第21話 その先にあるもの
ホテルの一室のようなその部屋は明るく清潔で、白いレースのカーテンがかかった窓からは、柔らかな日差しが降り注いでいた。
「ここは、どこだろう?」
うまく記憶が繋がらない。
頭がボーっとするし、
部屋の中を見回していると、カチャッとドアが開いて誰かが入ってきた。
食事の乗ったトレーを手に近づいてきた男は、かつての上司、玉川だった。
「やぁ、目が覚めて良かった。食事を持って来たんだ」
「玉川さん……どうして?」
彼の顔を見た瞬間、金髪碧眼の外国人リュシアン・ディディエの顔が脳裏に閃いた。それと同時に、最後の記憶も蘇った。
鷲須はあの日、逃げ込んだトイレから無理やり引き出され、リュシアンに何かを首元にあてられた。おそらくスタンガンのような物だったろう。その後の記憶はない。
この状況を考えれば、ここに来るのは鷲須を誘拐したリュシアンであるべきだった。
「どうして、玉川さんが?」
鷲須が尋ねると、玉川はトレーをサイドテーブルの上に置きながら、苦渋の表情を浮かべた。
「鷲須……おれと一緒に外国で働こう」
「え、でも……あなたは、貧困児童のために働いているって……」
「どんなに頑張ってもだめなんだ。貧困はなくならない。ロボットに仕事を奪われた人間は、どうやって金を稼げばいい?」
玉川は泣きそうな顔で、ベッド脇に座り込んだ。
「各企業が労働者をロボットにシフトし始めた頃、政府が何と言ったか覚えているか? 日本の労働人口は減少を続けている。ロボットなしではやっていけない。その代わり、全国民に
ははっ、それが今はどうだ? 最低生活費はどんどん減少して、仕事にありつけない最下層の人間は
「確かにそうです。ですが、日本の貧困と、我々が外国で働くことがどう繋がるのですか? それも、ただのロボットじゃなくてヒューマノイドを作る仕事ですよ? ぼくはリュシアンに拉致されたんです。こんなことを言うのは何ですが、あの青年は危険です。あの人は、ヒューマノイドを使って一体何をしようとしているのですか?」
「それは……」
玉川は困ったように口を噤んだ。唇が微かに震えている。
「リュシアンは……おれに言ったんだ。どんなに頑張っても日本は変わらない。国を変えるには、一度すべてを壊さなければならないって…………彼は、国の中枢を破壊するつもりだよ」
「なっ……なんですって!」
鷲須は小さな目を見開いて、玉川を凝視した。
「我々はいま、西アフリカに向かっている。ここは船の上だ。まだそれほど日本から離れた訳じゃないから、テレビも見られる」
玉川はそう言って、デスクの上に置かれたテレビをつけた。
アナウンサーが必死の形相で何かを喋っている。
画面が切り替わった。
街頭カメラの映像なのだろう。白亜の国会議事堂が映っている。
次の瞬間、ドォンと音がして、国会議事堂から灰色の爆煙が立ち昇った。破壊された建物が崩れながら徐々に沈んでゆく。
「こっ、これは……フェイクニュースじゃないのか?」
「ああ。本当に爆破されたんだ」
「何てことを……」
鷲須はテレビの画面から目が離せなかった。
〇 〇
「黒サン! 黒サン!」
暗闇の中、
力を失くした腕は重く、抜け出るのに時間がかかったが、意識のない黒川が心配で心配で、凛は生きた心地がしなかった。
手探りで周りを調べると、地下鉄のホームと同じ滑らかな地面の上に、コンクリートの破片や砂塵が降り積もっていた。
凛は破片を手で避けると、コートを脱いで地面に広げた。
そこに黒川の体を横たえる。
真っ暗で何も見えないが、手に触れた黒川の髪からは、ぬるりとした湿り気が感じられた。
(血だ……)
凛は凍りついた。
「いやだ……目を開けてよ……黒サン! ねぇ、目を開けてったら! いやだよ……あたしを一人にしないでよ!」
黒川にすがりつき、凛は泣き出した。
こんな時に泣くだけで何も出来ない自分は嫌なのに、どんなに堪えようとしても涙が止まらないのだ。
家族を失ったあの時と同じ、寄る辺ない心細さが押寄せて来て、涙があとからあとから溢れてくる。
「おい、凛、しっかりしろ!」
小さな明かりが近づいて
「大丈夫だ。黒川はまだ生きてるよ。おれが担いで行く。前を照らしてくれ」
「……わかった」
細長いライトを受け取ると、傷だらけの恭介の顔が見えた。
凛はグッと奥歯を噛みしめて立ち上がった。
小さな光が、瓦礫が降り積もった足元を照らしだす。その同じ光が、泣きはらした凛の顔も淡く照らしている。
恭介は黒川の体を背負いながら、小さくため息をついた。
「ったく、美味しいとこ持って行きやがって……」
ブツブツと呟いた恭介の声は、幸い凛の耳には届かなかった。
〇 〇
国会議事堂が爆破されて一か月が経った頃、黒川はようやく退院することができた。体中に破片が刺さり、一時は意識不明の重体だったが、意識を取り戻してからの回復は早かった。
ただ、入院していた一か月の間に、クリスマスも正月も過ぎていた。
退院したその足で、黒川は警視庁の別館を訪れた。入口のガラス扉に映った頭の白い包帯が、少しだけ痛々しく見える。
「黒川さん! 退院おめでとうございます! 一時はどうなることかと思いましたけど、意識が戻ってホッとしました!」
テロ対策課に入ると、
後から聞いた話によると、木島は「国会議事堂に爆弾が仕掛けられました!」と勝手に爆破予告犯をでっち上げ、素早く国会周辺に厳戒態勢を敷いて周辺にいた人たちを避難させたという。
なかなか出来ることではない。普段の姿からは、纏わりついて来る柴犬にしか見えないが、有能な刑事には違いない。
「先輩、何かおごって下さいよ。ぼく、頑張ったんですよ。黒川さんを担いだ
「わかったわかった。そのうちな」
木島をシッシとあしらい、課長の前に進む。
懐から取り出したのは、病院で書いた退職届だ。
「回復したようだな。何だこれは────」
課長は黒川の退職届を手に取ると、それを真っ二つに破り捨てた。
咄嗟に手を伸ばしたものの間に合わず、黒川は課長を睨みつけた。
「どういうつもりです!」
「リュシアン・ディディエの件。確かに国会議事堂は爆破されたが、おまえのお陰で人的被害はなかった。上層部は、おまえに提示していた条件を取り下げた。正式にテロ対策課への辞令が出ている」
「でも、おれは────」
「まぁ聞け黒川。例の
課長は目を細めて同意を促すが、黒川は首を振る。
「いえ、おれはハンターに転職するつもりです。別に退職金は当てにしてませんよ」
「そうか……しかしなぁ、退職届もダメになったことだし、もう少し考えてみろ。まだ有休もあるし、ゆっくり休んでから決めればいい」
課長は破り捨てた退職届をクシャッと丸めると、ゴミ箱にポイッと捨ててしまった。
何だか言いくるめられた気もするが、その場で退職届を書き直す気力もなかった。
「出直してきますよ」
溜息まじりにそう答え、黒川はテロ対策課を後にした。
外へ出ると、警視庁の正面玄関に凛が立っていた。紺色のコート姿で、胸の前で腕を組んでいる。黒川を見上げる顔はしかめっ面だ。
「退職届は出したの?」
「いや、課長に破り捨てられた。出直しだ」
「ふぅーん」
不満そうに唇を尖らせる。
「これから恭介のところへ顔を出そうと思っていたんだが、おまえも一緒に行くか?」
「えー。何で恭介のところ?」
「彼の親父さんにも心配かけたようだし、挨拶しとこうかと思って────」
「そんなのいつでもいいじゃない。あたし……今日、誕生日なの」
凛はそう言うと、まるで
「……そうか、おまえ、誕生日か」
黒川は思案げに顎をなでた。入院中、凛にはずいぶん心配をかけた。聞けば、黒川の意識がない間も、毎日のように面会に来てくれたらしい。
「じゃぁ、何か飯でも食いに行くか?」
「うん!」
凛は一転笑顔で頷くと、ぴょんと飛び上がった。そして黒川に駆けより、彼の左手の中にするりと自分の右手を滑り込ませた。
「やったぁ! デートだね!」
「何がデートなもんか。言っとくが、おれはJKが喜びそうな飯屋は知らんぞ」
「黒サンにそんなの期待してないよ。それに、あたしもうすぐ卒業だから。そしたら黒サンはあたしの後輩になるんだからね! 覚えといてよ!」
ツンと顎をそらせる凛を、黒川は苦笑しながら見下ろした。
「なるほど。おれがハンターに転職したら、おまえの方が先輩か。じゃあ、せいぜい美味いもん食わせてやらないとな」
軽口を叩きながら、ゆっくりと歩き出す。
つないだ手の温かさに、心がふわりと解けてゆく。
まだ冷たい早春の風に吹かれながら、黒川は顔を上げ、真っすぐ前を向いた。
End
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〇最後まで読んで下さり、ありがとうございましたm(__)m
あまり戦闘シーンがなく必死で6万字に収めた感ありありですが、皆さまのお陰で期限内に書き終えることが出来ました。感謝です!
ブラックアウト ──無精ひげ刑事✖JK✖ハンター✖ヒューマノイド── 滝野れお @reo-takino
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