第2話 芝原チカ「それが何より嫌になる」
君は自己嫌悪というものを知ってるかな? あの日のことを思い出しては手に顔をうずめて恥ずかしがったり、中二病満載の小説が出てきて顔を真っ赤にしてゴミ箱に放り込んだり。
私、芝原チカは昨日届いたばかりのベットの上で、クリスマスの夜のことを思い出しては、恥ずかしさと嫌悪感がたっぷり詰まったこの体をゴロンゴロンと転がせていた。
「何事も勢いだよ」というのは、私が好きになったミヤコからの受け売りだった。実際そうしてしまえば確かになるほどと思うが、この強い「やらかした感」はどうすればいいんだろうか。そこまでは聞かなかったな…。
家は出たかった。
さして理由は思い当たらないのだけど、なんとなくそこから出たかった。
……そういうことにしておきたかった。
あの部屋には好きな人の思い出が多すぎた。幼いミヤコと出会って遊んだあの日、彼氏ができたと相談されたあの日、私の彼を取らないでと泣いて懇願するミヤコにもうしないと誓ったあの日……。あの部屋には染みついたものが多すぎる。
そうやって自分の心にあるこの想いを、どこかにまとめて粗大ごみとして捨てたかった。でも、それができないから、自分のほうを捨ててみた。
そんなときにメグミから切り出された「一緒に暮らす」という提案に乗ってしまった。このまま私の居場所としてメグミの家を占拠してもいいのかどうか……。
メグミがどう思ってるのか気になるな。あやつは他人と一緒に暮らすというのをどう思ってるんだろう。
私も他人と一緒に暮らすのは初めてだった。ネットで何か片したり捨てたら同居人に怒られたというエピソードを見て不安に思う。
まあ、でも……。
メグミは真剣に怒らない。昔からあいつは困ってる人をほっとけないタイプだった。人を殴るより手を差し出すほうを優先している。最初に話したときもそうだったな。うーん。そういや少し思わせぶりにしてしまったような……。そういう気持ちにさせてしまったのかな……。またベットの上をゴロンゴロンと転がりたくなる。
「大丈夫だけどね。メグミの瞳に私は映っていないし……」
そうつぶやいて、手のひらを白い天井に向け、見上げていた。
大晦日。年の暮れ。今年も残り1日。この家の主人であるメグミは、東京のとあるイベント会場に行ってる。昨日は朝早く眠い眠いと言いながら出かけ、夜にボロボロになって帰ってきてそのまま寝てしまい、今日も眠い眠いと言いながら旅立っていった。
大変なんだろうな。BLマンガ家というのも。普通に本屋に並んでいる本や雑誌には、メグミのマンガは数えるほどしか乗ったことがない。アンソロとか呼ばれているものが中心で、オリジナルはまだ一度も掲載されたことがない。だから同人と呼ばれる自費出版で生計を立てている。
「いいかチカ。通販や電書は実のところ、たかが知れている。年2回あるこの巨大即売会こそ、我が家の暮らしがかかっている。この風、この紙触りこそ我が戦場よ。だからこれは、すごく大切なことなんだぞ」
ビールをぐびくび飲みながら、そうメグミに力説された日のことを思い出す。私にはよくわからないけれど、大切な日なのはわかる。
「それじゃ私も戦場に向かうとしますか…」
家主がいない間に家の掃除を始めることにした。どうせメグミは怒らないから。同居生活のお試しも兼ねまして。
まずは台所。
「水回りが汚いのは許さん! くわっ!」
飲食店や食料品を扱う店にいる子供が、必ず身に浸みつかせている信念、強い気持ち。台所回りが汚いことが、どうしても許せない。なぜそうなるのか不思議だなーと思いながら、実家から借りてきた業務用洗剤をどばぁとシンクにかける。謎のとろっとした青い液体にまみれると、どんな油汚れも消えて、すべすべになっていく。それを見ながら、うふうふとひとりで悦に入る。
メグミの家は、物が多い感じのごちごちゃとした家だった。私は、まず物の整理から始めた。台所に置いてある物を端から使えるものと使えないものを分けてゴミ箱に突っ込んでいく。取っといた割りばしも、使いさしのよくわからない塩こぶとかも、「あはは! 皆殺しだぜ! ひゃっはー!」と言いながら捨てていく。どうせ使わないんだし、取っておいても仕方がない。残ったものは台所に新設した小物置きにしまう。そうすると、ほーらスッキリ。
「次の戦場は…。ここかっ!」
冷蔵庫の中身を整理しだす。100均で買ってきた白いトレイへ袋物とか入れて片付けていく。賞味期限が切れたものや味が微妙でそのままにしてしまったものとか、いらいなものをポイポイとゴミ袋に捨てていく。こちらもスッキリさせる。次の戦場はどこかと、ふと部屋を見渡す。
そこに広がるのは古い部屋だった。少し薄暗くて青みがかった照明、黄ばみが目立つ白い壁。木でできた古いテーブルとイス。幼稚園の頃からここで暮らしていると言ってたっけ。幼いときにご両親が亡くなり、お姉さんと一緒にやりくりしながら生活を続けて、そしてハルカがここに顔を出すようになって…。
「…本当に私はここで暮らしていいのかな?」
ひとりそうつぶやく。そのとたん、何かに押しつぶされそうになる。
あー、ダメだダメだ。まだ戦場はある。
床に転がっているたくさんの本を部屋の隅に片していく。配置とかあるかもしれないので、バラけさせず固まりのまま移動していく。これなら怒られないだろう。
あれ、これメグミのペンネームだっけか。試しに読んでみるか。いつもは読ませてくれないもんな。さて…。え、あれ…。なにこれ…。なるほど…。おお。この本の山もそうか。なんかいっぱいあるぞ、これ…。どれどれ…。
2時間経過した。
すごい、なにこれしゅごい…。これが実用性…。いまの私、顔が真っ赤だ。ひたすらエロBL同人を読みふけっていた。しかもメグミが描いたもの。あんな顔して、こんな話を…。
なんとなくメグミは物語を描きたいんだろうなという想いが伝わった。設定は突拍子もないものもあるけれど、そこに至るまでの物語を必ず描いていた。人として生きているからこそ、つまづいたり誰かの敵になったり、そうした話がそこにあった。
いま私が手にしている本もそんな感じで好きになれた。仕事を辞めて生まれた町に戻ってきた男性アイドルが、何も知らない男子高校生にアイスをおごられたことで惹かれていき、やがて感じさせたいと必死になる男子高校生に大人の世界を教えてやるとリードするけれど、そこにはかつて自分が汚されたときの想いもあり、それを話すことなくただ必死な男子高校生の頭をなでてやるシーンはかなりせつない。やるせない想いが静かに深く流れていく。結局やることはやるんだけど。
うーん。メグミは人をよく見ているんだろうな。そうでないとこんな話は描けないし。
…じゃ、私はメグミにどう見えているんだろう。
ピンポーン。
ぎゃっ。
びっくりした拍子に本の山をひとつ崩してしまう。仕方なしにそこは放置して、玄関の扉をあわてて開ける。
「こんちわー、宅配便ですー。遅くなりましたー」
「あ、あ…」
「あれ、春川さん宅ですよね」
「あ、はい。私は…」
言い淀む。私とメグミの関係はなんなのだろう…。
「…同居人です」
「そうでしたか。ちょっと荷物重いんですけど、いいですか?」
「はい…。はいい?」
あっという間に段ボール3箱が玄関に積みあがる。それを残して宅配便屋さんは去っていく。
これ…、全部本なのか…。試しに押してみる。ビクともしない。すごいな…。
ピンポーン。
あれ、また宅配便屋さん? 扉を開けるとメグミがいた…。メグミ?
「え? ええ?」
「ごめん、ちょっと鍵がかばんの奥に入っちゃって…」
「何その格好? 今朝とぜんぜん違うんだけど?」
なんとなく近未来の男子学生服とか背広っぽい感じがした。蛍光色のストライプがそう思わせたのかもしれない。あ、わざわざメガネまで変えてる。
「気がついたら更衣室が閉まってたから、そのままで帰ってきたんだよ。コート羽織ればわからないし」
「これが世間一般で言うところのコスプレ?」
「どれが世間一般かわからないけれど、そうかもね」
「男装メグミって、なんかちょっと新鮮だな…」
「そうかい」
メグミがすたすたと玄関に入るなり、積まれた段ボール箱をぺしぺしと叩く。
「お、本届いたか。返本のは上のかな。今回は1000刷って900だからだいたい勝利した。アクスタもはけたし。よしよし」
「倍になって本が帰ってる気がする…」
「これは…。参考資料と未来への投資だから…」
「はいはい。そういう言い訳は将来恋人にしてあげなよ」
「そうだね…」
メグミが少しあいまいな顔をする。
「それ、もう着替えるの?」
「そうだよ。シワになるし」
「もうちょっと着ててよ」
「なんでだよ」
「だって面白いじゃん。非日常感ハンパないし」
メグミが普段恥ずかしくてできないような気取ったポーズを取る。
「頭脳明晰な僕としては、この部屋がやたらキレイになったことに興味があるんだけどな」
メガネをくいっとさせるメグミ。ぷふ。ちょっと吹きだした。
「なに、そのセリフ」
「『ごきげんファイブ』の緑野ミツカケというキャラで…。かなりマイナーな奴だけどこんな言い回しなんだよ」
「へえ、なかなかかっこいいじゃん」
「チカ、顔近い」
「もっと近くする?」
「そういうぐいぐいくるのはやめろ」
「あはは。ハルカっぽい?」
「わかってるならやめろよ。もう」
「ごめんて」
だって、そんな格好してるから。
「あ…」
本の山が崩れているのをちらっとメグミが見る。これは何か言われるかな?と思ったけれど、とくに何も言わない。私は軽く視線を逸らす。
「よく片したね。台所ピカピカだし。えらいえらい」
メグミに頭をなでられる。あれ、ほめられた。ちょっと…、いや結構うれしい。照れくさいな、もう。
「いいかな、緑野くん。物が散乱しているのは、収納場所がないからです。収納場所を作ってしまってそこに入れてしまえば、とりあえず見た目はよくなります。すっきりした部屋は心を健康に保ちます。あんだーすたーん?」
「おお。セリフが『ごきげんファイブ』の女マネージャぽいけど、アニメ見てた?」
そこの同人誌の山で勉強したとは言えない…。
「ナナミナ完コピじゃないか。すごいな。次のイベントで…」
いやそれはダメ。メグミにだけ見せたいから…。
「そういやお酒飲むって言ってたっけ?」
「ああ、ちょっとだけな。サークルで打ち上げしてきた。ビール1杯。…ジョッキで」
サークルね…。メグミは好かれているんだろうな、その人たちにも。
「おそば食べられる? 用意はしてるよ」
「ああ、それで出汁のいい匂いがしてたんだ。食べるよ」
生そばと大きなエビのてんぷらは実家からもらってきた。ゆずをひとかけ乗せて香りを楽しむ。ふたりでこたつに入ってそんな年越しそばを食べている。イケメンがこたつでそばをすすってる…。そんな光景にまた吹き出しそうになる。
「出汁がおいしいな」
「売ってる出汁パックのだけどねー」
スーパー主婦になってるミヤコが勧めてくれた、日本橋にあるカツオ節屋さんのだけど。それは言わないでおこう。まだ引きずってるのかとか言われそうだし。
「へえ。それにしてはおいしいな」
いい顔してるな。でも、その顔はもう誰かに見せたんだろうな…。
私はそんな想いに気づいて話題を変える。
「…本、売れた?」
「ああ、今日は二日目だから男性向け作品が中心なんだよ。昨日が私にとっては本番で、本とかは知り合いのサークルに委託だけで…」
男性…向け…? それで飲み…?
逃げようとしたその想いが、私にまとわりつく。たぶん、私の知らないメグミがいることが許せないんだろうな。きっと、そう。それだけ? うん、それだけ。…ほんとに?
「あ、チカ。てんぷらまだある?」
「うん。おせちも実家からもらってきたけど。もうつまむ?」
「お。ならば、ぽんしゅですな」
メグミがコタツから出ると、台所の奥から日本酒の一升瓶を抱えて戻ってきた。
「これ、もらいものでさ。ユキオンナというお酒で、うすにごりな感じが雪みたいでいいかなって」
誰からもらったんだろう…。あふれる寂しさが冬の風のように流れ込む。私はさとられないように明るく言い返す。
「いいね。今の季節にぴったりな感じだし」
「では、どうぞ」
「ありがとう」
「注ぎ方も習ったんだよなあ。夜の商売でバイトしてたサークルの先輩に」
「へえ…」
「こうやって底のほうを持つんだって」
「ほら、メグミも」
「おお、ありがとう」
「じゃ」
「今年もお疲れ様でした。かんぱーい」
「…うん、いいね。甘口だから私も飲みやすい。メグミもこれならいいんじゃない?」
「私は酔鯨とか大好きな辛口ガチ派だけど、これはベタベタとした甘さじゃないから飲みやすいな」
ふたりで温かく笑いあう。私は寒いままなのに。
3杯目を飲んでると、少し酔ってきているのが自分でもわかった。もしまだ実家に暮らしていたのなら、今頃理由をつけて帰っている。だって悪い酔い方になってるから。
私のすぐそばでメグミがスマホで電話している。たぶん相手は友達なんだろう。楽しそうに話している。それを見ながらまた一口と日本酒をちびりと飲む。それからコタツにうなだれた。
寂しい。怒りたい。泣きたい。
でも友達なのに? あいつにはまだ好きな人もいるのに?
「…私はみんな捨ててきたのにな」
うっかり、そうつぶやいた。
メグミが私を見てすごくひどい顔をしている。
聞かれたか。
でも、どうしていいのかわからないしな。もう、どうにでもなればいい…。
「わかったって。じゃあ、明日は友達連れてそっち行くよ。そうだよ、こないだ話してた人。だーかーらー、同棲って言うなよ。うん、なんか適当な感じで。はい。切りますよー。良いお年を!」
メグミがスマホを放り出す。
「ごめん…。いや、ちょっと長かったな。話長いんだよあいつは。それで…」
「酔った。部屋連れてって。お姫様だっこして。スパダリなアイドルなんでしょ」
「え…」
そういうシーンで、そのあとでイタしてしまう作品をメグミが描いてるのを知ってて、言ってしまった。たしかにこのままベットへ押し倒すのには、いい話の流れだなと感心していたんだ。
また、すごい顔をしているメグミ。
うーん。言い過ぎたな…。
「ごめん嘘。飲み直そうか。なんかつまみでも…」
「投げやりになるなよ」
「投げやりじゃないよ。たぶん少し寂しかっただけだから。気にしないで」
メグミが立ち上がって隣の部屋を開ける。
「こっちの部屋は片さなかったの?」
「……」
そこはハルカが着替えていた場所。メグミがハルカの居場所として与えていたところ。想い出の部屋。私が手を付けてよい場所じゃない。
何も言わない私にメグミが言う。
「私も捨てられる女なんだよ」
「…たくさんしまい込んでるくせに」
「そうだね。だから捨ててしまうよ。急には無理だけど少しずつ捨ててく」
「いいの? この部屋でハルカが着替えてたんでしょ? 私はそういうのは取っておいたほうがいいと思うな」
「嫌がらない?」
「どこが?」
「私なら嫌だから」
「私は嫌じゃないから」
残してはおきたいんだ。それはメグミの大切なものだから。
ああ、そうか。メグミもそう思ってるんだろうな。私が捨ててきたものに。
うーん。壮絶にブーメランが刺さった気もするけど…。あれ、どっちにだろう。
「…喧嘩したいわけじゃないよ」
「わかってるよ」
私はメグミの言葉にあいまいに微笑む。ああ、何やってるんだろうな、私は…。ベットでゴロンゴロンと転がりたいな。
翌朝。ふたりで寝ぼけたままの姿でお辞儀をしあう。
「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
くすくすと笑う。
それから着替えたり支度を始めた。
「友達と何時に待ち合わせ?」
「15時」
「あれ、結構まだ時間あるよ?」
「いろいろ見て回りたいんだ」
電車に乗って連れて行かれたのは、秋葉原の近所にある有名じゃないほうの神社。線路沿いの小道を通り、川を渡ると、その神社があった。境内の人は少なく、端にある縁台に猫がちょこんと座ってた。
「あるゲームに男の娘が出ていてさ。そこの実家のモデルがここなんだ」
「へえ。巫女さんとかやってる感じ?」
「そうそう。ゲームだと、せっかく女になれたのにそれを好きな人のためにあきらめることになって、そんな話も切なくて好きだったな」
「…私は男の娘じゃないよ?」
「わかってるよ。そんな顔するなよ。ここでお参りしてから、いいことが続いているんだ」
「そう…」
「チカと暮らせるのは、私には嬉しいことだから」
「はいはい」
「おい。うすら笑いやめろ」
少し笑ってからお参りする。神様に何をお願いしたかは内緒。ふたりで話すこともなかった。昨日からちょっとメグミがやさしい。それでじゅうぶんわかってる。
それからは秋葉原をいろいろ見て回った。これがAKBの本拠地かーとか、これ全部同人誌かーとか。そうこうしているうちに時間になった。ふたりで待ち合わせ場所に行く。その駅の横にある広場には、3人の女の子たちが団子のように固まっていた。
「ちいーす」
「よ」
メグミが声をかけると、ちびっこで帽子をかぶったボーイッシュな子が短く返事した。
あまりこちらを見ない。ちょっとどうしたらいいのかわからず、普通に挨拶をする。
「始めまして、芝原チカと言いますー」
ぽやぽやとしたお姉さんが私をぐるぐると見て回る。
「かっこええやんー。背ぇ高いやーん。『ごきげんファイブ』の赤崎やらへん? 似合うと思うねん。次のオンリーは赤緑本で、メグミとふたりで売り子してほしなぁー。だめやろかぁー」
「やだよ。どうせまたそうやって本の題材にするんでしょ。なんだよ実録サークル24時って。実在人物でエロいことさせないでくださいよ。だいたい、そういうのは早坂がやれよ」
メグミに話を振られた、いかにもデキる感じのお姉さんが鋭く言う。
「広告塔だよ。たまに見つめ合って、きゃーきゃー言われろ。お布施として本がバカスカ売れるぞ」
「マジでやめろ。早坂と友永さんがやればいいじゃないか」
「あはは。早坂ちゃん、私とラブいことしちゃうぅ?」
「タッパないから無理です。やるならむしろオオカミと羊の百合系で…」
ちびっこがメグミの袖を引っ張る。
「寒い。早く行こ」
それを聞いて早坂さんが言う。
「では、いつものところへ。お嬢様方」
執事喫茶に入るというのは、私の人生にはまるで予定がなかった。窓とか家具とかすごいとこだなと見ていたら、「お帰りなさいませ、お嬢様」とふたりのかっこいい執事に迎えられる。そのふたりの案内で、一番奥のテーブルへと通される。「ちっ、危険物扱いか」とメグミがひとりつぶやく。よくわからないので、行き慣れている早坂さんがひととおり注文をする。
「わりとおいしいんですよ、ここ」
「早坂さんはよく来られるんですか?」
「職場が近くなので、週2で…」
「昼から執事喫茶とはいい身分だな、早坂」
「ふふん、正月から執事喫茶に行ってるお前も同罪だぞ。メグミ」
「お前も一緒だろうが。まあ、こないだの入稿は助かったから、ありがとうって言ってやる」
「ほう。それは。君の愛を感じるよ」
ふふ、と笑う早坂さんを見て、私はメグミのほうを振り向く。
「ああ、チカ。早坂はうちらのサークルの小間使いなんだよ。進行管理とか入稿の段取りとかお金の計算とかいろいろな手配とか、そういうのをみんなやってくれてる」
「サーバントとお呼びください。メグミさんの絵が好きで、気がついたら奴隷になっていました」
「おい。誤解されるようなこと言うなよ。こっちの友永さんは姉ちゃんの知り合いで、作画アシスタントとしても長いんだ。合同本でもよく寄稿してもらっている」
「よろしくなー、お姉さーんー」
「それで、このチビが…」
「チビっていうな」
帽子を脱ぐ。長い金髪がはらりと揺れた。
「うちのむっつりスケベ担当、フィオナだ」
「おい、その紹介はなんだ」
すごいきれいだな…。つやつやとした金髪、透き通る白い肌、海のような青い瞳。まるでお人形さんのようだった。
彼女は空気までもキラキラさせながら言う。
「Moi. Minä olen Fiona. Fiona Saarinen. Ä lä ota rakastajaani」
「え、なに?」
「フィンランド語」
フィオナさんの言葉にメグミが付け足す。
「フィオナはフィンランドのトゥルクってとこで元々暮らしててさ。同人誌描きたくて日本に来たんだって。たまたま姉ちゃんのサークルに本を買いに来てて、なんとなく流れで、いまうちのサークルにいるんだ。こんななりで鬼畜なエロい絵を描いてて、結構人気あるんだよ。今回の赤攻め本もすさまじかったな…」
「あんなの描けるの、私だけ」
「そうだな。『トイレに男がひとり縛られているのって、いいよね…』って、つぶやくシーンはなかなか思いつかないよ」
3人が笑う。私は笑っていいのかわからないけど、わからないなりに笑った。
執事さんたちが紅茶やサンドイッチ、スコーンを持ってきてくれた。優雅に注いでもらった紅茶をひとくちすする。
「あれ、ほんとだ。おいしい」
「紅茶はちゃんとファーストラッシュ使っています。お気に召すといいのですが」
「ありがとう、早坂さん」
早坂さんが執事すればいいのに、とか思う。そのメガネと口元のほくろが執事服に似合いそう。
メグミが頃合いを見計らっていたように話し出す。
「で。次のオンリーに出ようか迷ってるんだけど…」
「で。メグミとチカは、どこまでいってんの?」
「おい、フィオナ。おまえな…」
「だって、こんなセリフ、お約束じゃないか。今言わないでいつ言うんだよ」
「言わなくていいんだよ、そんなのは」
フィオナさんがメグミに笑ってる。ああ、ちょっと。ちょっとだけ意地を張ろうかな…。
「ご想像にお任せします」
「おい、チカもたいがいにしろよ」
「チカお姉様、いい体してんなー。どういう体位で、ひーひーいっちゃう感じ?」
「フィオナ、もうやめろ」
「ひーひーは言わないけど、んっ…あ…とか言います」
おお…。なぜか感心されてどよめかれる。
「そういうどっかのエロ同人みたいなやりとりはマジでやめろ」
メグミが焦ったように言う。今度は私とフィオナさんが笑いあう。近くにいた執事さんたちは少し…いや、かなりひいてる。
ふざけては笑い合うメグミ達。紅茶をすすりながら思う。メグミは意外と怒らないな。生活や友達の輪に他人がいると怒るものだと思ってた。とくにメグミのようなタイプは。あれだけたくさん地雷を踏みぬいたはずなのに。いい奴だな、メグミは。
でも…。
私には怒ってもいいのにな。
メグミが私にはわからない言葉を連発しているなか、友永さんが口を挟む。
「メグミはガチオタだけど、お姉さんは一般人なんやから、もう少し手加減してあげへんとー」
「え? そうなの?」
「何やねんー、その初めて感情を知ったヒロインみたいな顔はー」
「そんな顔してる?」
「ごめんなー、お姉さん。メグミはほんとに根っからのオタやから。でも、すごくいい奴なんよー」
「はい、知ってます」
私は知っている。メグミのことを。この人たちよりも。誰よりも。
そんなことで安堵してしまう自分がいる。
それが何より嫌になる。
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次話(第3話)は買い物をしているだけと言い張るふたりがご近所デートします。そこにフィオナやあの人も現れて…。
お楽しみに!
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