きょうを読むひと

尾八原ジュージ

元山の話

「よみごさん、て言うんすよ。知ってます?」

 後輩の元山に尋ねられて、私は首を横に振った。聞いたことがない名前だった。

「よみごさん」とは、元山の出身地特有の占い師のような人を指すのだという。彼らは皆一様に盲目で、古めかしい巻物を使う。

「盲目なのに、巻物を読むの?」

「それが、その巻物自体は真っ白なんすよねぇ」

 点字らしきものもないまっさらな白い紙を、お経のようなものを唱えながら指でなぞるのだという。そしてあたかもそこに書かれた何ものかを読み取ったかのように、占いの結果を告げるのだ。吉事は告げず、もっぱら凶事を予言する。よみごさんに「何もなし」と言われれば、客はそれで喜んだ。

 元山の生家は土建屋だった。

 建築現場での事故は怪我に直結する。命に関わる場合もある。そのため、彼の父親はかなり「かつぐ」人だったという。毎日神棚の世話を欠かさず、風水などにも凝った。そして大きな仕事の前には、必ずと言っていいほどよみごさんを家に呼んだ。

 子供の頃の元山にとって、白く濁った目を薄く開けたよみごさんは、得体が知れないものだった。当時のよみごさんは小さな老婆だったが、盲目のはずなのにゆらゆらと障害物を避けて歩く。靴なども自ら危なげなく着脱した。

 一度だけ、ふと悪戯心が兆した。父とよみごさんが客間にいる間に、元山は玄関にあったよみごさんの靴を、よく似た母親のものと取り替えておいた。

 玄関に戻ってきたよみごさんは、何も言わずに靴箱を開け、そこから自分の靴を取り出すと、何事もなかったかのようにそれを履いた。

「あとでおやじにめちゃくちゃ叱られましたよ。だから今思えば逆恨みなんだけど、おれはよみごさんが嫌いでね」

 大層なもてなしを受けながら「何もなし」と告げるだけ告げて帰ってしまうのも、元山にとっては「手抜き」のようにしか見えなかった。


 ある日、自宅に招かれたよみごさんは「きょうが出る」と言った。靴の一件以来、一緒に客間に詰めることを命じられていた元山は、自らの耳でそれを聞いたという。

 その言葉が発せられた瞬間、座敷の空気はがらっと変わった。父は明らかに慌てていた。見たこともない姿だった。

「ど、どうしたらよいでしょうか」

 よみごさんは例によってブツブツ言いながら巻物の表面を「読んだ」。

「家の裏に鳥居がある。そこから出る」

 裏手に神社などはなかった。父も同じことを考えたらしく、「鳥居などありませんが」と言った。

「探しられぇ」

 よみごさんはそう言い置くと、これは気休めだがと言って御札のようなものを置いていった。縦長に切った和紙に、筆ででたらめに書いたような太い線がのたくっていた。父親はそれを大事そうに、事務所に置かれた神棚に納めた。

(嘘くせえなぁ)

 元山は密かに嘆息した。

 よみごさんが帰ると、父は土建屋の社員数人を伴って家の裏手に向かった。元山も興味をひかれてついて行った。

 裏手の倉庫から庭まで鳥居らしきものを探したが、それらしきものはなかった。そのうちに空が暗くなり、一旦事務所に戻ろうということになった。

「おやじが、見つけたやつには金一封出すぞって言っててね。そのとき魔が差したんすわ」

 元山は、皆と一緒には戻らなかった。

 ひとりになってから庭で小枝を拾うと、庭の隅の目立たないところに、鳥居の形になるように置いてみた。

 これをあたかも自分が発見したかのように報告しようと企んだのだ。社員に金一封出すというのなら、自分にだって何か報酬があるに違いない。

 元山が家に入ると、事務所の方が妙に騒がしかった。早く鳥居のことを言おうと、彼はそちらに向かった。

 父が電話をとって何やら話していた。受話器を持っていない方の手に何かが握られていた。それは見たところ、よみごさんが置いていった御札と同じ大きさ、形をしていた。

 だが、真っ白だった。確かに書かれていたはずの、のたくったような文字が消えていた。

「いよいよきょうが出ると」

 電話を切った父が蒼白の顔で言った。元山はここぞとばかり、鳥居を見つけた、と言いかけた。そのときだった。

 玄関の方から、どん、という音がした。

 元山はそちらに気を取られた。相当大きな音で、一瞬床が震えたほどだったのに、父も母も社員たちも、一向に気づかない様子だった。

 元山は廊下に顔を出した。

 玄関に黒い、子供のようなものが立っていた。真っ黒な紙を切り抜いたように、髪も肌も服も境目がなかった。

 黒いものはこちらに向かって一歩踏み出した。ぬちゃ、という音が元山の耳に届き、腐った肉のような臭いが鼻を刺した。

「と、父ちゃん」

 声を上げて振り返った元山は、しばし父親の姿を見つめ、絶叫した。

 黒い子供のようなものが、父の背中におぶさっていた。

 目も鼻も口もないのに、笑っていることがはっきりわかった。

 元山は悲鳴を上げながら昏倒した。


 鳥居は元山の家の、ブロック塀の中から見つかった。

 ブロックをひとつ取り外し、側面に鳥居を描いたあと、また元に戻すという、手の込んだものだったという。

 その報せを、元山は病室で聞いた。泡を吹いて倒れた彼は、救急病院に担ぎ込まれていた。

 元山がでっち上げた鳥居は、ブロック塀よりもよっぽど見つかりやすい場所にあったはずなのに、ついぞ発見されたという話を聞かなかった。

「おれからは結局、どうしても言い出せなかったんすよね……」

 退院の許可が出る前に、元山が鳥居を作って置いた庭の隅で、元山の父は焼身自殺を遂げた。


 父の葬儀にやってきたよみごさんは「きょうが出るのが早すぎる」とぶつぶつと繰り返していた。以降、不吉なことが立て続けに起こったというが、元山はそれらについては語らなかった。

「あの黒いやつが『きょう』だったんだと思うんすよ。普段は絶対こんな話しないんすけど」

 数年に一度、どうしても誰かに語りたくなるのだと元山は言い、ふいに口を噤んで煙草に火を点けた。

 その後土建屋は倒産し、元山の実家は売りに出された。

 未だにその地域では、よみごさんが活動しているそうである。

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きょうを読むひと 尾八原ジュージ @zi-yon

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