メグチカ! 友達以上百合未満のゆるゆりぐらし

冬寂ましろ

第1話 春川メグミ「見てろ。私がサンタになってやる」


 街にはシャンシャンという鈴の音が混じった曲が流れ、森の中から独りぼっちにされたツリーを慰めるようにきらびやかな飾りつけがされていた。原稿データを印刷所へ入稿したばかりの私には、ただ目と指が痛い。冬コミ向けの割と売れ筋のジャンルに当てたBL漫画。なんとか500部は…。残ったら委託にして…。お世話になっている方にもプレゼントして…。歩きながら考えが巡る。私にとってクリスマスはずっとそういう日でもあった。

 こんな日なのにあいつは仕事が終わったらうちへ来ると言う。仕方なしに遅い昼から買い出しにやってきた。「まあ、せっかくだし、クリスマスぽいものでも用意するか」とは思ったものの、何をしたらいいのかわからず、ぼけっとしたまま街を歩いていた。

 あいつの職場へ冷やかしに行こうかと思ったけれど、忙しいだろうなと考えて、なんとなく足が向かない。まあ、今年もいつものように伊藤誠のすがすがしい死にっぷりを見て明石家サンタをリアタイしなきゃな、とか思いながらうろうろしてたら、クリスマスグッズが集う店にやってきた。大きな窓越しにある豪華なクリスマスツリー。今年は紫色をベースにしていて、ちょっとファビュラスで豪勢だった。毎年これを見るのが姉と私の楽しみだった。


 そういやハルカもこれを見て喜んでたっけな。

 ああ、そっか…。私はその次の日にふられたんだ。


 クリスマスの夜、あれだけ幸せだったあの夜を過ごして、私はハルカからふられた。女の子になりたい男の子であったハルカに男を求めてしまった私。告白することもできずどうにもならなかった恋心は、その日から私を縛り続けている。好きな人がそばに居ない寂しさは、今日のように私を凍えさせる。あと何回、クリスマスを迎えるたびにこんな思いをしなくてはいけないのだろう。死ぬまで? 50回ぐらい? それは長いな…。


 「恋人はサンタクロース、血まみれのサンタクロース~、私の家にやってくる~」


 物騒な歌を小声でつぶやきながら街を歩く。気分を変えるために無理やり歌う。そんなことをしてたらあいつの職場の前にやってきてしまった。

 そこは街のちょっと大き目のお総菜屋。血相変えたお客さんたちが店先に群がって大混雑していた。


 「ローストチキン5つでご予約の町田様ー! あ、そちらにお並びくださいー! 順番にお聞きしますー!」


 あいつの大声が街に響く。ひたすら働いていた。お客さんたちに揉みくちゃにされながら、素早く店の奥から包みを渡しお金を受け取っていた。寒い外でずっと立ってるくせに、おでこにはうっすら汗をかいている。

 まあこんな日だしな。私はあいさつもせず遠巻きに歩こうとしてた。そんな私をあいつはめざとく見つける。


 「あー、メグメグー!! あとで行くからー!!」


 …恥ずかしいな、もう。


 お客さんたちがいっせいに振り返り、私に目を合わせる。私はうつむきながら小さく手をチカにふり、足早に通り過ぎる。


 メガネが曇るな…。困ったやつだ…。


 私はだいぶあいつに救われている。それはどうしてなのかわかっている。私はその感情を認めることができなかった。あいつだって私と同じなんだから。




 父が残してくれた古いマンション。昭和の雰囲気しかしないこの部屋は、どう飾り付けても微妙感が拭えなかった。クリスマス向けじゃないんだろうな。生活感がものすごい。まあ、おしゃれ雑誌に載るわけでもなし、雰囲気雰囲気と思いつつ適当にする。ちらっと見えたスマホ。それを目立たないところに置く。


 玄関の安っぽいベルがなる。あーはいはい、鍵開けますよ、と迎えに行ったら、とたんにガシャゴンというものすごい音がした。


 「どうした? チカ、大丈夫?」

 「あはは。重くてつい手を放しちゃった」

 「なんだ、その荷物。というか、たくさんありすぎじゃないか?」

 「店の片付けすっぽかして、てきとーに余りもの突っ込んで走ってきた」

 「はあ…。まあ入んなよ」

 「そうするよー」


 重い荷物に何入ってんだと思いながら、台所の流し横に置く。中を開いたら巨大なローストチキン1羽ぶんを筆頭にサラダやらカップに入ったスープやらひたすら食べ物が詰め込まれていた。


 「なんかすごいことになってるな」

 「てきとーにしちゃったから。実家がお惣菜屋だとこういうとき便利でしょ?」

 「はは。ウーバーチカだ」

 「なんか響きがいやだな、それ」

 「どういうとこが?」

 「プロレスラーっぽくない?」

 「じゃ有刺鉄線電流爆破デスマッチしなくちゃな」

 「なにそれ?」

 「知らなくていい世界のことだよ」

 「メグミは何でも知ってるなー」

 「何でもは知らない。知ってることだけ。商売柄な」

 「じゃあ、私の知ってるものを出そう」


 持っていた包みからビンを取り出し、チカがドンっと台所に置く。


 「酒もかよ」

 「こないだ見た映画で、ドレスひるがえしながらワインボトルをわしづかみにして友達の家に乗り込むシーンがあってさ。やってみたかったんだ」

 「いまある酒も飲むんだろ? ちゃんぽんにするとあとがたいへんだぞ」

 「平気平気。泊まるから」

 「…まあ、いいけどさ。最近うちに泊まりすぎじゃないか?」

 「そうだっけ? 迷惑?」

 「そうじゃなくてさ…」


 チカはだいたいいつもこんな調子でちょくちょく我が家にやって来ていた。こんな日にそばに居てくれるのはうれしいけれど…。

 私の想いを無視して、チカは勝手に台所を漁る。


 「さて、と。いいのないかなー」


 我が家に来た人間はいつもそうだ。遠慮ないな。ハルカもこいつも。


 「グラス、これでいい?」

 「お好きなので」

 「よし。じゃあ、つまみを皿に並べよう」

 「パックのままでいいよ」

 「やだよ。こういうのはちゃんとするの」


 そう言いながら皿に料理を盛っていく。手慣れているせいか、レストランで出されるような一皿にどんどん仕上がっていく。


 「ほら、見栄えも味のうちだよ」


 お前の好きなミヤコもそう言ってたな。こいつもずっと引きずっているんだろうな。


 「運んでー」

 「はいはい」


 小さなクリスマスツリーを置いた古ぼけたテーブルの上に、料理を次々と並べる。見た感じ豪勢じゃないか。クリスマスぽいぞ。変に料理を用意していなくてよかった。まあ、こうなるだろうとは思っていたし。

 チカはとっととワインのコルクを抜いて、自分のグラスになみなみと注いでいた。


 「ほら、かんぱーい」

 「はいはい。ボトルくれよ」

 「あれ。一杯目からワインでいいの? いつもビールじゃない?」

 「付き合ってんだよ」

 「え、私たちいつから?」

 「そういう冗談はやめろ」

 「あはは。メグミはノリがよくて好きだなー」

 「いや…。どういう意味だよ、それ」


 お互いが知っている。お互い好きな人がいたことを。ふられても、まだその想いが残ってることを。

 だから、こんなことを話しても安心していられる。安心…、なのか?

 ワインに混ぜてその考えを飲み込む。

 …あれ、おいしい。


 「うーん、うまいな。このワイン。渋みとか酸味とか言うより、うま味が強い」

 「でしょー。いつも頼りにしてる酒屋さんのおすすめ。私はワインのことはわからないから、知識部分は酒屋さんにアウトソーシングしてんだ」

 「横文字にしても丸投げの意味は変わらないぞ」

 「でも正解でしょ」

 「まあな」

 「私たち、酒の好みが似てるから楽だね」

 「『一杯目にカシスオレンジを頼む奴は許さない同盟』だからな」

 「あはは。それそれ。こないだ同ゼミの飲み会に顔出したらマジそれでさ。逃げてきたよ」

 「なんなんだろうな、あれ。飲めるけど飲めないアピールというやつか」

 「メグミにはわからないだろうなー」

 「なんでだよ」


 わからないよ。お前の気持ちなんか。


 「メグミも大学入れたんでしょ。行きなよ」

 「お前こそ行けよ」

 「私は最低限の力で卒業すると決めたからなー」

 「実家に稼業がある人はうらやましいことで」

 「えー。メグミのほうがうらやましいよ。好きなことで食ってるじゃん」

 「それはそれで苦労すんだよ」

 「大学に漫研とか行かないの? あるんでしょ?」

 「一応、顔を出したんだけどさ。雰囲気がね…」

 「え、ギスギスしてんの? 異能力で戦い合ってるとか」

 「そんなんじゃないよ。なんかこうお互いにぬるま湯を掛け合ってる感じがしてさ。水とか熱湯じゃないんだよ。妙に気持ち悪くて行く気になれなかったな」

 「そうなん?」

 「ほら姉ちゃんはきつい商業でやってきてて、そこに集うアシの人も忙しい中でみんな自分の作品作ってガチ目の講評とかしてるとか、間近で見てるとさ、なんともぬるぬるしてるなって…」

 「あー、そういうもんなんだ。ぬるぬるねー。うちの大学も似たようなもんだよ」

 「ぬるぬるしてるのが普通かもしれないなあ」

 「普通ねえ」

 「ずれてんのかな」

 「どっちが」

 「どっちもだろうな」

 「ふっ。まあそうやってすれ違っていくもんさ」

 「どういうキャラだよ」


 すれ違いだらけの人生だったな。やってきたことも好きなことも恋も。こいつともすれ違うのかな。それはちょっとやだな。


 「ああ。良いなー、良いぞー。ごろごろしながら飲む酒はうれしいなー」

 「実家で飲めばいいのに」

 「だって今は戦後処理で忙しい時間だよ。そうそう飲めませんて…」

 「そうか…」

 「ガヤガヤする居酒屋もあんまり好きじゃないし、こうやってぐでんぐでんになっても怒られないから、ここがいいな…」

 「ここはお前の別荘じゃないぞ」

 「別荘にしてたじゃん。ハルカの」

 「あれは仕方なかったんだよ。お前だってミヤコの逃げ場所やってたじゃないか」


 あれ、だめだ。喧嘩したいわけじゃないんだ。そういうわけじゃ…。

 目を細めてチカが私を見つめてくる。


 「今日は、やけにからむねえ」

 「知るか」

 「知ってるけどな」

 「何をだよ」

 「何もかもだぞー」

 「どういうことだよ」


 チカが真顔になって言う。


 「連絡はメグミにだけ来てるわけじゃないよ」

 「あ…」

 「ほら」


 チカが自分のスマホを見せる。最初のメッセージは大学を出たら結婚しますと報告する幼馴染2人の話。そしてあとから来たのは事情を知る私たちへ宛てた彼ら3人での幸せな話。

 それを見せたあと、チカは大げさに私の頭をぽんぽんとする。


 「ふたりで高校の卒業式に号泣した仲じゃないか。元気出せよ」

 「まあ、それはな」

 「お互い大失恋したね」

 「そうだね…」


 あの日から抱えた気持ちがリボンになっている。ほどけないリボンが固くきつく食い込むように。踏み出そうとしてもリボンにからまり、あれから前にも後ろにも進めないでいる。私とチカはそうなんだ。そうなっている。


 「チカ。つらくないか?」

 「まあ、ミヤコに告ったときにたくさん泣いたし…。あれはあれで自分にけじめをつけたから」

 「そうやって隠すなよ」


 チカが一瞬黙る。言い過ぎたか。ああ、今日はなんだかいつもの感じじゃないな。


 「私にもプライドとかありますから。メグミの前では隠させてよー」

 「そうかい」

 「メグミだって私にからむぐらいには落ち込んでるんでしょ。わっかりやすー」

 「ハルカとは、ちょっと事情が違うんだよ」

 「ちゅーぐらいしとけばよかったのに」

 「…したよ。軽くだけど」

 「ええーっ。初耳なんだけど!」


 そうだ。確かにあの卒業式の日、「もうできなくなるかもよ?」とハルカに言われて「それはもったいないな」と言いながら唇を重ねた。ハルカの予言通り、もうキスなんてできるわけがない。何しろあちらはいま3人で愛し合ってる。

 元々幼馴染同士の南里アキトと星野ミヤコ、そこに兎賀ハルカがやってきて、みんなかき混ぜたあげく3人でくっついた。ミヤコにずっと片思いしてて、ふられたのがこいつ芝原チカ。女の子になりたい男の子なハルカに恋してきたのが私、春川メグミだ。

 どうにもならない恋をした成れの果て同士が、こうやって酒を飲み合っている。


 「私もミヤコとしとけばよかったなあー」

 「勝った」

 「何がだよ」

 「何もかもだよ」

 「えー、なんか悔しい。あとでくすぐらせてよ。実力行使したい」

 「やだよ。なんでそういうこと言えるんだよ」

 「そりゃメグミだからだよー。あはは」


 ようやく笑った。こいつには笑っていてほしいんだ。私と同じだから。


 「チカに言うのも変な話だけどさ。3人でいっしょに暮らすってどんなもんだろうね」

 「さあ、想像の外だなー。なんもわからん」

 「ひとりは男の娘だしな」

 「どういう夜の生活なんだろ」

 「知るかよ」

 「でも聞いているんでしょ?」

 「まあ少しは。ハルカの話は、いま描いてるマンガの題材になるしな」

 「BL作家もおつらいことで」

 「リアリティがある実用的な話のほうが儲かるんだよ」

 「何の実用なんだか」

 「そういうチカはどうなんだよ」

 「どうってどこがだよ。まあ…。百合モノは私が知ってるのとは違う世界のファンタジーかな」

 「そんなものなんだ」

 「そんなもんだよ。普通の性癖をしているメグミにはわからんよ」

 「男の娘に恋したのはだいぶ普通じゃないぞ」

 「そうかな。それでもまあ体は普通じゃない? 一応男女なんだし」

 「うーん、どうかな。ハルカに男をあまり感じなかったからな。そもそも普通ってなんだよ」

 「なんだろうね。どっかきっと中国の山奥にでも生えているんでしょうよ」

 「中国行くか」

 「なんでよ」

 「三国志好きなんだよ。赤壁とか一度は見たいんだ」

 「行って来いよ、もう」

 「たぶんそこには何もないけどな」

 「わかるけど、なんかあってほしいな。なんか…」


 ずっと届かない「普通」を想うときって、こういう表情をするんだろうな。

 同性を好きになる気持ちって、なんなんだろう…。

 チカを見つめていたら意味深に笑われた。


 「小腹減った」

 「へ?」

 「なんか作っていい?」

 「いいけど…。なんかあったっけ」

 「ちょっと待ってて。卵と玉ねぎあるでしょ?」

 「いや知らんけど…」

 「っていうか、なんで私が他人の家の冷蔵庫の中身を知ってんのよ」

 「そりゃチカが買ってくるからだろ」

 「それなー」


 台所に立ったチカを見ながらワインの残りをあおる。すらっと背が高く、肩にかかるぐらいの長い髪を大き目のシュシュで束ねてる。チカは実際いい女だ。大学では男からも女からも人気があるらしい。でも、そういう関係になるのをみんな断っている。それを私にだけ、つまらなそうに話している。


 「はい、コロッケの卵とじ小どんぶりー」

 「お。これはなかなかいい景色だな。それでは一口…。ん、んん! じゃがいもが甘辛のつゆを吸ってうまいな」

 「でしょー」

 「いいお嫁さんになれるよ」

 「お嫁さんか…」


 あ、地雷踏んだか。


 「お、お婿さんかな」

 「お嫁さんでいいよ」


 少し笑う。よかった、軽傷で済んだ。

 チカが口元に米粒をつけながら言う。


 「そういや普段ちゃんと食べてる?」

 「なんとかメイトとかカップ麺とか…」

 「…ハゲるよ」

 「おい、風評被害やめろ」

 「いっしょに暮らしたら、いろいろ作れるけどね」

 「お、でた。思わせぶり発言」

 「なんだとー」


 あははとふたりで笑う。

 危ないな、ちゃんと茶化しておかないと。




 だらだらと酒を飲む。チカはグラスを頬に引き寄せて静かに笑ってる。

 まあ見た目はかわいい奴なんだけどな。背が高いからかっこいいに言い換えるべきか。本人どう思ってるんだろうな。いつも貧乏くじを引かされているかわいそうな奴だけど。いまだにミヤコから相談が来るとか言うし。フラれた相手からずっと親身にされるのは、どういう気持ちなんだろうな。

 …あ、私もそう思われているのか。

 チカがリモコンを放り出しながら言う。


 「テレビつまんないなあ。ねえメグミ。なんか面白い話を聞かせてよ」

 「むちゃぶりを…」

 「よっ、稀代の漫画家、世界最高のストーリーテラー!」

 「ひどいな」


 まあでも、そういうのは嫌いじゃない。

 私はこほんとわざとらしく咳をして話を続ける。


 「こういうのはどうだ。吹雪の中に女の子が手を握って立ちすくんでるんだ。片方が顔をゆがませて風にひるむと、もう片方が手を強く握る。すると、はっと気が付いたようにまた顔を前に向ける。やがて吹雪が晴れて、雪の間に咲いてる花をふたりの手で一緒に包み込む」


 彼女が目を細める。ああ、だめだ。こんな話。私はおおげさに言う。


 「そのあとで、めくりめく官能とバイオレンスの世界がー!」

 「あははー」

 「謎のニンジャと空飛ぶサメが戦い出したと思ったら、海から巨大な怪獣が!」

 「混ぜすぎウケるー。楽しいー」


言葉とは逆にしんみりとした表情でチカは私に言う。


 「でも、その2人って私たちのことでしょ」

 「まあ、ちょっとプロットは借りた」


 チカがグラスの縁を指でなぞりだす。私の気持ちに気づいているように話し出す。


 「こうやってお互いの傷に酒をかけあって生きてくのも悪くはないよ」

 「そこは塩だろ?」

 「塩よりは痛くないよ。酒で麻痺させて気持ちよくしているだけだから」

 「二日酔いが怖そうだ」

 「ふと、酒が抜けるとそうなるんだよねー」

 「じゃ酒が抜ける前に酒を飲まないとな」

 「それでもいいんだけど…。人肌が恋しいな」

 「あの抱き枕扱いの後輩はどうしたよ?」

 「本人いろいろ思うところはあるらしくてさ、ちょっと離れてる。なんかボランティア活動とかしているよ。普通の人っぽく」

 「そうか」

 「女の子が好きな女の子には、よくある話。好きな人はみんな自分の手から離れていくんだよ。私を置き去りにしてみんなが生きてる世界へ行ってしまうんだ。私が生きられない普通の世界へ」


 チカが遠くを見つめる。


 「なんでだろうな。どうしてだろうな…」


 目をぎゅっとつむって泣くのを我慢してる。

 仕方ないな。今日はそういう日だ。見てろ。私がお前のサンタになってやる。


 「私は置き去りにはしないよ」

 「でも、メグミだっていつか…」

 「一緒に暮らすか?」

 「え、いいの?」

 「姉ちゃん彼氏のとこだし。こないだ部屋開けていったんだよ」

 「でも、お高いんでしょう?」

 「この部屋は死んだ父ちゃんの遺産だからなー。管理費しかかからないし。まあ光熱費ぐらい折半してくれたら…」

 「うーん、今日は最悪と最高が、波のようにざぶざぶ襲ってきたな」


 さっきまでの泣き顔が消えてくれた。よかった。

 チカが浮かれた感じで空き部屋に入る。


 「じゃ、この部屋とった」

 「おい、そこは何にもないぞ」

 「やだー、ここで寝るー、私の部屋なんだから…」

 「…はあ。ちょっと待ってろ」


 今日は寒いんだから、ちゃんと布団と毛布を…。

 隣の部屋から引っ張ってきて、もう寝ようとしているチカに渡してやる。


 「ありがとう。そういうとこは好きよ」

 「おい、他も好きになってくれよ」

 「えへへ。どうしようかな」

 「この酔っ払いが」


 まあ、寂しくはないな。

 でも本当は寂しいのかもしれない。

 お互いの心はリボンでずっと縛られたままだ。互いにそれをほどくことはないのだから。




 翌日。私はうっかりソファーで寝てた。それに気がついて、がばっと起きる。

 テーブルの上を散らかしたまま寝たはずなのに、すっかりきれいになってた。

 台所にチカが立っていた。

 「おはよ」

 「ああ」

 「簡単にご飯支度したから」

 「ありがとう。顔洗ってくる」

 「うん」

 チカが笑う。施面台でざぶざぶと顔を洗うと、違和感といっしょにタオルで拭う。


 テーブルには味噌汁と海苔で包まれたおにぎりが並んでいた。

 味噌汁をすすると、何かに気が付く。


 「しじみの味噌汁だ。いつのまに…」

 「飲み過ぎにはちょうどいいと思うんだよねー」

 「ワインの酔いにも効くのかな」

 「たぶん…」

 「たぶんか。まあ、おいしいからいいよ」

 「よかった」


 それからは黙って食べていた。食べ終えるとチカが立ち上がって言う。


 「そろそろ行くね」

 「もう?」

 「うん」

 「そうか…」

 「まあ、いいんだけどね。でも帰んなきゃ」


 私はどう言えばいいのか、よくわからなくなっていた。




 玄関先で手を振るチカ。


 「また今度ね」

 「ああ」


 鉄の扉がゆっくり閉まっていく。


 話しにもあがらなかったから、酔っ払いの戯言で済ましたのだろう。これじゃサンタ失格だな…。

 …ああ。どうもよくないな。つい未来を想像してしまっていた。こんなふうに毎日のように温かい食事を作ってふたりで食べる、そんな未来のことを。

 ハルカを好きになったあの日もそうだったな…。


 そしてその想像はいつも叶えられない。


 また泣くのか、私は。

 なんでだ。なんでだよ。どうしてそうなるんだよ。

 この寂しさと悲しさはなんだよ…。

 家に居られない気分になり、あてもなく歩き出していた。まるで追いかけるように。すがりつくように。




 暗くなってきたら馬鹿らしくなって家に帰ってきた。どうせ私はそういう女だ。ひとり寒い部屋でやさぐれていたらベルが鳴る。

 扉を開けるとチカがいた。


 「あれ? 忘れ物?」

 「これ」


 足元の大きなスーツケースを指さす。


 「じゃ、今日からよろしくー」

 「はうあ? 早くないか?」

 「早いほうがいいよ。こういうのは勢いでやるもんだよ」

 「はあ…」


 想像はたまに逆襲してくる。これはちょっと面白いな、ぷふ…と笑ったら、チカも笑い返してくれた。





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次話は同居を始めたふたりが、日々の暮らしの中でぎこちなく気持ちを泳がしていきます。

お楽しみに!


推奨BGM: ねごと「Ribbon」

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