生き別れた兄とコンビニで赤いきつねを食べる話

長門拓

生き別れた兄とコンビニで赤いきつねを食べる話

 ずっと昔、兄と一緒に施設を抜け出したことがある。まだ私が小学生の頃のことだ。

 施設の名前はもう覚えていない。特に嫌な仕打ちを受けたわけでもなく、職員の方々はみんな親切だった記憶が今でも残っている。それなのに施設の名前をまるで思い出せないのはどういうわけだろう。私はそのことをいぶかる。

 そのことはさておき、私と兄はあの日――おそらく秋だったと思うが春だったのかも知れない――、手と手を取り合ってこっそりと施設から抜け出した。きっかけは何だったのだろう。たまたまその日、年配の職員の方の機嫌が悪かったこともあるかも知れない。それとも、窓から見える青空がとてもさわやかで綺麗きれいだったからかも知れない。こんな日に家の中に閉じこもってるのはもったいない。子ども心にそう思ったとしても不思議ではない。

 ともかく私たちは二人でこっそりと、施設の敷地から外に飛び出した。引っ込み思案の私の手を引っ張るようにして、兄が私を街路がいろに導いてくれた。



   〇



 今にして思うと、それほど施設から遠くに出掛けたわけではなかったようだ。子どもの足で歩ける範囲などたかが知れている。けれどもあの頃は、それだけでもとてつもない冒険をしていたように感じたものだった。

 記憶の中の兄が、汗でにじんだ手をしっかりと握りしめている。

「歩道を歩くときは、お兄ちゃんが車道がわを歩いてやるからな。事故にあっても、お前だけはぜったい守ってやる」

 私は「うん」とうなずいた。幼い私にとって、唯一の肉親である兄の言葉。それが頼もしく、私は甘えるようにはにかむ。


 アーケード街に辿りついた頃には、もうオレンジ色の夕暮れだった。私と兄の影が細長くアスファルトに伸びている。

 私はお腹が空いたことをぼそぼそとうったえた。兄は困ったように辺りを見回すと、

「そこのコンビニで何か買ってやるからな」

 自動ドアをくぐりぬけ、清潔そのものの店内に入った。私はコンビニに入るのが初めてだ。兄もおそらく数えるほどしか経験がないだろう。けれども兄は堂々としていた。少なくとも私の眼にはそう見えた。

 棚から棚を物色して回るが、なかなか都合の良さそうなものが見当たらない。食べたいものは山ほどあるにはあるが、先立つものがない。要するに私たちはお金をほとんど持ってないのだ。

 すると、レジの前にうずたかく積まれている「特売コーナー」に、兄が目をつけたようだった。消費期限の近い食材も置かれているらしい。兄がその中の一つを選んだ。小さな手のひらにつかまれたのは、表面が赤い色をしているカップうどんだった。『赤いきつね』だ。施設のテレビで何度もCMを見たことがある。

 レジで会計を済ませた兄が、イートインコーナーでカップにお湯を注ぐ。

「これで五分間待つんだ」

「へえ、お兄ちゃん物知りだねえ」

「このくらい誰でも知ってるぞ。そういえば園長先生が裏アカで呟いてたけど、赤いきつねって地域ごとに四つの味があるんだって」

「裏アカって何?」

 お前はまだ知らなくていいことだよ。そう兄が微笑みながら、私の頭をなでてくれた。


 それから私たちは、一杯の赤いきつねを二人で仲良く分け合って食べたのだった。急いで食べたので、口の中を少し火傷したのを覚えている。本当に美味しかった。


 数日後、私たち兄妹は別々の養父母のもとに引き取られた。



   〇



 その兄が前触れもなく私の通う高校に転入して来た時は、本当に驚いた。あれから手紙のやり取りはしていたが、驚く私の顔が見たかったらしい。

 夕暮れの通学路を、ごく自然に、兄が車道側を歩いていた。

「お兄ちゃん、よく特待生枠とくたいせいわくを取れたね」

 久しぶりに会う兄は、見違えるほどに背丈が伸びていた。女子からの人気も高いらしい。

「大したことなかったよ。園長先生の裏アカを調べるほうが大変だったな」

 そういえばそんなこともしていたような。何でそんなことをしていたのかこの人は。

 オレンジ色に染まる秋の街路を歩みながら、私たちは他愛なく喋り続けた。失われた日々の隙間を、少しでも取り戻すかのように。

「ところでお腹空いてないか。コンビニで何か食べない?」

「駄目だよお兄ちゃん、買い食いは校則で禁止されてるよ」

 兄は爽やかに笑いながら、

「大丈夫大丈夫バレないって。ほら秋の味覚キャンペーンもやってるぞ」


 兄の勢いに流されながら、半ば引きずられるようにコンビニに入る。

 しばらくしてレジに私と兄がそれぞれに運んできたのは、秋の味覚スイーツでもなければ肉まんでもアイスでもなく、定価で売られていた『赤いきつね』。幸せの味。



   (終)

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