第24話 謀略、本能寺の変

 近衛前久は朝廷を守るため、幕府再興を大義名分に策動した。まず細川藤孝を味方に引き入れ、藤孝を通じて光秀を説得させた。

 折しも、この頃、光秀は秀吉の中国征伐を支援するよう信長から命じられていた。

秀吉の指揮下に入って、毛利攻めをすることに光秀のプライドは損なわれていた。

 しかも、信長はこのとき四国征伐にも乗り出そうとしていた。光秀が長年よしみを通じていた長曾我部元親ちょうそかべもとちかを攻め滅ぼすというのである。これに対し、信長からは何の相談もない。

 光秀は内心憤るとともに、猜疑心のかたまりとなっていた。このままでは、佐久間信盛や林佐渡守らと同じように、使い捨てにされるのではないかという疑念である。

 そこへ、細川藤孝が現れたのだ。

 藤孝は懐から一通の書状を取り出し、光秀に手渡した。

大樹たいじゅ義昭公から信長めを討てとの御内書にござる。信長討伐後、大樹はただちに鞆の浦から京の都に戻られる手筈てはず。ぜひ、ぜひ幕府再興のためにお力をお貸しくだされ」

 光秀とて幕府再興は積年の願いであった。そもそも信長に仕えたのは、信長の力を借りて幕府再建を志したからであった。その思いを裏切り、信長は義昭を京の都から放逐し、室町幕府を実質的についえさせたのだ――。

 さらに、藤孝はもう一通の書状を披露した。それは、近衛前久からあずかった正親町天皇の密勅みっちょくであった。書面には、信長征伐、朝廷守護、天下安穏などの文字が並んでいる。

 驚愕する光秀に、藤孝が言う。

「幕府再興の折には、光秀どのが管領職に就かれよ。無論、このことは大樹もご了承ずみ。それがしは、幕府譜代の臣として、義昭公をそば近くでお支えする所存」

 管領とは、幕府内で将軍に次ぐ高位であり、将軍に代わって実質的に政務を執り行う役職である。

 もはや光秀に断る理由はなかった。

 天正十年五月二十九日、信長はわずか百人ばかりの小姓衆を引き連れて上洛し、本能寺に宿をとった。秀吉に「毛利攻めに手こずっておりまする。ぜひ、ご出馬賜り、上様のお力でひと息に毛利を踏みつぶしていただきたく……」という要請を受けてのことであった。

 その翌日、本能寺で茶会が開かれた。

 しかし、不思議なことに、この茶会に近衛前久以下、大半の公家が顔を出したにもかかわらず、信長と最も近しいはずの誠仁親王や五の宮の姿はなかった。

 そして、運命の六月二日がやってきた。

 未明の静寂をついて、本能寺の門外で軍馬がいななき、よろい草摺くさずりが鳴った。

 寵臣ちょうしんの森蘭丸が注進に及ぶ。

「賊は明智と見え申し候」

「是非もなし。弓を持ってまいれ」

「ははっ」

 蘭丸の気配が去った後、信長は独りつぶやいた。

「まだ頂上てっぺんまでは至っておらぬが、この辺で落ちるのもよかろう」

 暗闇を真っ逆さまに落ちる――あの日の凶夢が正夢となったにすぎない。やはり逃れることはできなかったかと、信長はおのれの運命を自嘲した。人間五十年、下天のうちをくらぶれば――『敦盛』どおりの生きざま、死にざまとなったのだ。

 信長は広縁に出て、まだくらい空を見上げた。

 そのとき、蘭丸が信長の横に片膝をついた。両手に弓矢を捧げ持っている。

 蘭丸から弓を受け取った信長が、天の残月を指差して言った。

「やや欠けたる月のほうが、望月もちづきよりも美しいものよ。あの月もいつか……ふふっ、もはや言うまい」

 信長は弓に矢をつがえて、迫りくる鎧武者に向かって放った。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る