第8話 芝原チカ「これは告白じゃなくて相談なんだ」



 こととん、こととん、列車は行くよ。

 こととん、こととん、白い雪原の上を。

 こととん、こととん、色づいた私たちを乗せて。




 少し固めの客車の椅子。ところどころ塗装が剥げている古い木枠の窓。ラグビーボールを切り落としたような鉄のストーブ。ニスの少し懐かしい匂いと石炭の香ばしい匂いが混ざり合っていた。

 私たちは津軽鉄道のストーブ列車というものに乗っている。

 車窓から見えるのは一面の雪の原。ときおり民家や黒く枝を伸ばした木々がその中を流れていく。その窓の端っこは霜が結晶を伸ばして凍りついていた。

 私は窓枠に頬杖をついて、それを眺めている。

 隣に座っているメグミは、私の肩に頭を乗せて、すっかり眠りこけている。


 あったかいな……。

 それはたぶんストーブのせいじゃなくて……。


 今朝は目覚めたときにメグミの寝顔がそばにあって、うっかり泣くほどうれしかった。

 この幸せはなんだろうな……。それをあきらめないとメグミとは一緒に居られないというのに。


 それでも……。


 手を試すようにわずかに動かす。メグミの無防備になっている手をやさしく握る。細い指をゆっくり絡める。メグミの体温が自分の中に流れていく。

 私はどうしようもない奴だなって自嘲気味にため息をつく。前は手を握るだけでも、あれだけ抵抗があったのに……。


 どうしよ。

 もう抑えられないや……。


 窓を流れる白くてどこまでも続く雪原を、私は険しい顔で眺めている。




 こととん、こととん、列車は行くよ。

 こととん、こととん、凍えた雪原の上を。

 こととん、こととん、淫らな私を乗せて。




 愛着障害。そんなとこなのだろう。おかしい自分のことをたくさん調べて得られた言葉。幼い頃、忙しい両親と触れ合えなかったぶん、それを埋め合わせるように人肌を欲しがった。高校のときは仲の良い後輩を抱きしめてるだけで済んでいた。高校2年生の夏休み、ミヤコに告白してふられてからは、それがより一層ひどくなったと感じてた。それでも堕ちた関係を他人と結ばなかったのは、メグミのおがけだった。メグミといっしょに騒いで、遊んで、笑い合ってたから、まだ自分を保てていた。


 メグミのほうを振り向く。安心して気持ちよさそうにしている顔を、こうしてまた見ることができた。隠すことをできなくなった強い衝動が、私の中で瞬時に吹き荒れる。


 寒いからだよね。きっと……。


 そっと唇を重ねる。メグミのやわらかい感触が唇に伝わる。


 あったかいな……。あったかい……。


 その先に進みたい。もっと……。

 それ以上求めたらダメ。壊れてしまう。


 自分で自分を必死に止める。


 きしむ心に震えながら唇を離す。視線を感じてふと見上げる。女の車掌さんが私を少し驚いた顔で見ていた。あ……。車掌さんは人差し指を自分の口に当てて、安心させるように微笑む。私は黙ってそのままうなづいた。

 車掌さんがゆっくり離れていくのを見ながら、自分の頭をメグミに寄せる。少しだけ目をつむった。車輪から奏でられる単調なリズムに身を任していく。


 なんかもう、どうなってもいいや……、もう……。




 こととん、こととん、列車は行くよ。

 こととん、こととん、逃げ場がない雪原の上を。

 こととん、こととん、行き先がわからない私たちを乗せて。






 「いやー、乗った乗った」

 「メグミは……。寝てばっかりだったじゃないの」

 「寒くて暖かいのって、なんか寝ちゃうんだよね」

 「わかるけどさ。めっちゃわかるけど」

 「ほらほら」

 「それでも私はちゃんと起きてましたから」

 「さすがはチカだ」

 「景色楽しかったよ。ずっと真っ白でさ。おっきな岩木山も見えたし」

 「それはよかった」


 古い寒そうなホームにぴょんと飛び降りるメグミ。その後ろを嘘つきな私がついていく。降りた客車を振り返ると、さっきの車掌さんが小さく手を振ってくれていた。私も同じように手を振って応える。軽くお礼をすると、ちょっと先で待っていてくれたメグミのほうに駆け寄る。ホームの端から続いている乗り換え用の薄暗い階段を、私たちは登っていく。


 「チカ、この後だけどさ。遅くなっちゃうけど、弘前に向かうでいい?」

 「うん、いいよ。今晩はビジホにでも泊まって明日帰ればいいし」

 「悪いね」

 「気にすんなって、我が相棒」

 「あはは。なにそのイケメン声。でも、これじゃ、てきとー旅過ぎないか?」

 「いいんじゃないの? 暇な大学生のふたり旅だし」

 「あれ、これって失恋旅行じゃなかったのかよ」

 「忘れたよ、もう」

 「あはは、ひどいな。まあ、私もだいぶそうかな」


 メグミが手を伸ばす。私はそれをつかむ。

 メグミがうれしそうに微笑む。私もやさしく微笑み返す。

 ひんやりとした暗闇の中で、窓から漏れた光だけがまっすぐ私たちを照らしていた。






 雪の帽子をかぶった弘前城は、すっかり夕闇に包まれていた。スポットライトが当てられて白さが際立った天守閣。その横で、メグミは「聖地キター!」「犬養さんどこー!」と言いながら、雪に半ば埋もれてる城内の公園を歩いていく。

 雪道の端にあった立て看板をメグミが見上げる。「雪灯籠祭りだって。行ってみようよ」とはしゃいで言う。私は「うん」とだけ言ってうなずく。ふたりで雪の道を歩いていく。寒いけど、楽しそうにしているメグミの後ろ姿を眺めているのは、なんだか暖かく感じていた。

 メグミが「おお」と言う。木々の間にある小さな雪のかまくらを見つけた。中にはローソクが灯されて、白い雪を橙色に照らしている。ふと目を上げれば、それがたくさん何百個も広がっていた。木々の間にたくさんの暖かい灯りが、白い雪の上で揺れていた。

 私はその異世界のような光景に見惚れてしまい、勝手に言葉が漏れ出した。


 「きれい……」

 「風で炎が揺らめくと、またちょっとすごいな」

 「小人さんたちが、たくさんいるみたい」

 「なら、ここはちょっとした住宅地だね」

 「私、このかまくらに住みたい」

 「扉付けて、ベット置こうか。天蓋付きの白い奴」

 「そうだね。それがいいかな」


 私たちはそれが当たり前のように自然と手をつなぐ。手袋越しでも、それは温かく感じられた。

 日が暮れていき、あたりは暗闇に染まっていく。たくさんの灯りたちをいつまでもぼんやりと眺めていた。

 メグミが白い息といっしょに何かを吐き出すように話し始める。


 「これ、クリスマスのイルミネーションぽいよね」

 「わかる。そんな気持ちする。ほら、家の近所にさ……」

 「クリスマスの次の日に、ハルカにふられたんだよ、私」

 「……聞いてはいたけど」

 「何が悪かったんだろうな」

 「ひと匙の勇気? 押し倒す的な?」

 「ハルカは女の子になりたかったから、女の私が愛しちゃいけなかったんだよ」

 「別に良かったんじゃない? それでも」

 「めっちゃ混乱してたんだよ、ハルカが。男の体に女の気持ちって、死ぬほどつらそうにしててさ。そこで女の私がいちゃらぶしたら余計悩むだろうに」

 「メグミはやさしすぎだよ」

 「やさしいもんか。そんなハルカを商売の種という建前で、私は離れずにいる」

 「好きなのに愛せないって、つらいね」

 「ハルカの言うとおりなんだよ。私は矛盾だらけだ」

 「ねえ、メグミ。思い出しちゃうなら、他のとこに……」

 「いや、いいよ。いまはチカがそばにいるから。平気だよ」

 「うん……」

 「忘れていても、ふとしたときにこうやって思い出すんだろうな、いつまでも……」


 私はメグミの手を握りしめる。メグミのほうへは振り向かず、まっすぐはっきり強く言う。


 「私はずっとそばにいるから」


 メグミはつらそうに言い返す。


 「そうだといいな……」






 弘前駅の近くにある、ビジネスホテルのありきたりな部屋の中に私たちはいた。津軽の宿にはあった、こたつがないのがちょっと寂しい。ぎぶみーこたつ。ベットはツインにしたから、少しは部屋は広い。少しだけ。

 お風呂でほかほかになった私が、ホテルにあったガウンを着て髪をタオルで巻く。部屋に戻ると、メグミがベットに腰かけ、難しそうな顔をしてスマホをいじっていた。


 「メグミ、お風呂あがったよ」

 「おう。ちょっと待って」

 「どうしたの?」

 「フィオナが国に帰るみたい」

 「え、いつ?」

 「春には、とは言ってるなあ」

 「急にどうしたの?」

 「お母さんに怒られたらしい。そんなことしてないで国に帰れって」

 「あらら」

 「まあ、マンガなんか、どこででも描けるけどね」

 「描けるけど、描けなくなることもあるんじゃない?」

 「まあ、それはあるな」


 前にミヤコやらハルカやらに家に来て、メグミが怒って描くのを止めたときのことを思い出す。

 メグミも思い出したらしく、ちょっと恥ずかしそうにしている。


 「あ。お別れ会やるとさ。チカも来る?」


 行きたくはない。メグミの友達の間にいると、仲の良さに嫉妬してしまう自分がいるから。それに気がついてしまうから。

 心とは裏腹に返事をする。


 「うん、いいよ。いつ?」

 「来月の頭ぽい。いま早坂が手配してる」

 「ああ、それじゃフィオナさんのぶんもおみやげ買わないと」

 「そうだな。なんか日本ぽいのがいいな」

 「津軽塗の茶碗とか、お箸とか……」

 「ねぶた丸ごと送り付けるというのはどうだろう」

 「あはは。フィオナさんちょっと喜びそう」

 「なんでこんなの送るんだ、楽しいじゃないか、とか言うよ、絶対」

 「うん、わかる」

 「だよね」


 メグミがベットから立ち上がる。


 「連絡片付いたし、そろそろ私もお風呂入るよ」

 「うん」


 自分のスマホをふと見たら、フィオナさんからメッセージが来ていた。


 Ole sulava loska minulle. ふたりでお幸せになりやがれ――。


 どういう意味?

 着替えを持ったメグミがにやにやしながら私に声をかける。


 「ねえ、チカ。今日はどう寝る?」

 「いじわるだな。普通に寝ます」

 「あらそう。残念」

 「じゃあ手を握るぐらいなら」

 「一緒にまた寝ようよ」

 「ええ……。襲っちゃうぞ。がおー」

 「あはは。ちっとも怖くないよ。食べるのは、もうちょっと待っててくれたら」


 メグミがそう言うと風呂場へとすたすた歩いていく。

 どういう意味??






 お昼の弘前中央食品市場には幸せがあふれていた。


 「このラーメン、うまいな」

 「この味……。私、大好きだ」

 「煮干しダシってこんなにうまいんだな」

 「祝福されている気がする」


 古くて激渋な建物の中にある市場の一角。通路に椅子がはみ出てるようなカウンターだけのラーメン屋さんで、私たちは熱い一杯をいただいている。


 「あとでさ、あの袋入り大学芋、買っていこうよ。チカ、ああいうの好きだよね」

 「メグミは私のこと、ちゃんとわかってるな」

 「ふふ。お前のことは何でもお見通しなんだぜ」

 「あはは。ごきげんファイブの青っぽい」

 「そんなとこかな」

 「なんだか、ちょっと幸せだな」

 「何が?」


 ……言わないから幸せなんだよ。

 私は心の中でため息をついて話を逸らす。


 「おいしいものばっかり食べてるし」

 「こっち、みんなおいしいよね」

 「むしろ、ここに暮らしたい」

 「わかるわー。もうちょっといようか」

 「おみやげちょこちょこ買って行こうよ」

 「食べ物ばっかりになりそうだけど」

 「絶対そうなる」


 私たちは笑いあう。おいしいものを食べていれば私たちは大丈夫。とりあえず、いまのところは。






 青森を出た新幹線は南へと下っていく。暗い窓にはずっと何も映らない。しゅーしゅーという耳障りな擦過音だけが、車内を満たしている。


 メグミを想うたいせつな気持ちは、私の体のどこにあるんだろう。そこにはきっと大きな穴が開いているはず。

 ハルカが「私の寂しさは誰かどうやっても絶対に埋まらないもの」と言ってたっけ。私も本当はそれをわかってたよ。わかってたけれど、見て見ぬふりをずっとしていた。そうしないと、自分を絞め殺したくなるから。


 好きな人に抱きしめられるだけで、こんなにも寂しくて苦しくなるもんなんだな……。


 今朝を思い出す。3度目のメグミの寝顔。あの幸せは変わらなかったけれど、それを手に入れていけないという罪悪感がついに勝ってしまった。

 メグミに私が望むそういうことはさせられない。ずっと一緒にはいたい。でも、それはメグミを縛ることにもなる。それならいっそ……。

 いまの関係で留まる方法をずっと心の中で探し続ける。

 暗い窓に映る暗い顔の私。ふと声が漏れ出てしまう。


 「帰りたくないな……」


 隣でスマホをいじってたメグミが、それを聞いてうれしそうに言う。


 「よし、降りよう」

 「は?」

 「仙台で牛タン食べよう」

 「なんでそうなる」

 「せっかく来たし」

 「せっかくの意味が違いすぎるよ」

 「ほら、終電の新幹線には間に合うみたい」

 「そうじゃなくて……。ああ、もう」

 「駅のところに牛たん通りってのがあるんだって」

 「むむ」

 「夕飯作るの、もうめんどいし、豪勢に食べに行かない?」

 「くっ、食欲に負けた……」

 「じゃ、そうしてしまおう。素直なチカはいい子だね」


 メグミが笑いかける。このまま頭を差し出したら、その手でなでてくれそう。

 私が素直になれたら、どれだけよかったんだろうな。

 ミヤコのことだって、メグミのことだって……。






 メグミが家の玄関の扉をバーンと勢いよく開けた。


 「我が家よ! 私は帰ってきたー!」

 「なにそれ」

 「有名なセリフ」

 「へー」

 「反応薄いな」

 「だって知らないし」

 「じゃ、いまから一気見するか。シーマ・ガラハウというかっこいいおばちゃんが……」

 「しない。ほら、洗濯物出しなよ。明日洗うから」

 「はーい。あ、お茶飲む?」

 「飲む飲む」


 メグミが台所に立つ。電気ケトルにお水を入れて、急須を棚から取り出す。

 私は抱えていたいくつものおみやげを、テーブルの上にえいっと置いた。そこから「つがる漬」をつかんで、メグミに見せた。


 「早坂さんのおみやげ、これでいいかな?」

 「まあ、あれはなんでも喜ぶから。でも、それはちょっともったいない気がするけど」

 「ええー。せっかくこの旅行の手配してもらったのに」

 「そういうの好きらしいからな。会社じゃ、アルティメットだんどり女史とか言われてるらしい」

 「アルティメット……」

 「ま、私たちはそれを台無しにしたけどね」

 「途中でふらふらとあちこち行き過ぎた」

 「気ままな猫の散歩のようだったし」

 「それはそう。でも、楽しかった」

 「私も」


 台所のカウンター越しに私たちは笑いあう。

 メグミが暖かい緑茶を入れたマグカップをふたつ持ってやってきた。


 「ほい」

 「ありがとう」


 メグミが椅子に座る。テーブルの上のおみやげをいくつか見ながら、そのなかからお菓子の袋をひとつ開けた。


 「はとむぎかりんとうだって。おひとつどうぞ」

 「どれどれ……。おー、ザクって感じ。甘いおかき? ちょっと違うか……」

 「なかなかいいな。お茶に合う」

 「うん、当たりだね」

 「しかし、お菓子系はりんごばっかりだったな」

 「シードルもあったよ」

 「うん。弘前で飲んだシードルはすごくおいしかった」

 「買いたかったけど、ビンだと重いんだよね」

 「まあ、また行けばいいよ」

 「シードル飲みに?」

 「そう。うちららしいじゃないか」

 「それな」


 暖かいお茶を飲んで、ふたりでほっとする。ちょっと気持ちがいい。

 残念そうにメグミがぽつりと話す。


 「また明日から、いつもの日常だなー。あーあ」


 ああ……。

 その一言で、心底にずっと渦巻いていたその感情が限界を超えてしまった。

 いつもの生活。いつもの日々。決して重ならないメグミと私……。その先には行けない私たち……。

 変えられないんだ。きっと。


 「寂しいな……」

 「ん? どうかした?」


 変えられないぐらいなら、もう……。

 どうにでもなればいい。

 私は決めた。そのどうしようもない覚悟を。


 「メグミ、あのね。手を……。握ってもらえる?」

 「こう?」

 「うん」

 「震えてるよ」

 「うん……」


 メグミが私を心配そうに見ている。覚悟を決めたくせに……。これから言うことの苦しさに、いてもたってもいられなくなる。私は絞り出すように声を出す。


 「メグミ。私、どうしたらいいのか、わからなくてさ」

 「うん」

 「……わかってるんでしょ?」

 「まあ……。あんだけ匂わせられたら」

 「このままでいたいのに、このままでいられなくなっちゃった」


 メグミがじっと私を見つめている。少し息を吸うと私の気持ちを話し出した。


 「もう抑えきれなくなってて」

 「うん」

 「楽しかったんだよ。一緒に暮らすのって。ふたりでおいしいご飯食べてお酒飲んでさ。いろんなお店をきままに巡って、いっしょに笑いあって。旅行もすごく楽しかったし」

 「うん、私もだよ」

 「私がメグミをどうしたいのかわかってる?」

 「まあ、なんとなく」

 「触れ合いたい。関係だってもっと深く……。メグミを独り占めしたいんだ。ぎゅっと握って放したくない。ずっと一緒に死ぬまでそばにいたい」

 「うん」

 「そういう関係になったらメグミの未来をつぶしちゃう。普通の幸せを、旦那さんと子供に囲まれて暮らすみたいな幸せを、私が取り上げることになるから」

 「そうだけどさ」

 「自分が気持ち悪くて仕方ないんだ。メグミにそう思うなんて。私どうかしてるんだよ」

 「ねえ、チカ。私は……」


 その先を言わせないように手を強く握る。


 「メグミ、これは告白じゃなくて相談なんだ」


 訴えるようにメグミをしっかり見つめる。


 「メグミがハルカをあきらめたように、私もあきらめたほうがいいのかな? そうしたら、まだ親友でいられる気がするんだ」


 メグミは視線を落として黙っている。

 凍えるように時が止まる。


 やっぱり、もう……。

 こんなこと言うんじゃなかった。こうして私は好きな人を失っていくんだ。死ねばいいのに自分……。


 うなだれるようにメグミから顔を背けた。

 メグミが暖かい手で握りしめていた私の手を引く。こっち見て、というように。


 「それ、本心なの?」


 その言葉にメグミの顔を思わず見た。


 「なんで、そんなこと聞くの? 私はたくさんいろいろ考えて……」

 「私は、チカの本心を聞いてるんだよ」

 「そんなのずるいよ。私は……、だって……」

 「だってじゃないよ、チカ」

 「メグミはハルカのことがまだ好きなんでしょ?」

 「それを忘れるための旅行だったんじゃないの?」

 「またミヤコのこと思い出して、私は泣いちゃうかもしれないんだよ?」

 「そのときは笑わしてあげる」

 「普通の人じゃいられなくなるんだよ?」

 「知ってる。いっぱいマンガにそういう人を描いてきたから」

 「私はそういう人なんだよ。メグミを裸にして、すごいことしちゃうんだよ?」

 「ぷふ。まあ、がんばってみるよ」


 私は追い詰められていた。何を言ってもメグミは受け入れてしまう。ダメだ、そんなんじゃ。私は同性に興味を持つ気持ち悪くて卑怯な……。


 「ねえ、チカ」


 メグミが握っている私の手をぎゅっとする。私を勇気づけるように。


 「また、親友で終わらせるの?

  また、手を握るだけで終わらせるの?

  また、抱きしめたままで終わらせるの?

  どうなの、チカ?

  本当にそう思うの?」


 ほんの2文字。

 ほんの5文字。

 それを言ってしまえたら。言ったら楽になれる。言ったら苦しみが終わる。

 でも……。


 身がすくむ。


 「こっち来て」


 何も言わない私の手をメグミが引っ張る。いつも絵を描いていたパソコンの前に連れていかれる。

 手慣れた動作で、モニターにメグミの絵が映し出された。


 「ちょっと読んでよ」

 「……マンガ?」

 「どうも私は口下手というか、だいじなことを言うのが照れくさくてさ。あれから少しずつ描いていたんだ」


 手を握りあっている女の子ふたりの絵が、そこにあった。


 「これ、クリスマスにメグミが話してたあれだ……」

 「そ」

 「こっちの背の高いほうは私? じゃ、メガネはメグミか」

 「そんなとこ。ここクリックして。そう。それで次のページへ行けるから。ま、めくってみてよ」


 絵のふたりは白い雪原のただなかに立っている。手を握りあって、真剣なまなざしで前を見つめていた。

 やがて風が強くなる。

 飛んでくる小さな石や枝がふたりに小さな傷をつけ、頬や手に血がにじんでいく。

 雪が混じりだす。

 大きな雪の粒が体のあちこちにぶつかり、頭からも指先からも温もりを奪っていく。

 寒くて暗い吹雪がふたりを襲う。

 耐えきれないように背の高い女の子が膝をつく。それでもふたりは手を離さない。メガネの女の子が安心させるように微笑んで立たせてくれる。

 気高く強く、ふたりは立ち続ける。雪が体を覆おうとしても、手を強く握りあい、前をしっかりと見つめる。

 やがて負けたように吹雪が晴れていく。

 一筋の光に照らされて、ようやくふたりから険しさが消える。

 足元の雪の上には、小さな白い花が咲いていた。

 ふたりでそれをつかんで抱きしめる。

 胸元から白い花びらがあふれだし、ふたりを包む。

 それは無数の白いリボンになって、とてもきれいなウェディングドレスへ変わっていく。

 手をつないだままのふたりが、うれしそうに笑いあって青空に照らされた真っ白な雪原のなかを歩いていく。


 ページをめくる手が止まる。

 これが意味することは、心に伝わっていた。

 泣いていた。

 ぽたりぽたりと自分の手に暖かいしずくが落ちていく。


 「続きは、チカといっしょに描きたいんだけど、いいかな?」

 「うん……。よろしくお願いします……」


 感情が堰を切ってあふれ出す。子供のように声を上げて泣きだした。迷子にやっと迎えが来たように。恥ずかしいとは思ったけれど、止まらなかった。そんな私をメグミが抱きしめる。


 「よしよし、泣き虫さんめ。これからは私がずっと笑顔にするから」

 「ごめんなさい……」

 「そこはありがとうだよ。こっちこそつらい思いをさせてごめんな」

 「違う。違うから……」

 「違わないよ。私もこれをチカに見せるの怖かった。ごめんな……、本当にごめん……」


 ふたりの涙が、お互いの心を縛っていたリボンに染み込んでいく。それがほどけることはたぶんもう無いかもしれない。それでもはみ出たリボン同士は結べる。いま結び目ができた。やっと結べたその結び目を、私とメグミはたいせつに愛おしく抱きしめた。




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 ようやく気持ちが通じたこのふたり。次話は甘々な日常のなか、ある人が襲来して、その空気をぶっとばします。結婚までカウントダウンスタート……、なはず!

 お楽しみに!



推奨BGM: ねごと「Ribbon」

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