わたしというただひとりの《セクシャリティ》

ジェンダー論が社会現象を起こし、男女だけではないセクシャリティマイノリティが話題になったのはいつ頃からだったでしょうか。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー等、多様に分類され、認識されています。
この小説の「きい」こと柚稀は、女でありながら女が好き。けれども男になりたいわけではなく、男を愛せないわけでもない。いわゆる、パンセクシャルにあたるのだけれど、彼女はただ、これが《わたし》だと表現します。どんな枠組みにもあてはまらない。《わたし》というただひとりのセクシャリティ。だからこそ、なにかにあてはめて理解するのではなく、《わたし》を知りたいとおもってくれる誰かをもとめています。
そうして巡りあった「梅雨ちゃん」
彼女には夫がいます。
けれど愛にはさまざまなかたちがあって、愛にもとめる要素も多様にある。家族の安心感も「愛」のひとつで、恋人のときめきも「愛」のひとつ、欲望を満たしてくれるのも「愛」だし、友達みたいに他愛のない時間も「愛」だ。そのすべてがほしいのならば、夫ひとりだけにもとめるのではなく、足りない「愛」を埋めてくれるひとが欲しいとおもったのです。

そんなふたりの関係は穏やかで、何処か、新しい。
ああ、ひとを好きになるってきっと、こういうことだ。……そんなふうに想わせてくれる、新しいかたちの恋愛小説でした。とても素敵です。読後はいろんなことを考えさせられました。