第9話
「二人とも疲れたでしょう? 甘いケーキでも食べて休憩――あっ」
ケーキと紅茶がのったトレイを手に、薫母は固まった。無言でケーキと紅茶を机の上に置くと、
「休憩はほどほどにね」
「ママ、これはその、そういうことじゃなくって……」
「そういうことではなくて?」
「いや、そういうことなんだけどさ……」
薫が気まずそうに言うと、薫母はトレイで口元を隠して上品に笑い、
「まあ、二年も付き合ってるんだし、そういうことしたっていいんじゃないかしら」
付き合う前に薫に押し倒された、ということを告げたら、薫母はどんな反応をするんだろう? 気になったけど、さすがにその事実は隠しておく。
「私も若いころはパパと……うふっ」
薫母は妖艶に微笑んだ。
薫の母なだけあって、本質的には薫と似た人間なのかもしれない。
「あ、でも、二人とも受験生なんだから、休憩はほどほどになさいね。一番は勉強よ。遊んだりいちゃいちゃしたりするのは、大学生になってからだってできるんだから。わかった?」
「「わかりました」」
「それじゃ、甘いケーキ食べて、勉強頑張ってね」
薫母はドアを静かに閉めた。
僕たちはカーペットの上に正座すると、ケーキを食べた。糖分が体全体に染みわたる。温かい紅茶はほのかに甘く、疲れが取れていっているような気がする。
「おいしいね」
「うん、おいしい」
薫は身を乗り出して、僕の唇に軽くキスをした。
「ちょ、ちょっと……」
「いいじゃん。キスくらい」
キスくらい、なんて言えるような関係に僕たちはなっているんだ。
不思議な気分だ。ケーキを食べながら僕は思う。この関係がこれからもずっと続くんだろうか? 一〇年、二〇年――死ぬまでずっと。
どうなるかはわからない。目先、大学受験という大きな壁がある。この壁を二人ともうまく乗り越えられるかどうかで、将来が大きく変わるに違いない。
二人とも大学に落ちる。
僕が大学に受かり、薫が落ちる。
薫が大学に受かり、僕が落ちる。
二人ともが合格する。
大きく分けて、この四パターン。
同じ大学に通えるかどうかは重要だ。大学が異なれば、一緒にいられる時間は減る。もしも、どちらか片方が地元を離れて一人暮らしを始めたら、遠距離恋愛になる。遠距離恋愛となれば、別れる可能性だって十分にあり得る。
だから、二人で同じ大学に通いたい。理想は第一志望である都会の大学。この大学に二人で合格できれば、二人暮らしをすることができる。
今だって、毎日会えている。でも、もっと長い時間を薫と共に過ごしたい。
だから――。
「薫、受験勉強頑張ろうね」
「うん。……どうしたの、いきなり?」
「一緒に、第一志望校に受かりたいから」
「あそこ受かれば、京ちゃんと同棲できるからね」
「うん」
「京ちゃんは私と同棲したい?」
「うん、したい」
「私もだよ」
向かいに座っていた薫は、僕の隣にやってくると、慈しむように優しくハグをしてくれた。僕も薫の背に手を回す。こうやってハグをされると、とても落ち着き、幸せな気分になれる。
「続き、しよっか」
「うん」
参考書とノートを開き、勉強を再開する。
世の中に絶対なんてないんだろうけれど、絶対に第一志望校に合格できる、と――心からそう思うことができた。
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