美容室にいく度に職業を偽り、嘘を重ね続ける「僕」。ある時は消防士と名乗り、ある時は建築士だと騙る。そのうちに段々と《自分》というものが瓦解していき……
《自己》とは果たして何処にあるのか。胸のなかに産まれついて埋まっているものなのか、それとも頭のなかの思考が《自己》を象るのか。或いは「外側」に?
読み進めていくうちに胸がざわざわと騒ぎだし、想わず鏡を確かめたくなるような。それでいて読了感は、優しく、心地いい。それはひとえに作者様の巧みな描写と、御人柄ではないかと……思った次第です。
ほんとうに素敵な読書体験でした。
是非ともひとりでも多くの御方に読んでいただきたい、短編です。
マネキンというメタファーを駆使してこの物語の中で語られるのは、誰の中にでも大なり小なり必ず在るもの。でも、それを実直に私の中にも在ると、声を大にして宣言してしまうには、どこか憚られる、タブーのような、触れがたい人としてのエッセンス。
嘘、偽り、虚勢、秘匿、誇張、諸々・・・
誰しも胸中に、どんな時も、どんな相手にも、少なからず抱くもの。
別に実直でなくてもいいのだ。
在るがままを受け入れて、在るがままにそんなエッセンスを晒せばいい。
この物語は、そんなタブー視されるエッセンスの呪縛から、私たちを解放してくれる。
ある種、心の救いだ。
過ぎていく日々にどこか息苦しさを感じているなら、この物語を覗いていけばいい。
読了した時、そよ風にたゆたう羽毛のように、軽やかな気分にさせてくれるから。
自分ってなんだろう。
そう言う疑問を抱くのは、多分ずっと幼い頃。そして、どういう理由かわからないけれど、いつの間にやら自分がなんなのかに決着をつけている。自分はこういう人間である、と思うようになっている。
でもそれって、本当に本当の自分?
誰によって解かれて、誰が与えた証明?
自己同一性=アイデンティティというのは、誰かが存在しなければ証明できない。外部からのアクセスありきのものだ。
そんなアイデンティティがもしも擬人化したならば、この作品の主人公のようになるのかも知れない。
大人になっても適当な決着を付けられない、迷ったままの自分。
救い難いと思う。けれど救われてほしいと思う。
主人公が救われるとき。それは同時に読者が救われるとき。私はそのように思う。