最終話 そんな偶然ってある?

「ねえ、あれは? 大京駅で降りたスーツの人。どう推理したの?」

 わたしはモヤモヤ気分を吹き飛ばすように、最初に見せられたマジックを思い出してたずねた。まだまだ目的地までの道のりは長いから。


「簡単ですよ。彼のスーツの胸には、大京駅に本社がある大手商社の社員バッジがありました。日曜日の今日は顧客訪問の線はない、ということは自社出勤でしょ。それで駅が確定できます」

「会社のロゴまで覚えてるの!?」

「せっかく浜松から来るんですから、しっかり予習しますよ。沿線の企業、ショップ、病院、公共施設などなど、乗客に関係ありそうなところは、一通り全部暗記します」

「すごい。すごいと思うけど、その情熱の出どころがわかんない」

「でも趣味ってそういうものじゃないですか? 他人に理解される必要なんてないんです、自分さえ納得していればいい」


 そのひと言で心のしこりがスーッと溶けた。

 わたしもアンサンブルが好きだけど、楽器を弾かない人に音を合わせる楽しさや快感を伝えるのは案外難しい。同じ経験と知識を共有して初めて、話が通じることもあるから。


 ホームズさんって変わっているけど、筋がとおった頭のいい人なのかもね。ようやく彼の人となりが見えたと思った。それはジグソーパズルの終盤で、ピースが一気にピタピタッとはまって完成した感じ。スッキリした達成感が心地よかった。


「さて、質問タイムはおしまい? 星マル丸、好きなんですか?」

 ホームズさんはチェロケースの破れたシールを指さした。

「そりゃもう! チサト女史のコミックは全巻持ってます」

 好きなことになると、つい熱が入ってしまう。彼の言葉にかぶせ気味で話し始めたわたしにドン引きしたのか、ホームズさんは困惑したような表情をみせた。

「それじゃなおさら申し訳ないな。約束どおりシールを弁償しますので、連絡先を教えてください」

 ホームズさんはスマホを開いた。

「もういいんです」

「えっ?」、驚いて目を見ひらくホームズさん。

「シールのことは忘れてください。あれ、懸賞でしか手に入らないし。それに何より、お話楽しかったです。おかげで退屈せずに済みました」

「そうですか……」

 彼は心なしか残念そうにスマホを閉じ、ポケットへ収めた。


 ――これでいい。いいはずだ。


 ホームズさんには惹かれるものを感じる。端正な外見も素敵だけど、温厚でていねいな物腰がモロにわたしの好きなタイプ。もし連絡先を交換して交流が続くとしたら、いずれわたしは彼を好きになるだろう。だったら最初から好きの芽をつんでおいたほうがいい。なぜなら彼は浜松の人。遠く離れた人を好きになることは、きっとつらいと思うから。


 それに遠距離恋愛は退屈だって、わたしの中の『酸っぱい葡萄狐』がつぶやく。

 わたしは何より退屈がキライだから。


 ホームズさんはしばらくわたしの顔を見つめ、ひざに乗せていた生成きなりの帆布バッグから片手に収まる小さなメモ帳を取り出した。一枚ピリッと破ると鉛筆でサラサラと何かを書き込み、サッと手渡してくる。

「これあげます」

 LINEかメールのアドレスかな。そう思いながらわたしは受け取った紙片に目を落とした。そこに描かれているのは、お得意のポーズをバッチリ決めた星マル丸。


「イラストお上手なんですね、ちょっと意外」

「破けたシールの代わりになりませんが、それ貼ってください」

「ホームズさんも星マル丸のファンですか?」

「ファンというか、僕、遊免ゆうめん知聡ともあきっていいます」

「はい?」、彼の言葉の意味がつかめなかった。そんなわたしに、ホームズさんはメモ帳に名前を漢字で書いてみせた。

遊免ゆうめんさん? めずらしい名前」

「実は僕、星マル丸の作者なんです」

「……」、わたしは彼の言葉を理解するのに数秒かかった。「うっそォ!? ウソでしょ!」

「ホントですって」

「だってゆめチサトは女性ですよ?」

「ファンから女性だと誤解されてますが、そもそも夢チサトは女性とも男性とも公表していないんです。僕のペンネームが夢チサト。知聡ともあきってチサトって読めるでしょう?」

「でも、さっきは大学生って言ったはず」

「大学生も本当です。高校でデビューして、大学へ通いながらマンガ描いてます」

 想像していなかった展開に、わたしは頭がクラクラした。


「さて、僕は自己紹介しましたよ。今度はあなたの番です」

「わたしはせんさとって書いて千里ちさとです」

「奇遇ですね。同じチサトとは」

「女子です」

「え?」

「同じチサトだけど女子です。ホントです!」

 意味不明なことを力説するほど、わたしはショックで混乱していた。

「あはは! 疑ってませんよ」

 ホームズさんのツボにはいったのか、彼は目に涙を浮かべて笑った。


「ところで千里さんにお願いがあります」

「なんでしょう?」、夢チサトからお願いされるなんて。ちょっとワクワク。

「『チェロあるある』を教えてほしいんです」

「あるある? チェロにありがちなこと?」

「はい。何かご存じなら」

「んー、よく聞くのがミニをはけなくなることかなぁ」

「ミニ? ああミニスカートね」

「そう。チェロを弾くとき、足をこうカパーッて開くでしょ……」


 今日は長めのフレアスカートだから何も問題ない。安心したわたしはカパーッとを実践してみせた。ホームズさんのスキニージーンズを履いた足に、わたしのスカートの足がピターッと押し当たる。彼の足は意外に筋肉質でドギマギした。


「あっ、ごめんなさいっ」、全身の血が集まったように顔が熱くなる。

「はは、こっちもビックリした。なるほどミニは無理そうですね、」

 少し赤くなって照れるホームズさん。

「そういう『あるある』をもっと知りたいんです、よければ協力してもらえませんか?」

「なぜ、わたしに?」

 マンガ家なら協力者はいくらでも探せるはず。自分に白羽の矢が立った理由を知りたかった。


「おうち時間が増えてから、趣味で楽器を習い始めた人も増えているでしょ」

「目だちますね。楽器を持ってる人」

「そこで新たに、音楽もののマンガを描こうと思っています。ネタ作りのため楽器を持った人を観察していたところへ、うまい具合にチェロをかついで乗り込んできた女の子がいる。そればかりか乗車時にコケそうになったでしょ? あの瞬間から千里さんに注目していました」

「ドジな観察対象って意味?」

 乗車時のハプニングを思い出し、わたしは恥ずかしくなった。

「否定しません。ドジで強気で恥ずかしがり屋のチェロ女子として、気になります」


 ――この人、鋭い。チェロ女子の本質を見抜いている感じ。


 人目を惹く大きなチェロケースを担ぎ続けているうち、チェロ女子は自然と他人の視線が気にならなくなってくる。電車で邪魔扱いされたり、物珍しげに観察されるうちに、いつしか誰しもナイーブな心を守る『強気のよろい』を装備したチェロ女子にレベルアップを遂げてしまうから。


 わたしは電車ホームズこと夢チサトさんとLINEの友達登録を済ませ、それからの時間を大いにおしゃべりして過ごした。星マル丸のこと、大学のこと、もちろんチェロのこともね。


 やがて電車は、わたしの目的地『泉山せんざん駅』に近づいてきた。楽しい時間も残りひと駅。

「ホームズさんはどちらまで?」

「僕は終点まで。推理した乗客の『答え合わせ』をしたいから」

 彼はブルゾンのポケットから一日乗車券を取り出して見せた。こうして一日中ホームズするのかな。

「またいつかご一緒できますか?」

 わたしは期待をこめてたずねた。浜松は遠い。LINEではつながったけど、また直接会いたいと思ったから。

「この路線なら次は一年後に」


 一年後かぁ……ずいぶん先だな。胸にフワッと熱いものが流れ、キュンとする。


「電車ホームズは一年後ですが……」

 ホームズさんは語り始めた。


 ◇


 それから一年。夢チサトさんとは楽しくお付き合いさせていただいている。大学とマンガで忙しい中、毎月東京へ来てくれるから。


 ただそれは、わたしに会うためだけじゃない。オンライン会議はソゴが起きやすいとかなんとかで、編集さんとの打合せに毎月上京してくる。新幹線に乗ってしまえばたった一時間半。浜松は近いのだ。


 誰? 遠距離恋愛が退屈だなんて言ったのは。

 試してみてから言ってよね?


  終

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チェロ女子は電車ホームズにだまされない 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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