第5話 意味は魔女だけが知っている
「どこに向かっているの~」
後ろをついて歩いている雪音が言う。確かに、俺に向けて尋ねられた疑問だが、答えなかった。何度も答えを催促する雪音に、雨音が答えた。
「魔女を証明する場所……そうでしょ?」
その通りだ、と心の中だけで答えた。ただ声に出さない理由は、この子たちをその場所に同行させるべきか悩んでいる。悩む原因は、やはり魔女という点だ。
探偵事務所がある日常的な空間から汚れたビル群に囲まれた土地へと進む。俺のビルも廃墟に間違われるくらい汚れているが、ここのビルは違う。確かに汚れているが、人間の気配がする。工業的な液が壁を垂れていたり、遮光カーテンの掛かった窓の横にある室外機が鈍い音を立て回っている。今歩いてる路地も、熱帯的な蒸し暑さと圧迫感に包まれていた。
しばらく路地を歩き続けた。独特の空気感からか、気づいた時には雪音から質問は投げかけられなくなっている。それとも「どこに向かっているのか?」という疑問の答えを全て、この地下的な不気味さが説明したのかもしれない。
俺たち3人は、重く閉ざされた黒い扉の前に辿り着く。排ガスで汚れているわけではない。塗料で染められた人工的な黒色だ。お伽噺のような非現実が日常に顔を覗かせていると、底のない恐怖心に沈んでいってしまう。
俺は、2人をその恐怖に沈めたいわけではないのだ。
「今から行く場所では、何を聞かれても喋るな。 質問をするのは俺だけにしろ」
雨音だけではなく、2人に向けていった。
扉の先は一般の人が関わるべき領域ではない。だが、魔女を証明するには、最も安全である。
そういう場所なのだ。
重い扉を4回ノックし1秒の間を開けて、次は2回ノックした。
向こうから反応はない。これが、正解だ。
どのくらいの時間が経っただろう。扉と俺の間に沈黙が続く、その間思考が絶え間なく巡る。
俺の格好は変じゃないか。今朝は寝癖を直したか。靴下は何色を履いてきたか。
ズボンのポケットには何を入れていたか――雨音と雪音は安全か。殺されそうになったらどうするべきか――プルルルル。
沈黙を破ったのはスマホの着信音だった。画面を見ずに耳に当てる。電話の相手には、俺からは何も語りかけない。
『ここは託児所じゃない』
酒焼けした女性の声だ。怒っているようにもからかわれているようにも感じる声色は、俺の思考をより一層巡らせる。
声の意味が、雨音と雪音を指しているのは察しがついた。
「この2人について話がある」
『保険は?』
他人が聞いたら全く話が嚙み合っていないと思うだろう。だが、しっかりと意味はあっている。俺の答え方次第で、人間の存在がいとも簡単に消える。
「いくらだ?」
『金は持っていないだろう。何日か前に届けた封筒、あれは情報料の書面だが大した額は渡していない。 あぁ、そうだ。 そこのお嬢ちゃん達くらいの年齢を買いたい奴がいるんだ』
「ふざけるな!」
ガシャンと金属が砕けるような音が路地裏に響く。電話越しではなく、クリアなリアリティを持つ音だ。音の方を見ると一本の鉄筋が落ちていた。
「すみませ~ん。 大丈夫でしたか?」
頭上からヘラヘラと笑った浮浪者が頭を下げている。こいつが鉄筋を落としたのだろう。浮浪者は相手にせず、2人を手招きし、俺と扉の間に置いた。そして、電話の主に集中する。
「俺自身が保険だ。 内臓でもなんでも好きにしろ」
2分ほどの間が開いて黒い扉の向こうから鍵を開ける音がする。ゆっくりと扉が開かれた。
「交渉成立だ」
電話越しと同じ声が聞こえる。俺は、連れてきた2人の身元を保証する条件として自分を彼女に売った。パンツスーツを綺麗に履きこなし、八重歯を覗かせながらニヤリと笑う女性――仕事仲間のこいつに全てを握らせた。俺は、こいつが嫌いだ。
3歳も年下の癖に、誰よりも絶対を握っているのが気に入らない。
「ようこそ、bar黒猫へ」
わざとらしくドアマン風に振舞う彼女は、道化にしか見えない。サーカスにいるような笑いをもたらすピエロではない。いつだってナイフを隠し持つようサイコパスなピエロだ。
俺よりも先にピエロの招待を受けたのは、間に居た2人だ。過剰な装飾はなくモノトーンにまとめられた店内を見て感嘆の声を漏らしている。
2人の後に続いて店内へ入った。扉が重い音を立てて勝手に閉まる。後ろを振り返るとスーツを着た屈強な男が、扉の前に仁王立ちしていた。
カウンターに3人で並んで座り、さっそく本題に入る。
「仕事を受けたい」
「仕事ならあるだろ。 迷子を捜して欲しい人は意外とたくさんいる はい、オレンジジュース」
俺とは目を合わせないこいつは、手際よく雨音と雪音にジュースを出した。
「……裏の仕事だ。 魔法関係の」
ここでの魔法は、魔女の魔法ではない。あくまで、魔道具を指している。
「情報を売るだけじゃ物足りないのか? 傲慢なのは魔女だけでいい。 このオレンジジュース赤いだろ? 血で育てたオレンジで出来てる」
雪音が「嘘……」と顔面蒼白にしている。しかし、すぐに雨音が「ブラッドオレンジっていう種類。 血じゃない」と答える。
俺は、探偵だ。魔法を使いこなせない高齢層や魔法を嫌う人間相手に商売をしている。表立った仕事に関して犯罪は犯していない。需要と供給、または、ニーズを担う歯車的な役割を行っている。だが、中には、そういう魔法を知ろうとしない人間の情報を欲しがる人々もいるのだ。俺は、ここにきて上等な酒をタダで飲みながら、依頼主の話を少しして、後日ある程度の額を貰っているだけだ。
「アンには関係ないだろ。 仕事をくれないなら帰るぞ」
彼女の名前を言ったからか、雨音と雪音にだけ向けられていた視線が、やっと俺の方へ向く。
「この子達はなんなんだい。 連れてきたのなら意味があるだろう」
「こいつらと一緒に仕事を受ける。 俺の助手だ」
「助手!?」
アンは、猫のように目を丸くした。俺と2人を交互に見て、腹を抱えて笑う。
「何を言い出すかと、帰りな。 子供を連れた奴に仕事は受けさせない。 クライアントに殺される」
殺されるのは俺たちなのか、それともアン自身のことなのか。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
公園や河川敷で、2人から魔法を見せてもらうわけにはいかないのだ。もし、本当に2人が魔女で、魔法が見つかったら魔道司所に何をされるか分からない。
<魔女である者は極刑とする>当たり前の常識だ。だから、アンに与えられた仕事の中で魔法を目の当たりにし、情報を消してもらわなければいけない。
アンが仲介した仕事は、事故として処理されニュースで報道されている。それならまだいい。誰にも知られず、静かに消えたモノもある。アンはそれだけの権力を持っている。
「私たちは魔女です」
じっとりと湿度を持った空気を乾燥させたのは雨音だった。オレンジジュースを飲み欲し、ナプキンで口元を上品に拭っている。
「おい!」
俺は、自然と声が出ていた。これでは、肯定してしまっているようなものだ。
アンは、仕事仲間であるが味方ではない。このバーで話した内容は、理由がどうであれ情報となり値段が付く。
「私たちが魔女であると証明するためには、アンさんの仕事が必要なんです」
「なるほどね」
アンは、小さく口元に笑みを浮かべている。その笑みの意味はわからない。
「いやいや、子供の冗談だよ。 真に受けるな」
俺の言葉が、意味を持たないのは知っている。アンは、雨音を子供ではなく客として認めてしまっている。その証拠に、もう俺の方に視線は送られていない。
「意味が分かっているの? お嬢さん」
「それは、魔女の意味? それとも、今の状況の事?」
「どっちもだよ」
「アンさんは、魔女が嫌いじゃない。 そして私たちに仕事をくれようとしている」
聞いているだけで冷や汗がであるような皮肉だ。けれど、俺の入る余地はもうない。
沈黙が続いた。けれど、それはアンと雨音の間の沈黙だ。俺は、ずっと1人で焦っている。
沈黙の意味を掴めないでいた。鼓動だけが早くなり、音が部屋中に溢れてしまっている気がした。2人は、互いに視線を外さず見つめ合っている。いや、睨み合っているという表現の方が正しいのかもしれない。
「わかった。 仕事を与えるよ。 お嬢ちゃん、強いね」
視線が俺に向けられる。ここからは大人同士の話と言う意味だろう。
「最近、魔法犯罪者たちが魔法司所に捕まってるだろ。 流石に犯罪者たちも危機感を覚えたらしい」
アンは、そこで話を止める。ここまで聞けば仕事の内容の察しは付く。全ての情報を開示する前の最終確認と言うことだ。俺は、2人を見た。雨音は、もう役割を終えたかのように話の中に入ろうとしない。雪音と楽し気に話している。
「続けろ」
「犯罪者なりのプライドだろうね。 近々、魔法司所の上層部を拉致する。 そのうちの一人の行動を監視してもらいたい。 探偵らしい仕事だろ?」
嫌味な言い方をする奴だ。だが、この仕事はベストだろう。直接的に犯罪に手を付けるわけではない。あくまで、たまたま俺たちが居た場所に、都合よく犯罪者集団が拉致する人物がいた……というていが取り繕える。2人を危険に晒すことはない。
「それでいい。 詳しいことは、後で渡してくれ」
俺は、2人に「行くぞ」と声を掛けた。雨音は素直についてきたが、雪音は飲みかけのオレンジジュースが惜しい様子だ。
「また飲みにおいで、今度は2人で。 ここはいつだってやってるから」
初めてアンの表情を読み取ることができた。一人の女性であり、大人の表情だ。守られるべき子供を見つめる母のようであるとも言っていい。俺は、素直に美人だ、と感じてしまった。それが悔しくて「もう来ないよ」と強気の態度を見せる。
「私は、ただの可愛い女の子2人に言ってるんだ。 もちろん、人間のね」
もうアンの表情は読み取れなくなっている。サイコチックな意地悪い表情だ。
「貸し1つだ」
ケラケラと笑う憎たらしい声に背を向け、さっさと店を出た。日常とかけ離れたような空気を持つ路地が、酷く現実的に思える。俺は、煙草に火を付ける。
「ごめんなさい」
雨音が泣き出しそうな表情を浮かべている。俺は、それが堪らなく悲しかった。子供は大人と駆け引きをするべきではない。
「いや、いいんだ。 雨音のおかげで仕事がとれた。 報酬もそこそこいいんだぞ」
励まそうと思ったが、雨音は大人過ぎる。だから、愛想が苦手な大人の取り繕った言葉の真意などすぐに感じ取れるのだろう。
「そうだ、今夜は美味しいご飯でも食べに行くか。 何が食べたい?」
「ハンバーグ!」
姉の泣き出しそうな表情とは打って変わって、雪音は大きく笑っていた。
「雨音もハンバーグ好きだよね」
「……うん」
「チーズのやつ食べよう!」
「……デミグラスがいい」
今にも罪悪感に潰されて、涙が零れようとしていた少女から涙の気配は引いていた。俺には分からない何かが、姉妹には分かるのだろう。いや、姉妹だから当たり前に分かることがあるんだ。2人は、こうして今まで生きてきたんだ。
けれど、この仕事を中断し、2人の少女として向き合うことはできない。
2人が本当に魔女であるのなら、俺は向き合い方を変えなくてはいけない。変える必要がある。それは、とても個人的な理由だ。
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