雨の降る街 7 翌日
ハンドルの前の席に、レンは黙って掛けていた。自分のそばまで、サクが歩いてくるのを待つ。足音が止まると、口を開いた。
「新しい道を、見つけられたんだな。早く行ったほうがいい。見失わないうちに」
「僕の父は、教師だったんだ。いつも威圧的で、そんな父が、大嫌いだった」
サクは口から言葉が、溢れ出るように語り始めた。それを、レンは決して遮らず、また穏やかな表情も崩さなかった。
「進路のことで口論になった。僕は美容師になるため、専門学校へ通うつもりだったけど……父は許さないと叫んで、それからすぐ、倒れたんだ。脳梗塞だった。まわりの人は、あなたのせいじゃないんだから、と……。でも僕は、それからどう生きていけばいいか、分からなくなった。それで、何もかもから逃げ出すように……この街へ来たんだ」
一気に話し終えると、サクは一度、大きく深呼吸した。サクの耳には、配管が出す振動音と、自分の打つ鼓動の音が、入り混じって聞こえていた。
レンはあごに手をあてて、「美容師か」と一言、考え深げに呟いた。
サクは鞄の中に詰めてきた、ハサミとカミソリを思い出していた。自分にとって、大切な道具。意を決して家を出た時も、心のどこかでは、忘れることなどできなかったのだろう。自分の道はどう考えても、そこへ繋がっているのだと、サクには思えた。
「父は許してくれなかったけど、これは僕の道なんだ……」
サクはぎゅっと拳を握った。
レンは、後ろでしばった髪に触れると、
「なあ、いつか、切りに来てくれないか」
わざとかどうか、明るい声を出して話した。
「いつでも練習台になってやるぜ。それに……お前だってこの先、泣きたくなる時があるかもしれない。そんな時は、またここへ、帰ってきたっていいんだからな」
サクはほんの少し笑って、それから静かに頷いた。レンも、それを見て満足げに、大きく頷いて見せた。
「俺はずっと、この仕事を続けるだろう。誰がなんと言おうとも……たとえ、どんな時代になったとしても……この街は人々にとって、なくてはならない場所なんだ」
レンの言おうとしていることが、サクにはよく分かっていた。生きているかぎり、悲しみはなくならない。雨は涙に寄り添って、傷ついた心を、そっと洗い流してくれる。レンのしていることは、とても尊い仕事なんだ、と。
「さ、行きな」
ぶっきらぼうだけど、優しさのこもった声に、サクは背中を押された気がした。
レンに向かってお辞儀をすると、しっかりとした足取りで、サクは部屋をあとにした。
雨の街なかを歩く。
真夜中を過ぎた時間でも、ビルには明かりがついている。
誰かが眠れない夜を過ごし、悲しみに耐えているのかもしれない。中には雨に打たれようと、表へ飛び出す人もいるだろう。
雨が、街中に白いもやを作り出す。
そのもやに包まれながら、サクは一人、歩き続けた。
レンのビルに立ち寄って、自分の鞄を持ち出すと、後ろを振り返ることもなく、また前を向いて進んでゆく。
やむことのない雨に、体を濡らした。
それは柔らかい、とても優しい雨だった。
来た道を、西へ向かって進み続けた。
雨の街を過ぎ、風に吹かれて、体は徐々に乾いていった。
背中から、暖かい光が差してくる。
朝日が昇ったのだ。
前方の道を、光は明るく照らし出す。
昨日は終わった。
それでも心は、ずっと体を動かし続けた。
この気持ちを、また翌日の自分へと、繋げよう……。
◆ E N D
雨の降る街 リエミ @riemi
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