天井の水漏れによる濡れ衣を脱ぐたった一つの方法

緋糸 椎

近所

 松浦義則まつうらよしのりの自宅マンションに、香取結子かとりゆうこ弁護士が来たのは午後6時のことだった。美人だが気が強く、ネイビーのスーツと相まって威圧感を醸し出していた。しかも仕事帰りの時間帯に、アポなしで来るとはまさに黒船の来襲である。

「慰謝料300万円と月々の養育費5万円。これがの条件です」

 とは、彼女とその依頼人である松浦由香子のことだ。

「しかし、一方的に出て行かれて離婚を言い渡されて、その上何で慰謝料なんですか?」

「夫の持ち物からスタンガンが見つかった……それが女性にとってどれほど恐怖か分かりますか? 由香子さんは思い出す度に身震いがすると言っています」

「いや、しかし……」

 すると香取弁護士は天井を指差した。

「上階の新玉あらたまさんも証言していましたよ。『松浦さんは挙動不審なところがある』と」


 新玉遼あらたまりょうは4階の住民で、松浦の自宅はちょうどその真下にあたる。新玉は一度夜中に騒いでいたことがあり、松浦は苦情を言いに行った。ドアを開けるといかにもヤンキー風の若者が出て来たのでびびった。少し前に不良少年たちからカツアゲにあって、それ以来ヤンキー系は苦手だった。

「……なんか用すか?」

「あ、あ、あの、もう少し静かにしてもらえますか?」

 すると新玉は部屋の中に向かって言った。

「おい、静かにしろってよ」

「うるさくしてんの、あんたでしょ」

 と女の声が聞こえた。

 それから新玉はわびることもなく不貞腐れた態度でドアをバタンと閉めた。それ以来、新玉は松浦を見るとジッと睨むようになり、そのたびに松浦も目を逸らしていた。


(挙動不審なのはあいつの方じゃないか……)

 香取が帰ってから松浦は心の中でつぶやく。ソファーにドッカと座り、深く嘆息した。手狭と思っていたこのマンションも、家族が出て行って無駄に広く感じる。無性に悲しくなって、上を見上げてみる。すると、まるで天井が涙を流して泣いているように雫がポタポタと滴り落ちていた。

 やがて水量が増加し、松浦の部屋はまるで雨天のようになった。また新玉さんか……松浦は仕方なく苦情を言いに行く。


 ピンポーン


 呼鈴を鳴らしても、反応はない。ドアに手をかけてみると、あっさり開いた。

「新玉さん、水漏れしてますけど!」

 また反応なし。

 松浦は考えた末、上がることにした。

「お邪魔します……」

 奥へと進むと、トイレから水が溢れ出ているのが見えた。松浦が恐る恐る近づいてみると、便器に顔を突っ込んだ新玉の後姿が目に入った。

「新玉さん! 大丈夫ですか!?」

 松浦は新玉に手をかけた。するとヒヤッとした感触が松浦の手に伝わった。

「死んでる!」

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