第3話 春川メグミ「強い大人になりたい」



 成人の日。大人になれたことを祝う日。大人というのは堕落した子供のことだと、誰かが言っていた。いままさにチカを見ながらそのことを思い出していた。チカは昼間からもこもことした寝巻のまま、こたつにぬくぬくと入っている。天板に突っ伏し、テレビで流れているお昼のニュースをぼーっと見ていた。一緒に暮らすようになって2週間が過ぎたが、最近はすっかり無防備になってて、あからさまに適当になっている。まあ、私もそうだけど。

 のどが渇いて何か飲みたくなった私は、離れがたいこたつから脱出して、ついでにチカへ声をかける。


 「なんか飲み物いる?」

 「お茶。あったかい日本茶がいい」


 振り返りもせずそう言うチカ。はいはい。ずいぶんふてぶてしい同居人になったな。ついでにおせんべいもつけてやろう。

 台所でお茶を入れ、湯飲みを渡してやると「ありがとう」と言いながら、チカが私に話してきた。


 「メグミって成人式どうした?」

 「うん? なんで?」

 「ほら、いまニュースで晴れ着が映りまくりで」

 「私はスノボに行ってた」

 「は?」

 「そういうの興味なくてさ。お金もかかるし。同じお金ならサークル仲間と雪が見たくて」

 「そっか…。メグミの晴れ着姿、見たかったな」

 「そんなん大したことないよ。チカは行ったの?」

 「商店街なめんな。同じ並びにある呉服屋に赤ちゃんの頃から目をつけられているんだぞ…」

 「それはきついな」

 「朝起きたらさー。ピンポン鳴らされて呉服屋のおばちゃんが荷物抱えてドカドカって入ってきてさ。まーお似合いねーお母さまも鼻が高いでしょーとか言いながら、着替えさせられて。なんだなんだ?と寝ぼけていたら車に突っ込まれて、気がついたらもう会場だよ…」

 「それは…。ちょっとしたホラーだね」

 「あ、そうだ」

 「なに?」

 「今日は大人の成人式をしよう」

 「…言葉が矛盾しているぞ」

 「ちょっといい目の格好をしてさ。二人でどっか行こうよ」

 「まあ、いいけど…」


 嬉しそうにこたつから抜け出したチカに、私は置いていかれる。




 着替え終えたチカが明るめの白いコートをくるりとひるがえす。


 「まあ、だいたい首元にファーをつければ、それっぽいっしょ」

 「お。いいね。いいとこのお嬢様っぽい」

 「いいとこって。で、メグミは?」

 「ロンスカを和柄のにしてみた」

 「おお。成人式ぽい…、っていうか中二ぽい」

 「ほっとけ。どうせ黒いコートで隠れるし」

 「見えないおしゃれは確かに大人っぽいね」


 ふたりでちょっと笑う。ふたりで同じ気持ちで笑いあう。




 深く蒼い晴れ空の下、外はツンと寒くてメガネがすぐに曇る。コートの袖で適当に拭きながら、ぼんやりとした景色のなかに前を歩くチカを見ていた。凍えた街の中をふたりでいっしょに歩く。それだけでなんだか心がはねていく。

 チカが道の植え込みを見ながら言う。


 「まだ雪が残ってるね」

 「寒いしな」

 「あ、ここ凍ってる」

 「滑るなよ」

 「大丈夫だって。うわっと!」

 「ほらー」

 「ごめんて」


 笑いながら謝るチカ。危ないな、その笑顔も。

 私はあえて行き先を聞かず、きまぐれな猫のようなチカの後ろに着いていった。きっとそのほうがおもしろいと思ったから。


 「まずは、ここです!」

 「ああ、ここね」


 いわゆる雑貨屋さんだけど、結構面白いものがあるところだった。手作りのよくわからない生き物のぬいぐるみとか、「スナック来夢来人」と書かれた昭和チックな看板のキーホルダーとか。とりとめもない小物がたくさん置いてある場所だった。わりと女子の人気が高く、それなりに店内は混んでいた。

 チカがあてもなく店の中を歩く。ときおり足を止めては商品を見つめてる。そうかと思えばすぐに別のところへ行く。そんなことを続けていたら、ピアスを並べてる棚の前で足を止めた。


 「羽子板だよ、これ。あ、こっちは鏡餅だ。ちょっとかわいくない?」

 「まあ、わかる」

 「ほら。似合う?」

 「わかんないよ。でもまあ、かわいいんじゃない?」

 「やった。じゃ、お揃いにしようよ」

 「一緒のにするか?」

 「同じのないんだよね…。あ、これは?」

 「こたつの上で溶けてる猫か。さっきまでふたりでこうしてたな」

 「私、白猫にするから。メグミは黒猫でいい?」

 「いいよ」

 「じゃ買ってくる。ぷふ、なんだかちょっと嬉しいな」


 チカがレジに並ぶ姿を見ながら、私はぼんやり思う。思ってはいけないことを。


 「どうした? 買ってきたよ」

 「ああ、なんでもないよ。つけてみる?」

 「あ、お願い」


 冷たいチカの耳元を触る。やわらかくてマシュマロのように感じる。キャッチを外してピアスを耳元に通す。少しチカがピクっとする。私はそれにかまわず耳から出ているピアスの先にキャッチをつけ、それが落ちないようにした。もう少し耳に触っていたい衝動を抑えながら、ゆっくりと手を離す。


 「メグミ、触り方がやらしい」

 「おい。そんなこと言うなよ」

 「じゃ、私がやってあげる」

 「ん…」


 チカの手が触れる。私は何をしているんだろう。それだけで喜ぶなんだなんて。触れ合いたい衝動をまた感じて、私は自分のことを嫌いになる。


 「はい、できた」

 「ありがとう」

 「ん、かわいいぞ」

 「ありがとう。チカも」

 「そっか。ほら、お揃いだよ」


 すごく楽しそうにしているチカ。それはよかったと心から想い、うらはらに陰る気持ちへ蓋をした。




 「次はここです!」

 「お。ぬい屋さんか」


 ぬいぐるみがたくさん並んだ店。シュタイフという熊のぬいぐるみを中心においている専門店で、私の心がやさぐれるとここに来る。チカはそれを知っていた。私は手慣れた感じで、新作がないか店先をめぐる。チカもうろうろと眺めている。ふと足を止める。あれ、これって…。


 「シロクマ…」

 「メグミって、シロクマ好きなの?」

 「シロクマさんだぞ。かわいすぎんだろ。このとぼけた顔といい、でっかいあんよといい」

 「あんよ、ね…」

 「いや…、ほら…」

 「たまにメグミは私をキュン死させに来るよね」

 「どういうこと?」

 「意外とかわいいもの好きじゃん」

 「意外とってなんだよ」

 「そんなにかっこいいくせに」

 「しらんよ」

 「これ買ってあげようか?」

 「え、いいの?」

 「お姉さん、大人だから」

 「同い年のくせに」


 シロクマを持ってぷふと笑うチカ。笑うと可愛いな…。ほんとに…。ずっと笑っていて欲しいな…。どうしたらいいんだろうな…。

 チカがレジで会計をしているときにプレゼント用に!とか言い出す。青いリボンがかけられていくそれを見ながら私は思う。同じことをして、同じもので感情が動かされる。ふたりで喜んではまた悲しむ。そして少しでも離れていたら寂しい気持ちに襲われる。いまみたいに。これが恋の本質なんだろう。何度も恋に関する物語を描いてる私には、それはわかっていたことだった。


 「親友のままでいられるのには、どうしたらいいんだろうな…」


 ふっと離れているチカに手を伸ばす。そこには触れられないのに。


 「はい、これ」

 「あ…。ありがとう。毎日これを抱いて寝るよ」

 「あはは。たまには私も抱いてよ」

 「そんなこと言うなよ」


 本当にそんなことを言うなよ。




 それから輸入食料品店、古着屋、花屋…をぐるっと巡っては、かわいい包装の外国のクッキー、つぎはぎだらけの帽子、赤い花の小さな花束…と、とりとめもなくいろいろなものをたくさん買った。結構な荷物を抱えながら、私はチカにたずねる。


 「これのどこが大人の成人式だよ」

 「ほら、大人買いしたじゃん」

 「あ、そういうこと…」

 「衝動買いは大人の特権だから」

 「そうかな…」

 「高校のときは、こういうのできなかったし」

 「まあ、そうだな」

 「よし、お酒も飲んでしまおう。だって大人なんだし」

 「いいけど…」


 チカが私の手をつかんで引く。少し冷たいその手が私の心にも触れる。日に日に強くなっていく衝動を前にして、私はただ冬のような寂しさでそれを眺めていた。




 「…喫茶店?」

 「メグミさんや。ここにはおいしいお酒があるんですよ。それがまたおいしくて、温まるんですよ」

 「それは楽しみですな、チカさんや」


 ふたりでよくわからないジジババごっこをしながら、ログハウスふうの店先を眺める。軒先にはかすかに雪が残ってて、外国の北国に来たような気分に浸れた。なんだろうな、ここは。本当にお酒が飲めるのだろうか。

 そのとき「あ」という声がして振り返る。


 「あ」

 「あれ、フィオナさん!」

 「ども」


 ちびっこなフィオナが帽子のツバをつまんで小さくお辞儀する。


 「フィオナもこの店に来たの?」

 「そう。ここは私の行きつけ」

 「そうだったのか…」

 「二人はデート?」

 「違うって。お酒が飲みたいってチカが…」

 「Glögi」

 「そう、グロッギ! おいしいよね」

 「チカ、なにそれ?」

 「まあ、入ればわかるよ」


 北欧風のたっぷりの無垢な木で彩られた店内。その席に私とチカが並んで座っていた。向かいに座ったフィオナが帽子を取ると細い金色の髪が揺れる。フィオナはやってきたお店の人にフィンランド語でオーダーしてくれた。


 「で、どこで乳繰り合ってた」

 「フィオナ…。最初に会ったときより、どんどん口が悪くなってるぞ」

 「それはそう」

 「悪かったよ。教育上よくないものをたくさん描かせて」


 フィオナが楽しそうにニンマリと笑う。なんだよ、こいつは…。ほどなくして運ばれてきたカップには湯気が立っていた。


 「ホットワイン?」

 「違う。Glögi」

 「まあ、飲んでみなよ」


 温かい赤ワインにシナモン…だけじゃない。オレンジの香り、もっと甘いくすぐられるような香り。コクがある果物の甘さ…。おいしい。すごくおいしい。それに何より…。


 「温まるな、これ…」

 「寒い冬の日にはいいでしょ」

 「ああ、いいね」

 「ここのはリンゴジュース加えてて、本場の味」

 「そうなんだ」

 「このレーズンとアーモンドも入れる。食べながら飲んでも美味」

 「へえ。いいね」


 フィオナはにこにことしていた。なんだろう、私が外国人に日本酒を褒められたような気分なんだろうか。まあ、確かにこれはおいしい。家でも作れるかな…。チカが喜びそうだ。

 少し顔を赤くしたフィオナが、機嫌が良くなったのか、小声で歌い出した。


 「Tämä henkilö on tyttöystäväni.

  Rakastuin ensisilmäyksellä, kun tapasin hänet.

  Rakastan sitä niin paljon.

  Rakastan hänen maalauksiaan ja häntä.

  Siitä huolimatta olen aina tämän henkilön kanssa.

  Haluan hänen olevan vierelläni, mutta miksi tämä henkilö on vieressäni?」


 フィオナは目をつむって、満足そうにうっとりとしていた。なんとも幸せそうに見えた。


 「Älä sano sitä japaniksi.」


 通りすがる人にそう言われてフィオナがびっくりして振り向く。焦ったようにフィオナが言う。


 「言えるか」

 「あ」

 「あ。ミヤコ?」

 「あ。チカとメグミ?」


 困った顔をたくさんしているミヤコが私達の席に座る。横にずれたフィオナは少しむくれていた。


 「なんで2人でいるの? そういう会合か何か?」

 「なんでって…」


 チカのほうを思わず見てしまう。ぶんぶんとチカが首を横に振る。

 なん…だと…。

 私たちが一緒に暮らしていることをミヤコに教えていないのか…。

 私は適当に話をでっちあげる。


 「いや、さっきばったりあって。あれからチカと親友なんだよ。負け組同士だし」


 寂しそうな顔をふっとするチカ。ニヤリとするフィオナ。わけがわからない表情のミヤコ。

 ふとミヤコの視線を耳元に感じる。チカのほうと見比べている。

 …うーん。

 私もよくわからなくなって、ミヤコにどうでもいい話題をふった。


 「ミヤコ、フィンランド語できるの?」

 「大学の第二外国語をフィンランド語にしてて。ここはうちの実家が賃貸してる店舗なんだけど、そこにフィンランドの人がいるのを見かけて、それからちょっと教わっていて…」

 「そうなんだ。たまにフィオナと話してあげてよ。外国にいて母国語がわかる人がいるのって貴重だと思うし」


 ミヤコとフィオナがお互いの顔を見合わせる。


 「「うーん」」


 ふたりで困っている。

 フィオナが思い出したように立ち上がった。


 「メグミ、そろそろ帰る」

 「あ、またな」

 「Älä sano sitä. Jos teet niin, tapan sinut.」


 それだけ言い残すと、フィオナは金色の髪をなびかせながら出ていった。


 「ミヤコ、フィオナはなんて言ってた?」

 「お幸せに、かな…」

 「また、あいつは」

 「勘違いされるよね」

 「勘違い?」

 「だってチカはそういう人だし」


 いや私は気にしてないぞ。どっちかというと戦友といったところ…。

 それぐらいのやさしい嘘を言おうとしたら、それより早くチカがミヤコに鋭い声を出した。


 「そういう人? なにそれ。なんでそういうことを言うの?」

 「だって前に私に好きって告白してて…」

 「そうだけど、メグミとはただの友達だし、そういう目で見てほしくない。メグミが困るじゃない」


 チカが私のために怒っている。恋焦がれていたその人に怒っている。

 私が口を開こうとしたら、テーブルの下でチカが私の手を握った。その手は震えていた。


 「ミヤコ、お願いだから謝って」

 「私は…。あの子の言う通りふたりが恋人ぽく見えて…」

 「それでもさ。なんでそう言うのよ。私だって…」

 「私は心配して…」

 「メグミはそういうのじゃないから。わかってるでしょ? ハルカから聞いてるくせに」

 「それは…」

 「ミヤコはどうしてわからないの…」


 チカが絶望の声を出す。震えて振り絞りだしたこの言葉は、きっと好きな人に届かないと想いながら。


 「そんなの、わかるわけないでしょ…」


 ミヤコがつらそうに言う。横にうつむきながら目をそらす。きっと見たらもう親友に戻れないと想いながら。


 どうにかしたいくせに。もうどうにもならないくせに…。

 私は立ち上がると、チカの腕を取った。


 「いこっか」

 「…うん」

 「悪いな、ミヤコ」

 「いや、いいよ。ちょっと考える」

 「てきとーにしときな、てきとーに」

 「それチカの高校生のときの真似?」

 「そうだよ」

 「似てないよ」


 ミヤコは寂しそうにそう言う。




 チカは家に帰ってくるなりコートを脱ぎ棄てて、そのままこたつに入った。それから思い詰めたように宙を眺めていた。

 私がコートを片していると、チカがぽつりとつぶやく。


 「私、ミヤコに嫌われたかな…」


 ただ何もせず、それだけを言う。

 私はチカの横に座る。


 「ただの友達の胸でよければ貸すぞ」


 されるがままにチカは私の胸に頭を預ける。目を閉じて、それから私にしがみつく。


 「ごめん…。

  ごめんて…。

  ごめんなさい…」


 嗚咽を混ぜながら泣き出したチカの頭を、私はやさしくゆっくりとなでてやる。

 ハルカにもこうやって泣かれたな。私が好きな人はどうしてこうも泣くんだろうか…。


 ずっとミヤコのことを想ってたチカの心。どうにもならないその想い。どうにかしてはいけないその想い。それをあの日からリボンできつく縛っていたのに。うっかりほどいて放してしまったら、もう元のようには結べない。


 私も何度も泣いたよな…。泣きすがるチカを見て、少し想いがあふれてきた自分の瞳をぎゅっとつむって、私はただ願う。わからないくせにただ願う。

 こんなことで泣かない強い大人になりたい、と。




--------

次話は姉の仕事の手伝いで修羅場を迎える春川家。チカがかいがいしくメグミの世話を焼く中、ピンポンという音が響き…。


お楽しみに!



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