第23話 前久は敢然、信長と対峙した

 天正七年、信長は普請なったばかりの安土城へと移った。三年がかりで完成させた絢爛豪華なこの城は、当時琵琶湖に面し、城の膝下しっかたるみなとには巨船おおぶねが停泊していた。

 『信長公記』によれば、長さ三十間だったというから、およそ五十四メートルもあり、それは当時とてつもない巨船であった。

 のちに秀吉が朝鮮出兵の旗艦きかんとして建造した日本丸でも、およそ十七間である。信長はこの巨船によって、京の都だけでなく湖北、湖西に迅速に兵員と物資を送ることができた。

 金色に輝く安土城、人の度肝どぎもを抜く見たこともない巨船。いずれもこの天下の主はだれであるかを誇示するためのものでもあった。

 その安土城に、信長は誠仁さねひと親王の第五皇子、五の宮を京の都から移すことを計画していた。

 五の宮はこの頃、信長の猶子ゆうしとなっていた。猶子とは、家督相続権のない養子であるが、これで信長は五の宮の義父という資格を得た。

 五の宮を猶子にした信長の狙いはひとつ――朝廷権威の簒奪さんだつであった。

 方法はこうである。

 まず、いまの天皇である正親町おおぎまち天皇に対し、子の誠仁皇子に譲位させる。次に、天皇となった誠仁に、子の五の宮へと譲位させれば、信長は五の宮の義父として、形式上、上皇なれるのだ。

 さすれば、武門の頂点どころか、朝廷内でも頂点に立ち、この国を思うがままに操れることになる。

 切れ者の近衛前久が、こうした信長の天をも怖れぬ謀略に気づかぬはずがない。

 前久は天皇家と朝廷を守るべく決然とった。

 毛利家の庇護を受けて、安芸あきともの浦に幕府を開いていた足利義昭とひそかに会見し、謀議を凝らしたのである。義昭はかつての政敵ではあるが、そんなことにこだわっている場合ではない。

 義昭にとっても、それは同じであった。自分を傀儡どころか道具扱いし、挙句の果て、京都から追い落とした信長をなんとしてでも成敗しなければならない。しかし、頼りにした上杉謙信は数年前、春日山城で没していた。

 心許ない思いを抱いていた義昭に、前の関白・前久が声をひそめて言う。

「もと尾張の土豪ふぜいが、神をも怖れぬ所行に及び、不埒ふらち千万。もはや暗殺するしかありますまい」

「前久どのの思い、しかと承り申した。なれど、問題はいつだれが信長の首を刎ねるかということ。この際、毒殺でもよいが、ことは隠密を要するものと存ずる」

「左様、もしもこの件があの魔性の者に露顕ろけんすれば、われらもただでは済みませぬ」

「わが幕府再興を悲願としている者を頼る。それしか方法は……」

 一途に幕府再興を願う武将は二人いた。いずれも幕府旧臣の細川藤孝と明智光秀である。藤孝は領国の丹後から、光秀は丹波から義昭に対して常々音物いんもつ(贈答品)を送り、義昭との連絡を密にしていた。

 しかもこの二人の領国、丹後と丹波は隣り合い、藤孝の嫡男忠興は光秀の娘・玉子(のちのガラシャ)をめとっている。

 細川藤孝と明智光秀の二人が手を組めば、すべては隠密にことが運ぼう。

 近衛前久と足利義昭は絡みつくように視線を合わせ、深くうなずいた。

 

 




 

 

 

 

 

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