第4話 芝原チカ「恋も仕事も修羅場でした。てへぺろっ」



 修羅場ってなんだろう。うっかり浮気現場に遭遇したりとか、誰かを取り合ったりとか? 恋愛での修羅場なんてそんなものかな。でも、今の私は心が修羅場だ。メグミにすがりついて泣いてしまったことに、気恥ずかしさとあのときのあたたかさが、私の中で暴力を振るっている。


 いまメグミは別の修羅場を迎えていた。居間の横にある小さな机の前に座り込み、モニターと液タブを交互に見ている。たまに床に落ちている同人誌や本をぺらぺらとめくり、うーんと考え込んでいる。

 そんなメグミに私はコーヒーを運ぶ。白いマグカップから湯気と香りがふわふわとただよう。メグミの見えるところにマグカップをほいと差し出すと、気がついたように手を伸ばしてそれを受け取る。メグミは耳元のインカムに手を添えながら、私を見ずに黙ってうなずく。画面の向こうには、ここと似たような風景を後ろに、着飾らない女性が申し訳なさそうに口をパクパクとさせていた。


 「姉ちゃんさあ。もうちょっと仕事受けるの調整しろよ。断ったら次がないって、不安になるのもわかるけどさー。なんで、こーなんだよ。わかった。16ページね。データこれ? ああ。真っ白なままよりはいいけどさ。ほとんどネームのままじゃん」


 メグミがコーヒーをひと口すする。気がついたように「おいしい」とつぶやく。嬉しいな。メグミがいつも飲んでいるインスタントコーヒーより、少し手間暇かけてドリップコーヒーにしてあげた。豆も焙煎からしている店で買ってきたものだ。私のお気に入り。


 「は? いつか姉ちゃん、みんな私に押し付けて失踪するよね。はいはい、彼氏さんとお幸せに。いつもの背景な感じ? 資料ある? げ、そっからか……。まあ、なんとかするよ。ストックあるし」


 椅子に乗ったまま本に手を伸ばそうとするメグミ。あ、椅子が倒れちゃう。私が代わりに本を手に取り、そのままメグミに手渡す。


 「で? ちらちらしている女の人? あれ、話してなかったっけ? 友達。だーかーらー。同棲じゃなくてルームシェア。つーか、仕事しろよ。もう、頼むからさ。はいはい。じゃ、あとでね。やっとくから。はい」


 会話が終わってインカムをうざそうに取るメグミ。私、メグミがキレるの初めて見た。んー。でも、キレてるのかな、あれは。猫の姉妹同士がじゃれあってるようにも見えた。


 「しゅらばんばー、ばんばー、じしゅーうー♪」


 メグミが適当に歌う。シュッシュッというペンタブのペンを走らせる音が静かな部屋に伝わっていく。


 「メグミ、夕飯は私が用意しとくね。仕事で遅くに食べることになっても、温めるだけで済むようにしとくから」

 「ありがとう。助かるよ」


 私を見ずに心のこもっていない言葉をメグミから投げられる。「私を見てほしい」という気持ちが瞬時に沸き上がり、抱きしめたくなる衝動に駆られる。髪の毛ひとつでもいいから触れたい。でも、それは邪魔なことだろう。彼女の仕事にとっても。彼女の心にとっても。そんなあきらめを無視して、あのときの感触が体にくすぶりだす。私はこらえきれず手だけをメグミに伸ばした。私を見ないメグミに。


 こんなに近いのに、こんなに離れているのは、どうしてかな……。




 コタツに入ってスマホで適当なマンガを読みながら、チラチラとメグミの姿を見る。茶色いブランケットを肩から羽織り、背中を丸めながらひたすらペンを走らせている。寡黙な仕事人、という感じかな。たまに歌ってるけど。あまり誰にも見せたことがない、私だけの風景。ああ、自分、またちょっと気持ち悪いな。そんなふうに思うことに。

 ちらっとスマホの時計を見る。もう日が暮れてくれてくる時間だ。


 「そろそろ夕飯の支度をするかな…」


 なんとなくそうひとりでつぶやく。メグミは振り返りもせず黙々と作業していた。

 メグミは集中するときはほんとに集中している。ゾーンだっけか。そんな話をされた。こんなときは、メグミに余計なことをさせないほうがいい。かなりのぼんくらさんになっているからだ。電気ケトルをコンロにおいて火をつけようとしているのを見て、あわてて止めに入ったことがある。そのままにしてたら危うくバーニングファイアー!ってなるところだった。それからはメグミが立ち上がったときに用事を聞くようにして、私が代わりにやれることはやるようにしている。


 こうやって生きてたらご飯が適当になるのは、まあ、わかるな……。


 私は心配したけれど、本人がしたいことを止めるほどの勇気もおせっかい心もなかった。私にできることはメグミを支えることなのだと思う。


 少しでも体に優しいものをメグミに食べさなきゃね……。


 私はこたつからよいしょっと出る。台所に向かうと、シンクの下にある引き出しから切り揃えられた昆布を取り出す。食器棚の下から土鍋を引っ張り出すと、軽く洗って水を張る。コンロに置き、昆布と少しだけの日本酒をそこへ入れる。火はかけず、そのままにしとく。

 冷蔵庫から白菜と白ネギを取り出して、さくさくと一口で食べれる大きさに切っていく。包丁の音と感触が心地よい。

 今日の主役は豆腐だ。少し離れたところに今時めずらしい街中の豆腐屋さんがあり、わざわざそこで買ってきた。スーパーの豆腐はお手軽でいいのだけど、ここのは大豆のうまさが凝縮していて味が違うのがはっきりわかる。どうせならメグミにおいしいものを食べさせてあげたいし……。

 タラも通りがかった魚屋さんで見つけたのでつい買ってしまった。切り身ではなくて、小さいのを丸ごとブツ切りにしたようなもの。骨を外しながら食べるのは面倒なのだけど、味が出る気がして、こっちのほうが好きだった。私が好きなものはだいたいメグミも好きだろう。いままでそうだったように。

 だいたい下ごしらえが済んだところで、ふと台所からメグミのほうを眺める。夕焼けの陽に照らされて、みんなオレンジ色に暖かく染まっている。昔からそこにある古いテーブルには、2人で買ったランチョンマット。こたつには座布団が2枚。メグミがよく座るほうの座布団には、私がプレゼントしたシロクマのぬいぐるみがメグミの代わりにちょこんと座っている。

 少しずつ、「私」が増えている。私がいなかったこの部屋に。それが嬉しかった。




 ぐつぐつと鍋が音を奏でてるとき、メグミが伸びをしながら立ち上がって台所にやってきた。私に声をかける。


 「いい匂いするね。今日は鍋?」

 「うん。あっさりとしたのにするから」

 「ありがとう。愛を感じるよ」

 「はいはい。何かある?」

 「大丈夫。下書きできたからちょっと休憩」

 「あったかいお茶とかいる?」

 「自分でやるよ」

 「……待って。いま考えてること教えて」

 「暗黒を力を持った王子が剣を構えて『すべてを犠牲にして、やっとお前の前に立つことができた』と魔王(オス)へセリフを吐いていて、それは見開きで見せて次ページは魔王が顔を赤らめてる感じで……。いやヒトコマだけクッションを置いたほうがやっぱりいいかな……」

 「だめじゃん!」

 「そうなの?」

 「私やるからコタツ入ってて」

 「わかったよ」


 ピンポーン。


 あれ、宅配便屋さんかな。コンロの火を止めて「はあーい」と言いながら玄関の扉を開ける。それから私は凍りついた。


 「なんで……。ミヤコ……」


 自分を抱えて震えている薄着のミヤコがそこにいた。私を一瞥してすぐに目をそらす。

 しまったという思いが瞬時にかけめぐるが、もう遅い。


 「ごめんね。オートロックに締め出されちゃってさ…。家の鍵もスマホとかもみんな車に置いてきちゃってて……。メグミの家が一番近くてさ。部屋あがっていい? 寒いし」


 何をしたらいいのかわからなかった。私が動けないでいると、ミヤコは小声で吐き捨てるように言った。


 「あれだけの啖呵を切って、結局こういうことなのね」

 「それは! 違うから…」


 メグミが私の後ろからひょいと身を乗り出す。


 「まあ、あがんなよ」

 「よかった。寒くてさー」


 私たちを見ないようにすり抜けて、ミヤコはとっととパンプスを脱ぎ上がっていく。ちらっと台所を見てつぶやく。


 「おお、鍋かー。いいね。食べようよ。温まりたいし。食べていい、チカ?」


 そう言われて私はメグミのほうを振り向く。メグミは私を見ずに答える。


 「いいよ。足りるかな。何か具を足そうか。チカ、やってもらえる?」

 「うん……」

 「悪い。私、仕事してるから」

 「わかった」

 「ごめんね」

 「いいよ」


 明日の味噌汁用にと思って残していた豆腐を切って鍋に追加する。チラリとみるとミヤコはコタツの中にとっとと入ってた。シロクマのぬいぐるみは座布団からコタツ布団の端へと追いやられ、その座布団にはミヤコが座っていた。

 軽く鍋が温まったの見届けて、火を止める。コタツに鍋敷きとポン酢を入れた受け皿を置く。ミヤコがチラリと私を見るが黙っている。

 鍋つかみで土鍋をつかみ「持ってくよー」と声をかける。コタツの上に静かに鍋を置く。蓋を開けたらまだぐつぐつと煮立っていた。ミヤコがちょっと目を輝かせて言う。


 「おいしそうだね」

 「ミヤコの家のほうがおいしいと思うけど……」

 「そんなことないよ。きっとおいしい」


 私は困惑しながら、助けてほしい気持ちを込めてメグミにたずねる。


 「メグミは食べられる?」

 「ん、あとで……」


 画面を見ながらペンを動かしている。仕方ないか……。私はあきらめて、ミヤコの取り皿を持ち、鍋の具を取り分けてあげる。それを渡そうとしたら、少しだけミヤコの手に触れた。ミヤコはそれが当然のように微笑んでいる。箸を持ち上げミヤコが言う。


 「悪いね。それじゃ、いただきます。あ、あっあふ…。いいね。味がしっかりしてる。あれ。豆腐は前に店を教えたとこかな。ポン酢も私が薦めていた柚子のだよね。生姜とかつお節を薬味にするの覚えててくれたんだ。湯豆腐にはいいのよね。これ」


 ミヤコはメグミに聞かれるには嫌なことを次々と言う。聞いてしまえば、きっとメグミは何か言ってしまうだろう。「まだ仲良いんだね」とか、「ミヤコにもう一度告白したら?」とか、そんなことを寂しそうに……。


 「この七味も浅草のとこかな。香りが違うし。ちょっと前だけど、一緒に買いに行ったよね。ほら、舟和のカフェで一休みしたじゃない」

 「うん……」


 怒りとも焦りともよくわからない感情が私の中に渦巻く。

 泣くほど嫌われたくないのに、叫びたいほど怒りたい。

 私が食べないのを見て、ミヤコが箸を置く。私へとニコニコと笑いかける。


 「少し温まったよ。ありがとう。それでさ、チカはアキトに連絡とれる? 迎えに来てほしくてさ」

 「私が知るわけないよ。それに……」

 「そうだよね。付き合うなって言ったの、私だし。もう昔のことだけど。あれってチカがアキトに嫉妬してたからなんだね。あのときはわからなかったな。チカが私のことをそういう目で……」


 メグミが声を出す。


 「ハルカの連絡先なら知ってるよ」

 「そっか。じゃあアキトに迎えに来るようにハルカに言ってくれる?」

 「ああ、いいけど…」


 ピンポーン。


 メグミが椅子から立ち上がる。玄関の扉を開けに行く。扉を開ける音と話し声が聞こえる。


 「……あれ、ハルカ?」

 「やほやほ、メグミ。あけましておめでとうかな?」

 「遅いよ。いや早いな」


 ハルカが気にせず我が家のように居間へ入ってくる。

 フードがついたダッフルコート。それを脱げば少し胸元が空いているゆるい黒セーターにタータンチェックのロングスカート。ハルカは男の子ではあるけれど、もう女の子にしか見えない。目を細めて笑うその姿は、女以上の何か、魔女とか人ではない者のように感じさせた。高校のときには初々しさが多少あったけれど、いまは禍々しさすらただよっている。


 「あれ。うちの不良物件がいる」

 「ハルカ……。アキトは?」

 「なんのこと? あ、鍋だ。食べて良い? メグミ?」

 「いいよ。私も食べるから」


 メグミが台所に行って、受け皿とポン酢、ついでに薬味の追加を持ってきた。

 私の近くに座るメグミに小さな声でたずねる。


 「……描ける? どっか行ってようか?」

 「それはそれで落ち着かないから……」

 「メグミー、おなか空いたよ」

 「はいはい」


 メグミが鍋の具をハルカによそってあげる。そのあとで自分のぶんをよそう。お玉から豆腐が逃げ出しぽちゃりと落ちる。それをもう一度すくうが、また落ちてしまう。メグミはあきらめて魚と野菜だけを取った。


 「「いただきまーす」」


 みんな無言で食べ始める。箸を動かす音だけが響く。

 ……。

 ……。

 ……。

 なんだ、この構図は……。

 フラれた人、フった人、愛し合っている人、愛し合えない人、複雑な4人がコタツに入って鍋を囲んでいる。きっとマンガなら、背景には「ゴゴゴゴゴ」という書き文字が並んでいるに違いない。

 ハルカはそういうのをみんな無視して、屈託のない笑顔で私たちに話す。


 「あったかいな……。寒い日にはいいね。でもさ、味付けは我が家と変わらない感じ……かな」

 「チカに教えたの私だから」

 「そっか。妬けちゃうかな、メグミ。芝原さんの好きな人の味なんだって」

 「知らんよ。うまいものはうまい。それでいいよ」

 「メグミは、もう。怒ってるなら素直に言いなよ。いつも静かに怒ってるよね」

 「怒ってるように見えるか?」

 「うん、すごく」

 「そうか」

 「だって私、好きな人の感情はすぐわかるよ?」


 ゆっくりと微笑むハルカ。圧倒的なラスボス感。これが恋愛強者……。私たちが負けた相手……。


 「……そういや、やけに早かったな」

 「お姉さんが連絡くれてね。女の人連れ込んでるけど大丈夫か見てきてほしいって」

 「言い方。なんで姉ちゃんと連絡を……」

 「だいぶ前から連絡とってるよ? だって私、メグミの公認恋人だったし。お姉さん、私達が一緒になると思ってたよね」

 「それはそうだったけど……」

 「よくあの部屋で女物の服に着替えさせてもらったね。まだ私はちゃんと覚えてるよ。メグミは?」

 「そういうことを聞くな」

 「そっか。そうだね」


 ハルカと目が合う。それから目を細めて意味ありげに笑われる。

 な……。どういうこと……。


 「で、ミヤコを連れて帰ればいいのかな?」

 「ハルカ、お前も帰れ」

 「はいはい、言われなくても。でも来週の取材は来てほしいんでしょ?」

 「……ああ」

 「ぷふ。メグミはかわいいな。いつも矛盾してる」


 少し青い顔をしてミヤコが言う。


 「……あんまりいじめないほうがいいんじゃない?」

 「ええ、うそ。ミヤコがそれ言う?」

 「私は……」

 「いい加減、芝原さんの手を放してあげなよ。親友なんでしょ。嫉妬してないでさ」


 ハルカは立ち上がって、ミヤコを立たせようとすっと手を差し伸べる。ミヤコはそれを見て、すぐに下にうつむく。


 「そんな単純なものじゃないよ」

 「そんな複雑なものでもないと思うけどな」


 ハルカが座っているミヤコの後ろに座り、ミヤコにゆっくりと探るように手をまわして抱きしめる。耳元でくすぐるようにハルカが甘い声を出す。


 「だって、いまは私のほうがいいんでしょ?」


 こいつ……。瞬時に毛が逆立つ。


 「ハ……」


 ピンポーン。


 「次は誰だよ」


 メグミがイライラと立ち上がって玄関の扉を開ける。


 「お久しぶりです。春川さん。こちらにうちのが来てると……」

 「南里アキト……」

 「ほんと、すみません。上がらしてもらいます」

 「いいけど……」


 ミヤコとハルカの旦那が居間へやってきた。みんながじっと見る。


 「あれ、春川さん、これって同窓会か何かですか?」

 「そう見えるのか?」

 「え、違うの? あれ僕、なんか殺されそうなんですけど」


 ハルカがたまらず笑い出す。


 「ぷふふ。アキトもみんなの憎まれ役をやるの、もうやめなよ」

 「それはそうだけどさ。それはああしてしまった僕の贖罪だから」

 「贖罪ね。それでは罪深い私たちはここから逃げるとしましょう。ほら。ミヤコ。わかるでしょ?」

 「うん……」

 「ちゃんと、忘れさせてあげるから」


 立ち上がったミヤコをハルカがだいじそうに抱きしめる。それはそれは、とてもだいじそうに。そこには慈しみとか愛情とか欲情とか、そうしたものが全部まとめて込められているように見えた。


 私たちは、自分が恋してた相手同士が、抱きしめあっているのをいま目の前で見せられている。

 どうしようもない現実。

 どうにもならない現実。

 決してもう手が届かないことをわからせられる。

 他人なら「ひゅー、お幸せにー」とでも言うべきものだろう。でも、私たちには……。


 ハルカが体を離し、うなだれているミヤコの手を引く。


 「それじゃ、あとは私が何とかしとくよ。また来週ね、メグミ」

 「ああ……。寒いから気をつけて帰れよ」

 「そっちもね。すごく寒そうだよ」


 手を振り帰ってく3人を私たちは玄関先で見送る。

 居間に戻ると、メグミが下を向いて立ちすくんでいた。動かない。心配して声をかける。


 「メグミ……」


 メグミが手をぎゅっと握る。自分を握りつぶすように強く。とても強く。


 「はぁぁぁぁぁァァァァァァ。クソが……」


 大きなため息と小さなつぶやきをもらすと、すごい勢いでスマホをしゅぱしゅぱといじる。しばらくしたら電話をかけたらしく、スマホを耳元に当てた。


 「あ、姉ちゃん。ごめん、仕事できなくなった。理由? 腹痛。そういうことにしといて。さっきフィオナにDMしたら姉ちゃんのアシやりたいって言ってたから。うん。コキ使ってあげて。だいぶうまくなってるし。下書きはあげといたし背景資料も用意したから。うん。うん。それでさ」


 声のトーンが低く変わる。


 「なんでハルカに連絡したの?」


 私はメグミを見つめる。


 「そうだけどさ。そういうのじゃないから。心配してくれるのはうれしいけどさ。うん。わかるよ。でもね」


 一瞬の間。


 「だから言ってんだろッッッ!!!!!」


 メグミが大声を出す。それは部屋に響き渡り、私を動揺させる。


 「ごめん。うん。フィオナの連絡先はわかるでしょ? うん。うん。お願い。今日はもう寝たい。うん。わかった。それじゃ」


 スマホをそのまま床へ落とす。


 「ごめんチカ。片づけお願いできる? 流しに置いといてくれたら朝洗っておくから」

 「でも……」

 「ごめん、ちょっと手一杯。横になりたい」


 メグミが私をただ通り過ぎていく。何をしてもメグミのためにならなかった無力感と、ミヤコやハルカへの怒りや焦燥感。私をみんな置いていく。そんな寂しさが心からあふれる。

 私はすがるように言葉をつむぐ。それは卑怯な言葉だとわかっていた。決してメグミが肯定しないとわかっていて、その言葉を口から出す。


 「……私、ここにいないほうがいいかな?」


 そして、そんな私の淡い望みは砕かれる。


 「チカがそう思うならそうしなよ。……私の気持ちも知らないくせに」


 そうしたのはとっさに体が動いたから。ここで手を離したら、もう終わってしまうと感じたから。


 「やだ」


 力いっぱい抱きしめる。

 強く強く気持ちを伝えるように。

 今まで我慢していたぶんも、みんな、みんな……。

 メグミは嫌がらなかった。体と体がお互いの熱を感じる。息遣いがすぐそばで聞こえる。心臓の音まで聞こえるように思った。

 行き場のない感情で震えていたメグミの体が、少しずつ緩んでいくのがわかる。

 ミヤコたちがそうしたから? このままでいたかったから? メグミをかわいそうに思ったから? それとも……。メグミの体温を感じながら、いろいろな考えが巡っていく。

 でも。

 あったかいな……。

 それだけでいまの私にはじゅうぶんだった。そっと目を閉じ、ただ、そう想っていた。


 恋も仕事も修羅場でした。てへぺろっ。

 マンガならそんなコマでキャラがおどけていれば済むのだろう。次のページをめくれば、そんなことがなかったかのように日常へと話は戻っていく。

 現実はそんな生ぬるいものではなかった。私たちは引きずり、そして続いてく。




--------

次話はお姉さんの友達、メグミのサークル仲間、ぽやぽやとしたお姉さんこと友永さんが春川家へやってきます。資料探しというのを口実に、なにやら…。


お楽しみに!



推奨BGM: ねごと「Ribbon」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る