第7話 春川メグミ「そうだね。もう寒くはないよ」



 一面の灰色の世界。

 雪雲をたたえた低い空は、灰色。波頭が高く荒れ狂う海は、灰色。ごつごつとした岩が並ぶ浜辺は、灰色。何もかも灰色。

 たまに空からゆっくり落ちていく雪だけが、白い色を添えていた。


 寒さに震えながら、灰色の向こうを呆然と見つめていた私がそこにいた。

 赤い柄が入ったニット帽に、白いダウンジャケットを着こんで完全防備冬仕様をしているチカが、海辺の石に足を取られながらやってくる。


 「どうよ、メグミ」

 「どうって……。なんもないぞ、ここ」

 「そこがいいじゃない」

 「ええ……」

 「あれ、もしかして南のトロピカルな感じが良かった?」

 「そこじゃなくてさ。これで、区切りになるんか?」

 「さあ」

 「さあ、っておい」

 「失恋旅行なら北の海へ向かうって、そう昔から言われているけどね」

 「来てどうにかなるんなら、みんなで押し寄せてるだろうよ」

 「みんな失恋していないんじゃないのかな」

 「うちらはレアキャラか」

 「たぶんURもいいとこだよ」


 チカが息を吸い込む。一呼吸おいて、荒れ狂う海の向こうへと叫び出す。


 「上野発の夜行列車、降りたときからァァァー。青森ィ駅は、雪の中ァァァー」


 ああ、あの曲。

 私も後を引き取るように叫び出した。


 「北へ帰る人の群れは、誰も無口でェェ」

 「海鳴りだけを、聞いているゥゥゥ」

 「わぁーたしもひとりぃー、連絡ゥゥゥ船に乗りィィィ」

 「こごえそうな、かもめ見つめ、泣いていましたッ」」

 「「ああァァァアアー、津軽海峡ォォォ、冬景色ィィィ」」


 私たちの叫びは、荒れる波に揉まれ、雪にかき消されていく。

 しばらくそれを眺めていたら、チカがぷふっと吹きだすように笑い出す。


 「あはは。すうっとしたー」

 「これがやりたかったの?」

 「うん、そう。ふたりで歌いたかった」

 「じゃ、2番も歌わなきゃ」

 「そうなの?」

 「だって聖地だよ、ここ」


 今度は私が息を吸って、想いを叩きつけるように叫ぶ。


 「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれとォォォー」

 「見知らぬゥゥ人が、指を差すゥ」

 「息で曇る、窓のガラス、拭いてみたけどォォォ」

 「はーるかにィかすみ、見えるだけェ」

 「さよならァ、あなたァー、私はァァァー、帰りますゥゥゥ」

 「風の音が、胸をゆする、泣けとばかりにィィ」

 「「ああァァァァァァアアー、津軽海峡ォォォ、冬景色ィィィィィィィィィ」」


 ふたりで顔を見合わせる。頬を赤くしたチカがそこにいる。

 みんなバカらしくなって、今度は私が笑い出した。それを見たチカが一緒に笑ってくれた。


 どこまでも灰色の世界。空をただよう白い雪。その中で、色づいた私たちふたり。


 そう、私たちは青森県の北の外れ、竜飛岬の近くにいる。




 北国の空は変わりやすい。バカなことをしていたら、風が強くなり、雪もぼたぼたとしたものに変わってきた。

 チカが手袋をした手をこすり合わせるようにしてる。


 「寒い寒い」

 「帰ろうか。チカ」


 私は手袋を片方だけ外す。


 「ほら」

 「え、あ。じゃ……」


 チカも片方だけ手袋を脱ぐ。その冷たい白い手を握ると、自分のコートのポケットに突っ込んだ。


 「あったかいだろ」

 「うん……」


 コンクリの階段を上がり、凍りついた道路を渡って、荒野の外れのような道を歩く。

 雪と風は激しさを増し、私たちを凍りつかせようとする。自分の手のひらすら見えなくなってくる。


 「真っ白だ……」

 「ああ、くそ。チカ、ホワイトアウトだよ」

 「すごいな……。立ってるのか、どうなってるのか、わからなくなってきた……」

 「手を離すなよ」

 「うん……」


 チカが手を強く握る。私はそれを同じ力でしっかりと握り返す。

 風の気まぐれで、ときたまわずかに見える前だけを頼りに、私たちはゆっくり確かめるように歩いていく。




 晴れてれば歩いて5分もかからない宿なのに、着いた頃にはぐったりとしていた。

 民家のような玄関をガラガラと開ける。温かい空気が私たちを出迎えてくれる。とたんにメガネが真っ白に曇った。広い土間で立ち止まり、ゆっくりメガネを外してポケットに入れる。私はニット帽を脱いで、チカの服や髪にそれをぶつけるように雪を払ってやった。


 「背中も雪だらけだよ。ほら、チカ、後ろ向いて」

 「あはは。雪が顔に当たって痛かったー。でも、ちょっと楽しかった」

 「そだね」


 そんなことをしていたら、宿のちっちゃいおばあちゃんがあれあれまーという感じで出迎えてくれた。


 「しゃっこいべさー。ゆぎほろごって、どうぞぬぐまってでください」


 わからない、わからないぞ、言葉が……。

 なんとなくニュアンスはわかるけれど、それがあってるかどうかわからない。

 おばあちゃんは私たちを見て、にこやかに微笑んでいる。

 きっとおばあちゃんちって、こんな感じなんだろうな。私にはなかったけれど。安心できるというか、見守ってもらえてるというか……。

 明るい木の床に腰を下ろしてスノーブーツをよいしょっと脱ぐ。私たちはおばあちゃんに礼をしたあと、宿の部屋とすたすたと戻った。




 なんも変哲もない、民宿とか旅館とか、そんな感じの部屋。畳があって襖があって小さな床の間があって、みたいな。ただ、窓側にはよくある謎スペースはなくて、そこにはちょっと大きめのコタツと、石油のファンヒーターがあった。

 窓の向こうは灰色の世界。ときたま風と雪がぶつかる音が聞こえてる。私たちはコタツに向かい合って入り、温かさにとろけていた。


 「ずいぶん寒かったな。チカ、平気?」

 「大丈夫。ここはいいね。いつまでも、こうしていたいな」

 「それはわかる」

 「いつまでも……。死がふたりを別つまで……」

 「そうだな、死ぬときはチカに手を握ってて欲しいな」

 「……プロポーズ?」

 「違うよ、バカ」

 「そっか、そうだよな……」


 なんだよ、それ。

 私は気がつかないふりをして、なんとなく話題をそらす。


 「チカは、大学卒業したらどうするの?」

 「まあ、ふつうに就活だけどね」

 「あれ、実家は?」

 「家を継ぐな命令が出てまして」

 「へえ、どうしてまた」

 「子供の未来を縛りたくないんだと」

 「そうなんだ」

 「翻訳すると、『ここはお父さんお母さんの作ったお店だ。20年いちゃいちゃしたいの我慢してたからお前は出てけ』というとこかな」

 「あはは。仲良さそうだよね、チカんち」

 「まあね。メグミは?」

 「考えないといけないんだろうけど……。考えたくないんだよな……」

 「でもさ、時間って過ぎてくし」

 「それな。不安しかないよ、私。いまは微妙に食ってけるのがまたね」

 「いいじゃない。私が食わしてやるよ」

 「ずいぶんイケメンだな。それこそプロポーズじゃないか」


 チカは物憂げな表情をしたあと、私から目をそらす。


 大失策……。


 じっとしていられなくなり、卓上にあった宿によくある丸い茶櫃の蓋を開け、そこから湯飲みと急須を取り出す。


 「飲む?」

 「うん」


 チカはこっちを見ない。コタツから抜け出してポットを持ってくる。茶葉を急須にいれ、お湯をとぽとぽと入れると、少し爽やかな香りが立ち上る。

 一緒に入ってた小さなお菓子の包み。手に取ってよく見るとリンゴのパイ的なものらしい。青森に来てからは本当にリンゴばかりだ。

 チカがぽつりとすねたように話し出す。


 「いつか、いつかさ……。ふたりで別の人生を歩むのかな」

 「それはまあ……。わからんよ」

 「ステキな人と出会って、子供ができて育てて、老いて、消えていく……。そんな普通になれるのかな、私たち」

 「そうだな。いまは想像できない、かな」

 「しばらくはこうしていたい。こうやってふたりでぬくぬくと温まっていたいな……」


 しばらくね……。

 それはいつまでなんだろうな……。


 急須からお茶をゆっくりといれる。私たちの想いもいっしょに流れていく。


 すすっと部屋の襖が開く。なんだなんだと思ってたら、おばあちゃんが部屋に入ってきた。さっきと変わらない普段の恰好。でも、手には大きくて立派な黒い津軽三味線が握られている。

 ぽいと私たちがいるコタツの前に座布団を敷いたら、そこにてえいっとおばあちゃんが座る。慣れた手つきで三味線をかまえる。その自然な身のこなしと、すっとしたただずまいに達人を感じさせる。おばあちゃんがバチを手に三味線をさっとなでる。


 べ、べん。


 空気が変わった。

 三味線の澄んでいてどっしりとした音が、私たちを揺さぶった。

 私はおどろいておばあちゃんを見つめる。


 「そいだば。津軽じょんから節。新節」


 さっきよりも大きなはじく音。一瞬で私の気持ちを持っていかれた。リズムのよい音が、わしづかみにされた私の心をかき乱していく。

 高い音が私を持ち上げていく。頭の上をくすぐられているような気分に浸る。曲調が変わる。すっと落とされていく。「あ、待って」とすがるようにおばあちゃんを見つめる。小さな音がそれを慰めるように響く。

 少しずつ大きな音へとリズムよくあがっていく。あがりきった。大きくどんと叩きつけられるような強い弦の震え。私は何かがあふれだすように泣いていた。


 ててん、とシメの音をさせる。おばあちゃんがバチの手を休めて、一礼する。


 「チカ……。あれ、泣いてんの」

 「メグミだって、もう……」


 ふたりで恥ずかしそうに涙をぬぐう。


 「ゆさへれ。なげ顔洗って体さ、ぬぐだめれ」


 謎の言語だけど意味はなんとなくわかる言葉を発して、おばあちゃんは嬉しそうに帰っていた。




 それほど広くはないが、家の風呂よりはぜんぜん広い宿の内風呂。露天風呂はないけれど、この吹雪に露天風呂に入ったら軽く死ねるなとか、わりとどうでもいいことを考えながら湯舟に浸かってる。ちょっと熱めだけど、冷えた体にはちょうどいい。何かがずるずると湯に溶けていく。

 体を洗ってたチカが湯船に入ってきた。私の横にならんで、気持ちよさそうに目を細める。つい体を見てしまう。スレンダーという言葉がぴったりの細くてきれいな体。男も女もほっとかないよな……。ちょっと見惚れていたら、チカがこちらに顔を向けた。瞬時に「茶化さないと」と思い、エロオヤジの声真似をする。


 「いい体してんなー」

 「だるそうな体してんなー」

 「ひどいな、へこむぞ」

 「あはは。まあ、こういうのぐらいが同性カップルの特権らしいけどね」

 「そうなんだ? おいおい、目で犯すなよ」

 「目で済ましたいな」

 「あはは」


 茶化す? これが? うーん。


 ちっともそんなふうにならないや……。


 少し困りながら、私は考えることを放棄した。

 チカは「くふー」と言いながら手を上げ、伸びをする。胸がほどよく見える。見せてるんだろうな……。いや、それはないか……。私は温かいお湯にただたゆたっていく。




 卓上に夕食が並んでいく。おばあちゃんの娘と言ってた割烹着姿のおかみさんが、大きなお盆で次々と料理を運んできた。宿にしては家庭的で温かい料理。コタツのほうが似合う気がするな、とか思いながら、お腹が鳴りだす。

 おかみさんが手を休めず、私に声をかける。


 「東京からたいへんでしたでしょう」

 「新幹線でお尻を痛めました」

 「あらあら。時間かかりますよね。どこかにお勤めですか?」

 「まだ大学生です」

 「あら、そうなんですか」

 「ええ。こいつが冬の海を見たいとか言い出して」


 チカが「こいつ呼ばわりかー!」と言って怒ったふりをする。

 おかみさんは仲良くしてる子猫たちを見るような顔になる。


 「すみません、ほんとに。こんな時期のお客さんがめずらしくて。今日の宿泊はお客さんたちだけですから、のんびりしちゃってください」

 「あ、ありがとうございます」


 そう言われながら最後に置かれた皿。そこにはピカピカに光る桃色のお刺身。


 「まぐろだ……。ツヤツヤしてる……」

 「中トロと大トロを半々にしてあります。大間のほうが有名ですけど、海はつながってますから」


 おかみさんはうれしそうに言う。

 ふたりで待ちきれず、いただきますをしてから、箸をつける。はむっ。


 「ううーん。溶けてくー。口が幸せって言ってるよ、メグミ」

 「味の濃さが違う。私みたいな素人でもはっきりとわかるな」

 「どうしよ。もう、よそのお刺身食べられないかも」

 「わかるよ。ぜんぜん違うんだな……」


 おかみさんがさらに必殺の皿を差し出す。


 「お客さんたち若いからバタ焼きしてみました。頬肉だからおいしいですよ」


 贅沢すぎだろ、と思いながら箸でつまむ。


 これは……。


 まぐろというのはおもしろいもので、生でもうま味はあるが、火を通すことで別のうま味が生まれてくる。食感も変わるから、それが味に影響を与える。ただし火加減が重要で、強く火にかけるとスカスカとした味で固くなってしまう。この皿の一品は絶妙な火加減で、頬肉にあるサシのようなものが弾力のある食感を生み出し、それが生の何倍ものうま味を支えている。噛み応えがあるところに肉汁がじんわり浸みだすような感覚。そこへバターで焼かれた香ばしさが合わさり、重層的な味と香りが……。

 なんていう、うんちくを心の中で垂れてしまうぐらい、おいしかった。

 ノックアウトされてる私たちに、おかみさんの眼がきらりと光る。


 「こっちはあんまり名物みたいなものがなくて」

 「いや、いっぱいあるでしょうに」

 「でも、イカだけは負けません」

 「イカ?」


 その皿には、イカの細い刺身がこんもりと盛られ、イカのキモのぶつ切りと生姜とネギが乗っている。不思議だな……。キモは切られているのに、どろっと溶け出していない。


 「しょうゆをかけず、そのままかき混ぜて食べてみてください」


 言われた通りにする。キモがしっかりしすぎて崩れない。なかなか混ざらないので、そのまま口にする。うわ。……イカの甘味というよりうま味が強い。イカそのものがおいしいんだろうな。新鮮なコリコリとした歯触りが、また心地よい。


 「チカ、これもすごいよ」

 「どれどれ……。はむっ。……なんだこれ。なんだこれ。生臭さが全然ない。イカのうまさだけがストレートに伝わる……」


 チカがくぅぅと天を仰ぐ。わかるぞ、その気持ち……。イカごときで、こんな……。くっ、殺せ。


 「このイカを食べてるからマグロがおいしくなるんです。あ、ゲソはいがめんちにしました。こっちではよく食べてるものになります」

 「イカたっぷりの……。なんだろうな。お好み焼き? チカはどう?」

 「私、これ好きかも。実家に教えなくちゃ」


 騒いでいると真ん中にどでんと置かれた鍋が、ふつふつと言い出した。おかみさんが蓋を取る。


 「これが、津軽名物じゃっぱ汁です。おさかなは今朝採れたタラを使ってるから、おいしいですよ」

 「「わー」」


 思わず声を上げてしまう。ほわっとした湯気から出てきたのは、白身魚が大胆にブツ切りされたものに大根や白菜といった野菜が仲良く煮えたもの。よそわれた器からも、ほかほかと湯気が上がっている。どれ……。ひと口すする。


 「うわー。うま味が大洪水だ。これは内臓かな。食感が楽しい。皮はぷるんぷるんしてる。わー」

 「味噌が独特だね。なんかこうわかってる味のくせに、どこにもない味がする」

 「よくわかりますね。味噌はこのあたりで取れた大豆に塩と水を使って作ってます。地元の味なんです」


 ああ。もうだめだ。

 私はおかみさんに懇願する。


 「お酒……。お酒をください。熱燗で……」

 「いま持ってきますね。そちらのお客さんは?」

 「私もお願いします。じゃんじゃかと飲みたい気分です」

 「ふふ。わかりました。じゃんじゃか持ってきます」


 ほどなくして熱々のとっくりが4本やってきた。


 「熱いから気をつけてくださいね。このお酒、近くの酒蔵で作ってるんですよ。熱燗専用のお酒なんです」


 あちあち言いながら、とっくりからおちょこに酒を注いで、ゆっくりと口に含む。


 「甘い! みりんぽいけれど、すっきりしててぎりぎりそこまででないような。でも、あと引くな。わー、よだれでちゃう」

 「熱燗が甘酒ぽく感じる。香りいいな……」

 「わかるよ、チカ。いいな。これ気に入ってしまった」

 「最近すっかりチカはビール飲まないね。好み変わってなくない?」

 「だってさ……。おいしいんだもの」

 「あはは。それは仕方ないね。私もこの日本酒は好きだな」


 私たちは笑い出す。おかみさんはしてやったりと満足そうに私たちを眺めていた。

 ふたりでおいしいものを食べ、同じようにおいしい、大好きだと言う。それだけでここにやって来たうれしさがあるなと、私はぼんやりそう思った。




 夕食が済み、片付けとふとんが敷かれたその後、私たちはコタツでちびりちびり日本酒を飲んでいた。

 チカは黙ったまま、外の世界を映してる黒い窓を見上げてばかりいた。チカはそんな窓のように暗く寂しそうにしている。私は心配して声をかける。


 「具合悪いのか?」

 「考えごとしていたいから……」

 「そっか。まっ、飲めよ」

 「ありがとう。ぷふ。メグミのそんなとこが好きだな」

 「それはどうも」

 「ほかのところも好きになったらいいのかな」

 「……無理だろ」

 「無理かな。ようやくリボンがほどけてきたのにな」

 「ちゃんと結びなおせよ」

 「そうしないと一緒にいられないのかな」

 「そうだな……」


 言葉が思いつかない。軽口も憎まれ口も、もう何も返せない。

 チカがぼんやりと声をあげる。


 「なんで失恋するんだろうね」

 「……相手にその気がない。相手にもっと好きな人がいる、相手のために身を引く。あとなんだろうな」

 「ねえ。メグミは失恋怖くない?」

 「怖いよ。ハルカでもういいや。言って壊れるぐらいなら、黙っているよ」

 「奇遇だね。私もだよ」

 「そうかい」

 「お酒欲しい」

 「ほい」

 「ここはあったかいな……。外は猛吹雪なのに」


 それはチカがいるせい。おちょこを傾け口にする、その寂しそうに微笑むチカの姿を見ながら、そう思う。


 ……そんなこと言えるわけないだろう。私のバカ。


 すっかり冷めた酒をくいっとあおり、チカを抱きしめたくなるこの気持ちをごまかした。




 「もうだめだー、寝るー」と言いながら立ち上がって、チカがふとんのほうに行く。おもむろに敷布団を引っ張ってくっつけていた。


 「何してん?」

 「エロいことはしないよ。でもさ、また手だけつないでいい?」

 「いいけど……」

 「ありがとう。なんかちょっと寂しくてさ」

 「……手をつなぐぐらいで、ごめんな」

 「いいよ。その先は求めないから」


 チカは力なく微笑む。私はたぶんすごい顔になってるんだろうなと思いながら、それを隠すように布団にもぐり込んだ。チカが「電気消すよー」と言いながら部屋の明かりを消す。それから、とてとてと隣の布団にもぐり込んでいった。

 暗くなった部屋の天井を見つめる。

 風の唸る声が小さく聞こえている。

 ああ言ったくせに手をなかなか繋ごうとしないチカへ声をかける。


 「何かあったのか? 今日はいつもと違うぞ」

 「距離を置くって、ミヤコに言われちゃった」

 「いつ?」

 「1月の終わり」

 「え。ハルカが家に来たときか。なんだよそれ。私の失恋旅行じゃなかったのかよ」

 「……これ、失恋なのかな?」

 「え、いや……」

 「また何度も失恋しなきゃいけないのかな……。ずっとずっといつまでも……」

 「そうだな……。たぶん私もそうだよ。忘れられるもんか。ずっと死ぬまでひきずって、それでも……。生きてくんだよ」

 「そんなのつらいな……。つらい……。あれ、なんで今頃、泣くんだろ。あのときは……、だって。なんで……。私、大人なのに……、やだ……」


 そのつらそうで苦しそうな泣き声に、私を縛ってた何かがほどけた。


 そんなのダメだ。そんなのじゃ……。笑ってよ、お願いだから……。


 「チカ、おいで」


 私はチカのほうに横向きになる。掛け布団をめくり、ぽふぽふとそこを手で叩く。

 チカが布団から這い出す音がする。暗闇に衣擦れの音だけが伝わっていく。チカが私の横に潜り込む。寒くならないように布団をかけてあげる。お酒と洗い立ての体の匂いがふんわりとただよった。

 腕枕してやると、チカが私に背中を向けて丸くなる。


 触れてしまえばもう戻れなくなる。壊れてしまうかもしれない。そんなふうに思ってんだろうな、この泣き虫は……。


 私はそんなチカを抱きしめる。怖がらないように、やさしく、ゆっくり。


 あったかいな……。ああ、あったかい……


 ドキドキはしない。抱くのがずっと昔から当たり前のように感じる。何かに吸われるように気持ちが落ち着いていく。


 「笑っていてチカ。私はそれが嬉しいんだ」

 「ありがとう……。ごめんなさい……」

 「ありがとうだけで、いいんだよ」


 チカが上から回した私の腕を全身で包み込むようにぎゅっとする。


 「親友なの私たち……」

 「さあ、どうなんだろうな。決めたくはないな」

 「うん……」

 「たぶん寒いからだよ。外は吹雪だし」

 「そうだね……。寒いからだね。ふたりなら寒くないな……」

 「そうだね。もう寒くはないよ」


 チカはその言葉に安心したように眠ってしまった。私も目をつむり、誘われるように眠りにつく。


 それから夢を見た。

 荒野に突き出た杭に絡まった青いリボンが、吹雪の中で飛ばされそうになってる。それを私たちはふたりでほどいて、灰色の空へと放ってあげた。リボンはふわりふわりと雪をすり抜けるようにただよっていく。私たちは手をつないで、目をそらさないようにしっかりとそれを見つめていた。




--------

 ようやくこのふたりは近づいてきましたね。物語は佳境へと向かい、この展開にフィオナさんも満足してます。

 次話はストーブ列車に乗って、弘前を見て帰ってきたふたりが、家でくつろぐなかで気持ちをぶつけあいます。


 お楽しみに!



推奨BGM: ねごと「Ribbon」

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