第22話 天下布武はさびしい夢なのか

 某夜、信長は夢を見た。

 それは、はるかな高みから暗闇の中を真っさかさまに失墜する凶夢であった。

 物凄ものすごはやさで真っ逆さまに落ちる、落ちる、落ちる、暗闇の中を落ちてゆく。

 次の一瞬ののち、五体は地上に叩きつけられて粉々こなごなとなり、骨も血も脳髄もどこかの野辺に散らばるであろう。

 しかし、その一瞬がいつ来るのか――それがわからないのが恐怖であった。

 落ちる、落ちる、五体が砕ける恐怖をはらんで、物凄い迅さで真っ逆さまに落ちてゆく。

 刹那、信長は夢の中で絶叫し、寝床から跳ね起きた。

 そして、独り唇を歪め、つぶやいた。

 ――ふん、そうか。いつか落ちるのか。

 このとき、信長は自分の運命をはっきりと予感した。

 だが、どうせならこの世の頂上てっぺんから落ちたいと考えた。傾奇者らしく、大うつけらしく、派手な失墜を見せてやる。だれも経験したことのない美しい死にざまを見せてやる。

 人間五十年、下天のうちを比べれば……。

 ふふっ、すべては夢幻のごとくなり。滅せぬ者などいないのだ。しかも、死ぬのはたった一度きりだ。何を怖れようか。

 信長はこの世の頂上てっぺんをめざして急いだ。頂上から真っ逆さまに派手な失墜を遂げるために――。

 すでに武田信玄は死んだ。将軍義昭は京の都から追い落とした。

 後顧こうこの憂いがなくなった信長は、越前に攻め入り、朝倉義景を滅ぼした。次に浅井長政を討ち取り、さらに北伊勢と長島の一向一揆を攻め、若江城の三好義継を自刃させた。これだけのことを天正元年の一年間でしてのけたのだ。

 信長はあの夜以来、毎夜、同じ凶夢を見つづけていた。急がねばならない。頂上から落ちるために――。

 急ぐあまり、信長の戦いは苛烈かれつをきわめた。 

 天正二年には、伊勢長島の一向一揆を殲滅させ、男女二万人を焼き殺した。翌天正三年には、十万余の軍勢で敵対する石山本願寺を火のごとく攻め立てた。さらに信玄の後を継いだ武田勝頼の軍勢一万五千余を長篠の戦いで討ち破った。

 天下を目前にしたとき、かつて足利義栄を十四代将軍にまつりあげ、義輝から京の都を追われたさきの関白・近衛前久このえさきひさが上洛してきた。

 十五代将軍の義輝が信長から放逐ほうちくされたことを知り、やれやれと安堵あんどして還京かんきょうしてきたのだ。信長は敵であった前久に接近し、公家との折衝役を依頼するとともに、朝廷の中核として復帰させた。

 というのも、現関白の二条晴良はれよしは無能で、信長はそのあまりの凡庸さにイラついていた。

 信長が思ったとおり、前久は傑物けつぶつであった。

 信長のために薩摩さつまに赴き、信長と島津しまづ家との仲介役を果たした。さらに石山本願寺との和睦を結ばせるために、信長と門主・顕如けんにょとの間を取り持った。加えて、前久の水面下の働きのおかげで、信長は正親町おうぎまち天皇の第一皇子である誠仁さねひと親王に二条新御所を献上することに成功した。

 信長が二条新御所を献上したのは、誠仁親王を自家薬籠やくろう中の物とし、いずれ朝廷を意のままに動かすためである。

 武門の頂点に立ち、ゆくゆくは朝廷の頂点にも立つ。さすれば、大うつけが天上天下唯我独尊ゆいがどくそんの頂点に立てる。

 そこから真っ逆さまに墜落しようと、ふふっ、これぞ本望ではないか。

 


 

 

 




をと、越後の上杉、安芸あきの毛利、さらに大坂の本願寺である。

 

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