〜番外編〜

「よみご」のシロさん お仕事風景

「よみごさんっていうんですか。僕、初めて聞きましたよ」

「でしょう。ふつう、すごい狭い地域にしかいないんですよ。もっと西の方の」


 客は二人掛けのソファの真ん中に座っていた。つつみというその男性はおそらく二十代半ばくらい。垢ぬけた格好で、応接室に案内する際、少し強めの香水が匂った。

「言われてみれば志朗しろうさん、イントネーションが西っぽいですよね。近畿よりもっと先の方かな……ところでここ、祭壇とかないんですねぇ。そもそも拝み屋さんの事務所ってどんなとこかと思ってたら、こんな新しいマンションの中ですし」

 ソファセットとローテーブル以外は何もない応接室を物珍しそうに見回しながら、堤は感心したような声を出した。

 内心(それよく言われます)と思いつつ、黒木省吾くろき しょうごはいつもどおり部屋の隅に立っている。こうやって立っているのが彼の主な仕事だ。

「志朗さんも、拝み屋さんって感じしないですよね」

「ははは、それよく言われます」

 黒木の雇い主であるところの志朗貞明さだあきは、客とは向かいあわせになるソファに座って笑っている。顔だけ見れば上に見積もっても三十代前半というところ、なのに真っ白になった髪を後ろでひとつにくくり、両方のまぶたをぴたりと閉じている。たまに目を開いたときには、失われた眼球のかわりにガラス製の義眼が覗く。


 志朗は自らを「よみご」と称する。彼の生まれた地方特有の霊能者の呼称である。

 彼らは皆一様に盲目であり、そして扱うのはもっぱら凶事とされている。


「いやぁ、拝み屋さんの前でこんなこと言っちゃいけないと思うんですけど、ぶっちゃけ僕、幽霊とか呪いとかあんまり信じてなくって。かと言って上司を無視もできないし」

 堤をこの事務所に導いたのは、彼の会社の上司にあたる岩田いわたという男性だった。長年メガバンクに勤務し、諸般の事情から定期的に志朗の事務所に通ってくる。常連なのだ。

「まぁまぁ、これで月曜には『ちゃんと行ってきました』って報告できるじゃないですか。そしたら岩田さんも納得されるでしょ」

「ははは、ですねぇ。岩田部長、よかれと思ってやってくれたのはわかっちゃいるんですけど」

 気の進まない様子で入って来たわりには、案外話が弾んでいる。

 黒木が話を漏れ聞いたところ、どうやらこの堤という男、世間話の一環として彼の上司の岩田に、「最近金縛りにあうし肩は重いし、調子悪いんですよねぇ。こないだ■■県のお化けトンネル行ったからかなぁ」などというあまり穏やかでない話を振ったようだ。するとそれを予想以上に重く受け取った岩田氏が、堤の代わりに志朗の事務所に予約を入れてしまい、半ば無理やりお祓いを受けさせられることになった――という事情らしい。堤自身は霊能者というものを信じているわけではなさそうだが、上司の手前、無下にすることもできない。

(まぁでも、わかるな。岩田さんが無理やりここに来させた理由)

 黒木は立ったままそう考えた。

 それほど堤の顔色は悪い。朗らかに振る舞ってはいるがどこか生気に乏しく、げっそりとやつれてみえる。少なくとも体調がよくないというのは本当だろうし、こういう顔色でやってくる客には、たいてい何かがくっついているものだ。

 ただのボディガード兼雑用係である黒木に霊感はない――たぶん――のだが、一年間志朗の事務所に通って、何かしらの感覚が鋭くなった自覚はある。

「ま、部長がお金出してくれるっていうからいいんですけどね」

 堤はそう言ってへらへらと笑う。その笑顔にも力がない。「ええと、とりあえずその化けトンの話とかする感じですかね? 先月の終わりくらいに友だちと四人で――」

「あ、そういうの大丈夫です。お話しいただかなくても」

 ぽかんとする堤の前で、志朗は巻物を一本取り出し、広げる。金糸の入った豪華な外見を裏切るように、巻物の中は白紙だ。文字も絵も、点字のような突起もない。

「ちゃっちゃと済ませちゃうんで、そのまま座っててくださいね」

 志朗は白紙の上に両手を置くと、指先についたセンサーで見えない何かを読み取るかのように動かし始めた。

 堤がぽかんとした表情で見守るなか、志朗は白紙の巻物を使ってなにごとかを探っている。

 黒木は少し緊張する。扱うものが凶事である以上、あまりよいことは言わないのがよみごの常である。取り乱す客も少なくないし、実際黒木はそういうときのために雇われている。客が暴れたりしたとき、巨体を活かして外に追いやるのが彼の仕事だ。そもそも見た目は恐そうな巨漢が部屋の隅に立っているというだけで、お守りのような効果がある。もっとも恐いのは見た目だけだという自覚もあるが。

 志朗は一分もかけずに手を止めた。

「うん」

 腕組みをし、おそらく視力があったら堤をじっと眺めるだろうという様子で、顔を正面にむけてうなる。

「これ、たぶんしつこいですよ。今日明日くらいは一時的に調子よくなると思いますけど、あくまで応急処置ですから」

「はい?」

 怪訝けげんな顔をする堤に、志朗はローテーブル越しに近づき、彼の近くでなにごとかぼそぼそと呟いた。とたんに堤の両肩が、重石おもしを載せられたかのようにすとんと落ちた。

「重っ」

 堤が目を見開く。

 志朗は彼の肩に手を伸ばし、何かつまんではその辺に捨てるような仕草をした。もう一度。さらにもう一度。その頃には堤の姿勢がだんだんとまっすぐに伸び、顔色が明らかに変わる。

「ええ? うわ……今の何ですか」

 堤はそう言いながら自分の肩に何度も触れる。「急に体が重くなったと思ったら軽くなって……ええ? 今めちゃくちゃ体調いいんですけど! えっ、どういう仕組みですか? 何これ?」

「堤さんにくっついてたものをとっただけです。でも本当に応急処置ですよ? 原因を取り除くのはなかなか難しいと思います」

「いや応急処置って言われても……てか原因って何だったんですか? もしかしてそれもわかっちゃいます?」

 今度は堤がテーブル越しに身を乗り出す。それがまるで殴りかかりそうな勢いだったので、黒木は思わずそちらに駆け寄りそうになった。

 志朗はニコニコしながら、

「そこまでは今日はちょっとねぇ。すぐにはわかんないですね」

 と返した。黒木はその笑顔にふと違和感を覚えたが、何も言わなかった。


 軽い足取りで帰っていく堤を見送り、玄関の鍵を閉めた黒木が応接室に戻ると、志朗がスマートフォンを取り出していた。機械音声が凄まじい速度で何かを読み上げている。どうやらそれは連絡先の一覧だったらしく、志朗が何度か画面をタップすると通話が始まった。

「もしもし、岩田さん? お世話になってます、志朗です。堤さん今さっきいらっしゃいました。悪いけど、岩田さんが心配されてた通りで間違いないでしょうね。堤さん、女の形したのが貼りついてて、ボクが触ろうとしたらものすごい怒ってましたよ」


 翌週末、岩田がわざわざ事務所を訪れて言うには、堤が逮捕されたという。別れ話を切り出した彼女を絞殺し、遺体を独身寮のクローゼットに隠したまま、素知らぬ顔で生活していたらしい。

「堤なぁ……なんか背中にモヤみたいなのくっつけてる上に、色々と様子がおかしいもんで気になったんだよ……まぁでも警察に通報するだのなんだのってほどの決め手はないから、とりあえずシロさんに見てもらおうと思ったんだけど、的のど真ん中だったね」

 岩田は話しながら肩を落とし、ついでに「定期点検」をして帰っていった。霊感があるが故に悪いものをくっつけやすいというのが、彼がここに通う所以ゆえんである。

「まぁわざわざよまなくても、堤さんが入って来た時点でわかったねぇ。ねぇ黒木くん」

 二人きりになった応接室で、志朗が言った。

「俺は霊感ないんで何とも……」

「イヤな臭いしてたじゃない。あれ死臭だよ」

 気づきませんでしたと言いかけて、黒木は堤が香水の匂いをさせていたことを思い出した。あれは臭いを誤魔化そうとしていたのかもしれない――ということに気づいて、背筋がゾクッとした。よくもまぁ志朗は平気な顔をしていられるものだ、と思う。

「岩田さん落ち込んでたなぁ。ボクももっとめでたい方面の拝み屋をやりたいよねぇ」

 本気かどうかわからない口調でそう言った志朗が、ふと真顔になってドアの方に顔を向けた。

「どうしました?」

「いや、黒木くん、ここちょっと急いで片付けてもらっていい? 勘じゃけど、何かなぁ。誰かアポなしで来る気がする」

 黒木が「本当ですか」と言いかけたそのとき、マンションのエントランスに客が来たことを告げるインターホンが鳴った。


〈番外編・了〉

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