第25話 本能寺の変、後日談

 本能寺で信長が討たれたと聞いて、その五日後、近衛前久さきひさは誠仁親王に樽酒たるざけを進上し、ともに祝宴を張った。

 だが、切れ者の前久にも見通せぬことはあった。

 何と、備中高松城で毛利攻めをしていたはずの秀吉が、謀叛者の光秀を討つべく畿内へ信じられぬ速度で帰ってきたのだ。いわゆる「中国大返し」の離れ技であった。

 これに細川藤孝は驚愕した。しかも、畿内の武将が続々と秀吉陣営に加わり、光秀打倒軍は四万近くの大軍に膨らんでいるというではないか。

 ――もはやいかぬ。すべては水泡すいほうに帰した。

 藤孝自身と明智光秀の両輪で、足利幕府を再興するという目論見はここについえたのである。

 ――次の覇者は、秀吉であろう。光秀はあの猿面冠者の敵ではない。

 そうなると、藤孝の変わり身は早かった。家名存続のために光秀を裏切り、秀吉方についたのだ。

 前久は逃げた。

 実は、本能寺の変当日、自邸の近衛邸に明智軍を引き入れ、そこから二条新御所に向けて狙撃させたことが、口さがない京雀きょうすずめの間で噂となっていた。

 二条新御所には、信長の嫡男信忠が立て籠っていたが、光秀はこの信忠をも抜かりなく討ち取っている。

 本能寺の変の黒幕は前久である、少なくとも光秀に加担していたことは明らかであると、洛中に噂が流れ、信長の三男・信孝は血眼になって前久の行方を探した。

 その頃、前久は醍醐だいごから嵯峨さがへと必死に逃げまどい、その年の十一月、遠江とおとうみへとはしり逃げることに成功していた。徳川家康を頼ったのである。

 のちに前久は、天下人となった秀吉を猶子とし、この成り上がり者の猿面冠者を関白の位に臆面もなく押し上げた。

 無論、秀吉の権勢とともに莫大な金銀の力を背景にしてである。

 当時、秀吉は佐渡金山をはじめとする諸国の金山、銀山をわがものとし、天下の三分の一の富を独占していた。

 その秀吉に前久は思い出語りをし、のうのうと言ってのけた。

「信長公は稀代の英傑でおわした。なれど、あまりにも多くの血を流し、多くの者から裏切られ申した。さびしいお方であったと申すべきでござろう」


 

 

 

 

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さびしい信長 海石榴 @umi-zakuro7132

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