エピローグ

 お父さんが自殺して、お母さんが警察署で倒れてそのまま死んで、ありさちゃんも死んでしまって、わたしは急にひとりぼっちになった。

 悲しいというよりびっくりしていたら、一度も会ったことがない親戚の関屋さんというひとが来た。あっという間にそのひとの家に引き取られることが決まった。

 突然知らないひとの家で暮らすことになって、すごく緊張したし、戸惑うことも多かった。でも、関屋さんの家族はみんなわたしに優しい。

 関屋さんには社会人の娘さんが二人いて、スカスカだったわたしのクローゼットはあっという間にパンパンになった。関屋さんの奥さんは「ひかりちゃんは着せ替え人形じゃないの」とふたりを叱るけど、「ママこそ、ひかりちゃんにあれこれ食べさせすぎ」と言い返されている。関屋さんは私たちを見ているのが楽しいと言って、よく写真を撮っている。

 ナイナイがいないのに、だれかにこんなに優しくしてもらえるのって、なんだか不思議だ。


 遠くに引っ越すことになったから、転校もした。しかたないとは思ったけど、図書当番がなくなるのはさびしかった。

 ナイナイがいなくなって、わたしは急にクラスのお姫さまではなくなった。でも転校が決まると、「さびしい」と言ってくれる子が何人もいて、わたしはまたびっくりしてしまった。ナイナイがいなくても、こんなふうに言ってくれるひとが何人もいたなんて思わなかったのだ。

 いっしょに図書当番をしていた高田さんは、「おそろい」と言って、白いシーツをかぶったおばけのぬいぐるみをくれた。会えなくなるのが急に悲しくなって、わたしは高田さんの前で泣いてしまった。「つられるからやめてよぉ」と言いながら、高田さんも泣いてくれた。

 転校する前に、ありさちゃんのお葬式に出た。ありさちゃんのお父さんもお母さんも、クラスのみんなも泣いていた。でも、わたしはどんな顔をしたらいいのかわからなかった。あんなに一緒にいたはずだったのに、大きな遺影の中のありさちゃんは、全然知らない女の子みたいに見えた。

 関屋さんが「防犯用にもなるから」と言って私にスマホを持たせてくれたので、関屋さん一家と、高田さんと、前の中学校の子たちと、それから神谷さんの連絡先を登録することができた。転校先で知り合った子たちとも連絡先を交換したから、登録件数が一気に増えた。今までこんな経験をしたことがなかったわたしは、なんだか不思議な気分だ。

 なんだか、どんどんにぎやかになっていく。


 でも、関屋さんの家のクローゼットを開けても、もうナイナイはいない。

 完全に消えてしまったのだと、神谷さんが言っていた。


 神谷さんは両親の葬儀にも来てくれた。わたしのことをとても心配してくれたけど、不思議なことも言っていた。

「お母さんが亡くなったの、半分くらい私のせいなの」

 お母さんは別に、神谷さんに殴られたり刺されたりしたわけじゃない。病死で、原因はわからないけど脳がひどく小さくなっていたと聞いた。ここ何年かでコロコロ性格が変わったのも、病気のせいだったのかもしれない。とにかく、神谷さんのせいであるはずがないのだ。

 神谷さんからはもう、前みたいには連絡がこない。ナイナイのことも一応解決したし、仕方がないのかな、と思う。

 神谷さんが言っていた「専門家のひと」は、けがをしてしばらく入院するらしい。お見舞いもしないうちに引っ越すことになってしまったから、どんなひとなのか、わたしはよく知らない。ただわたしの祖父のお弟子さんに当たるひとだということと、ナイナイを消したのはそのひとだということを教えてもらった。でもそれは決して悪いことじゃないんだと、神谷さんは何度もわたしに言った。

「ひかりちゃんには残酷だけど、ナイナイはずっと一緒にいるべきものじゃなかったの」

 さびしいけど、わたしもそう思った。


 知らない町に引っ越して、冬が来た。

 やがてそれも終わって、春がやってくる。


「ひかりさんに会いたいっていう人がいるんだけど、いいかな」

 三月のある日、関屋さんにそう言われた。

「君のお祖父さん、前にも言ったけどちょっと特殊な仕事をしとってね。会いたいって言ってるのは、そのお弟子さんだったひと」

 話を聞いて、きっと神谷さんが言っていた「専門家のひと」だ、と思った。

 こっちに引っ越してきて、わたしは初めて「よみご」という職業のひとたちを知った。お祖父さんもお弟子さんも、よみごさんなのだ。

 今度関屋さんは、空き家になったお祖父さんの家を片付けにいく。そのとき、その人も来るらしい。

 自分の祖父のことを、わたしはよく知らない。去年亡くなったとき、関屋さんはうちにお葬式の連絡をくれたらしいけど、お母さんは行かなかったし、わたしに教えてもくれなかった。

 わたしはどきどきしながらその日を待った。


 その日は日曜日だった。よく晴れて、風が暖かかった。

 関屋さんといっしょに、わたしは初めてお祖父さんの家に入った。関屋さんが「埃っぽいねぇ」と言ってくしゃみをした。

 わたしたちは家中の窓を開けて回った。気持ちのいい風が家の中を抜けていく。お祖父さんの部屋には本棚があって、本を一冊取り出して開くと、点字がずらっと並んでいた。何の本か気になるけれど、残念ながらわたしには読めない。

 チャイムの音がした。関屋さんが「はいはい」と言いながら部屋を出ていく。

「やあー、貞明くん。ひさしぶり」

「ご無沙汰してます」

「どうです、調子は」

「大概よくなったんですが、左手の握力が落ちちゃって不便でね。なにかと黒木くんに手伝ってもらってますよ」

「黒木さんて、あのでっかいひと」

「そう、あのでっかい」

 開け放した襖の向こうを、関屋さんともうひとり、男のひとが通り過ぎる。「お祖父さんのお弟子さん」と聞いて想像していたよりも、ずっと若いひとだった。真っ白な髪を後ろでひとつにしばっている。

 そういえばこのひと、高田さんが前に公園で会ったって言ってたひとかもしれない。わたしは急にそのことを思い出した。

 わたしは本を本棚に戻すと、ふたりの後を追いかけた。突き当りの部屋にソファのセットとテーブルがあるだけの部屋だ。男のひとはソファの背もたれを撫でて「懐かしいなぁ」とつぶやいた。

「そういえば関屋さん、師匠の骨壺もうほとんど空ですけど、お寺さんに返してきました。ちゃんと戻しましたので、ご心配なく」

「そうですか。もう一方のは?」

「送っていただいた荷物の中にありました。歌枝さんはあの中に素体を入れてたんでしょう。プラスチックの、よくある感じの衣装ケースで――そっちもお寺さんの方に。供養せんとならんけん」

「それじゃあ、よかった」

 ふと会話が途切れた瞬間、男のひとがこちらを向いた。

 わたしは何だかどきどきしてしまって、とりあえずおじぎをした。してから(見えないのなら意味ないな)と気づいた。

「ああ、ひかりさん、このひとがお祖父さんのお弟子さんの、志朗貞明さん。貞明くん、こちらが森宮ひかりさん」

 志朗さんというひとは、よみごだから目が見えない。両目を閉じていて、ちょっと笑っているみたいに見える。わたしがおじぎをしたのがわかっていたみたいに、こっちに頭を下げて「はじめまして」と言った。

 わたしも「はじめまして」とこたえて、またおじぎをした。

「急にすみません。ひかりさんに色々話したいことがあって来ました。ちょっと長くなると思いますけど」

「ひかりさんもこっちに来て座ったら」

 関屋さんがすすめてくれたので、わたしと志朗さんはテーブルを挟んで向かいあわせに座った。

「お茶でもいれてきましょうか。暖かくて喉が渇くから」

 関屋さんがそう言って、部屋を出ていく。

 志朗さんはふーっと息を吐いて「ボクも考えたんですが」と切り出した。

「色々ショックなことを言うだろうし、正直ひかりさんに対して申し訳ないことをしたとも思う。でもやっぱり何があったか、キミは知っておいた方がいいと思います。お母さんのことも、ナイナイのことも」

 やっぱりこのひと、ナイナイのことを知っているんだ。わたしも緊張してきて、ふーっと息を吐いた。「はい」

「じゃあ――ああ、あとそうだ。結構ホラーっぽい話になると思うんだけど、いいですか? 苦手じゃない?」

 志朗さんが急に遠慮がちになった。今さら変な気を遣うひとだな、と思うと少しおかしい。わたしは正直に答えた。

「大丈夫です。こわい話、大すきなので」

 志朗さんの口元に、はっきりと笑みが浮かぶ。


 そして、物語が始まる。

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