔女に対するそれとよく似ている。

 俺は、魔女が怖い。人間的なそれとは、別の恐怖心を感じてしまう。

 気づいたときには、逃げ出していた。ポケットから煙草が落ちたが拾う気にもならない。

 とにかく走った。振り向くことなく脅威から遠ざかりたかった。心臓が、耳の横についているみたいだ。冷たい空気が肺を刺していき、うまく呼吸が出来ない。

 かなりの距離を走った。口の中は乾いてベタベタだ。唾を飲み込もうとすると、体の奥底から胃液がせり上がってくる。

 横を見ると違法に放置されている魔道具の箒があった。これに乗って逃げようかと思ったが、自分ルールから逸脱してしまう。

 自分自身の恐怖心のための窃盗は、捕まった時の言い訳にはならない。

 後ろを振り返った。少女はいない――正面に居た。

「おじさん、逃げないでよ。 私、寂しいよ」

「はは……なんなんだよ」

 さっき来た道を戻るように走る。その途中で、路地を見つけた。そこへ駆け込む。悪臭を放つゴミを力いっぱい踏んでしまい、顔に変な汁が飛んできたが気にせず走った。

 しかし、再び少女が目の前に現れる。

 何度も、何度も、何度も、何度も――何度逃げても、少女は俺の前に現れた。

「お前、なんなんだよ」

 この少女が、俺の目の前に現れた時の会話を思い出した。

――魔女の家族を探してください。

 魔女は憎まれ、蔑まれ、恐怖されている存在だ。

 少女の非現実的な美しさが、無機質で機械的な物に見えてくる。影が掛かった無表情が、無力な獲物を狙う獣のようだ。

 俺の方へと少女が歩みを進める。

 魔女は存在しない。この表現は、少しだけ違う。

 正確には、魔女は現代には存在しない。

 社会には、魔女が存在していた痕跡が至る所にある。魔道具もその一つだ。憎まれた魔女の力を人間の都合のいいように作り替えた物である。確かに、魔女は現代には存在しない。

 だが、ある学者が「現代における魔女の存在は絶対的に否定できる物ではない」と言い、世間を騒がせた時がある。それは一過性の物であり、その学者の今は誰も分からない。

 だから、魔女が存在しないということが事実になったのだ。今は、誰もそれを信じて疑わない。

「もう、いいや。 走れねぇよ」

 俺の体力は限界だ。膝がケタケタと笑っている。小学生の少女に追いかけられ、三十歳の男が全速力で逃げているんだ。そりゃ、膝も笑いたくなる。大爆笑ものだ。

「なぁ、教えてくれよ。 お前は、本当に魔女なのか?」

 何度で聞かれても、同じ答えをする。

 俺は、魔女が嫌いだ。でも、出会いたい――本物の魔女は出会うべき存在であるとは、思っている。

 地面に座り込んで大きく息を吸い込んだ。窮屈だった気道が広がり、夜に冷やされた空気が肺に充満する。

 少女は、何も答えない。その場でじっと佇んでいる。

魔女かどうかは答えたくない、ということだろうか。

「なら、名前は? 名前くらい教えてくれてもいいだろう」

 やはり、少女は何も答えない。次は、どんな質問をしてやろうか。魔女の好きな食べ物でも聞いてやろうかな。現代に生きる魔女なんだ。意外とジャンクフードが好きかもしれない。

「どっちの?」

 少女が口を開いた。でも、会話になっているとは言い難い。

「どうゆう意味だ?」

「だから、どっちの名前ってこと――もう、いい」

 自己完結させたような口ぶりの少女は「ユキネ!」と叫ぶ。

「はーい。 おじさん、脅かしてごめんね」

 電柱の陰からユキネと思わしき少女が現れた。彼女は、右手に銃の玩具を持っている。間違いなく、俺と一緒にいたあの少女だ。だが、眼前に立ち無機質な恐怖を発している少女とユキネは、姿も仕草も全く同じだった。

 俺は、混乱して並ぶ2人の少女を交互に見る。口をパクパクとさせ、それを見たユキネがクスクスと笑う。

「私たちは魔女です。 犬は見つけました。 もう届けてあります。 なんでも言うことを聞いてもらう権利があります」

 突拍子もない、突然に、唐突もなく、脈絡もなく――どの言葉も当てはまらないくらい、冷静に、ユキネではない少女が告げる。

 すると、俺のジャケットに入っていたスマホから着信音が鳴る。

「はい、もしもし」

「探偵さん、どうもありがとうございます。 ちょっと前に、電話があって、マロンちゃん見つかりました! 探偵さん、たくさんポスターを貼ってくださったんですってね。 もうお世話になりました。 お金は、約束の口座に振り込ませていただきます。 本当にすみません。 では」

 雑に電話を切られた。まくし立ててくる電話の相手はマダムだ。

「お前ら、何者?」

「私たちは、魔女です。 そして、犬を隠しました」

 ユキネではない少女は、そう言った。

 続けてユキネが言う。

「私たちの家族を探してください!」

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