第42話:【まひる】そんな感じで

 ――一緒に住む?

 それは同じ家に。お仕事へ行って、戻る場所に。空上さんも寝起きしてるってこと。家に帰りさえすれば、優しいこの人が居るってこと。

 いつも守られてるってこと。


「まひるちゃん?」


 この声を聞いただけで、お腹の底がぽかぽか。ずっと一年じゅう、湧き上がってくるこの気持ちいっぱいで居られる。


 でも、それでいいのかなと思う。

 悩む私に、彼は心配そうな目。私のことで振り回していいのかなって、そこのところに答えがでない。


「今すぐ答えなくていいよ? どこか座れるとこ入ってもいいし。あ、今日でなくてもいいからね」


 どう見ても普通の家しかない辺りを、空上さんは見回す。家と家の隙間から、お店の看板でも探してるんだろう。

 ――すぐに。答えは出ないけど、何か言わなきゃ。


「あ、あの私」

「うん、何かな」

「迷惑かけてばかりで。あの人の――前の彼のこととか。お仕事のこととか。私は何も、空上さんに何もあげられないのに」


 途中で詰まりかけた喉を、溜まった唾を飲んで押し開いた。浮かんだ言葉を並べ立て、彼に首を傾げさせる。


「迷惑?」

「え?」


 何のことか分からない。空上さんは、本気でそんな顔をしてた。まさかこの一カ月くらいを、忘れてしまったかと驚くくらい。


「ああ、いや。どうすればいいかって、困ったし悩んだよ。でもそれは迷惑なんかじゃない。まひるちゃんが困って、どうしようもなくなるのが嫌だったんだよ。俺がね」

「だって私」


 そんなことない、迷惑をかけた。と、思わず繰り返しかけた。でも違う。彼は本当に、迷惑と受け取ってないらしい。

 分かる。だってずっと、私がそうだったから。


 誰かが困って、何か手伝ってあげられたら。少しくらいの手間なんて、むしろ嬉しい。

 解決して良かったとか、ありがとうとか。そんな言葉があったら、何度でもと張り切ってしまう。


「何もあげられない、ってこともないよ。俺はたくさんもらってる」

「何を?」

「まひるちゃんの顔を見るだけで、楽しい。話したら、面白い。何かね、エネルギーが溜まってくる感じ」


 それは違うと首を振った。彼は私のことを言ってる。疲れても吹き飛ばすくらいのパワーをもらってるのは私のほう。


「え? いや違うよ、わんこ扱いじゃなくて。うーん、あれだよ。ほら、こんな若くて可愛い子が彼女って、いいのかなって思うし。俺のほうが得しすぎじゃないかな」


 おどけてるわけでもないのに、面白い。考え込んでたのが、ふわっと薄れていく。


「でも」


 ちょっと笑ってしまったのを引き締め、もう一度問いかける。彼はお父さんに、いずれ結婚の申し込みをと言った。

 一緒に住むなら、もうそのままってなるに違いない。大事なことだ。


「俺までだよ。今日も生きていける! って、まひるちゃんが思わせてくれるの」


 ぎくっ。と一瞬、動けなくなった。まじまじ、彼を見つめる。

 柔らかく笑って、ちょっと困った手が頭を掻く。ずっと私だけを見て、何も言わないでも頷いてくれる。

 きっと今、彼の頭にあのこと・・・・はない。


 ――私が忘れさせたの?

 聞きたいけど、まだ勇気が出なかった。

 でもそれなら、いいのかもしれない。釣り合ってるのかは分からないけど、一緒に居れば返していけるかなと思える。


「一つ、聞いていいですか」

「何、何でもいいよ」

「私より若い子が現れたら、その子を好きになるんですか」

「ええっ?」


 私は真面目に話してたのに、笑わせたから。仕返ししてみた。

 彼は慌てて、なぜか周りに目を配って、また見つめる。


「そんなわけないじゃん。俺を好きになってくれた子が、たまたまそうって言ったの。俺はまひるちゃんだけだって」

「へー、分かりました」

「へーって……」


 あのこと・・・・を思い浮かべたまま、返事をしたくなかった。だから意地悪になっちゃったけど、笑って言った。


「一緒に居させてください」

「ん?」

「同じ家に居てくれるんでしょ?」

「え、こんな流れでいいの」


 私も彼も、お互いの気持ちを察しようとした。こんな、どころか、とても私たちらしい時間だ。


「はい、そんな感じで」


 深く、頷いた。どんな顔をしようと考える必要もなく、私は噴き出しかけるほど笑ってた。


 *


「俺、自分で歩いてた?」

「まあまあです」

「まあまあか……」


 酔って眠った彼を、どうにか送った道。タクシーを降りて階段を上り、彼を支えた通路。


 一緒に住むには、空上さんのお母さんと話さなきゃいけない。すぐに行こうと言ったのは、私。


「ふう」


 自分の家のドアを開けるのに、彼は声を出して深呼吸した。

 今日は土曜日で、お休みのお母さんに連絡はしてある。家の中から、掃除機の音。悪いなあって、私も彼の真似をした。


「ただいま」

「まひるちゃん、いらっしゃい!」


 ドアを開けるなり、お母さんは掃除機を投げ出してこっちへ。抱きつくのかと思うくらい勢いよく、私の目の前へ駆け寄った。


「ハレくん、お帰りなさい」

「うん。まあ上がらせてよ」


 空上さんのお母さんは、息子にも優しい声をかけた。にこにこ通せんぼなのを、彼は無理やりに通り抜ける。


 ベージュのスニーカーを脱ぎながら、台所を見回した。前にちらっと見た時より、かなり片付いてる。

 冷蔵庫や水屋に貼ってあった、町内会のチラシみたいな紙。水道業者さんのマグネット。


 冷蔵庫の足下にあったジャガイモ。玄関の目の前にあった、通販カタログが刺さったマガジンラックも。

 すっきりなくなってた。


「やっぱり可愛いわあ」

「あの、ええと。ありがとうございます」


 座ったテーブルの対面から、じいっと。覗き込むように言われると、顔を伏せるしかない。


「母さん、困ってる」

「あら、ごめんねえ。だって可愛いし」


 嬉しいけど。こうなると、できるのは愛想笑いだけ。赤くなった顔を、出してもらったお茶でごまかす。


「もう結婚のこと?」

「早いって」


 最近の親御さんは全員、子どもの結婚に何の抵抗もないのかな。反対までしなくても、寂しいとかあると思うけど。

 もちろん私自身は、歓迎されてるみたいでほっとした。


「母さんに相談があるんだよ」


 さっそく彼は切り出した。ここへ来るまで、あれこれ話したことを。

 お母さんも一緒に住むなら、それもいいと私は言った。だけど空上さんが、いやちょっとと保留した。

 もしそうなるとしても、お母さん自身の意見を聞き、私の両親とも話してからと。


「相談? あ、そうそう。お母さんもね、ハレくんに話そうと思ってたんさ」

「え、何を?」


 お母さんが何を言い出すのか、何となく予想がついた。しかし私に、何とも言えない。


「群馬にさ、帰ろうと思って」

「はあ? 何で突然そんな」

「そりゃあハレくん一人じゃ、ごはんも心配だいねぇ」


 もう問題ないだろうと、お母さんは私を見た。咄嗟に頷き、笑ってくれたのにまた頷く。


「一緒に住むって言うの、分かってたってこと?」

「でなきゃハレくん、お母さんに彼女紹介するとか言わないでしょぅ」


 嘘だ。お母さんは少し前から用意を始めたはず。息子がいつ、巣立つと言い出してもいいように。


「まひるちゃん。ハレくんねえ、寂しがりだから。頑張れとか、声だけかけてあげて。そしたら元気に働くさ」

「いや母さん、それじゃ追い出すみたいじゃん」

世話ないかまわないって。おじいちゃんの畑もあるし」


 もう決定事項のように、お母さんは言いきる。たぶんご実家にも話してあるんだろう、空上さんも「母さん……」と黙ってしまった。


「だいじだいじ! 二人で遊びにないね」


 お母さんは空上さんの手を取った。次に私の手を。重ね合わせ、その上に自分の手を乗せる。


 ――何でこんなに優しく笑えるの。

 母親って凄いなと、なぜか目の奥が熱くなった。


「行かせてください。ね、空上さん」

「あ、うん――」


 言って、頭を下げた。すると彼も。


 *


 二月十六日、水曜日。お休みを合わせ、私と空上さんは一軒のアパート前に立った。

 彼がお母さんと住んでた家から見ると、秋革駅を挟んで線路の反対方向。スーパーアルファスあひるの店までは、歩いても二十分。


 私と彼の荷物を載せた二トン車が、後部扉を開く。引っ越し業者さんは、手早くあちこちにプラダンを張り付けていった。


「いいとこあって、良かったねえ」

「き、今日からですね」


 搬入準備が済むまで待ってると、真由美の乗る車が見えた。手伝うと言ってくれてたから、私は手を振って迎える。

 赤い車は、彼女のお母さんの愛車だ。


「あれ?」


 彼も気付いて、怪訝に首を傾げる。何を考えてるか何となく分かって、笑いを堪えた。

 私たちの目の前に、ダイズルーカスがぎゅぎゅっと止まる。


「お手伝いに来ましたよー」

「ありがとー」


 先に助手席から、真由美が降りた。ニヤニヤ笑って、でもそれ以上言わずに私とハグする。


「ええ? 何で真由美ちゃんが――」

「どうも、田中真由美です」

「はあっ?」


 まだ呑み込めてなかった空上さんに、真由美は核心を伝えた。ぎょっと目を丸くした彼は、私を睨む。

 でも知らん顔だ。私だってアルバイトで行くまで、真由美のお母さんが居るなんて知らなかった。


「空上さん、やほー」


 頃合いを見計らったように、運転席のドアが開く。彼と私の勤めるスーパーで、彼が呼ぶところの田中さんが素知らぬ顔で降りた。


「何だかねえ……察しがいいなあとは思ってたんですよ」

「でしょ。あたし、奥ゆかしいから」

「はいはい」


 これから荷物を運ぶのに、空上さんはどっと疲れた顔をした。

 驚かせようと言われ、この二週間はつらかった。あくまでも初めて知り合った田中さんとして、会話してたから。

 さすがに悪かったなあと、背中をさする。


「ごめんねハレさん」

「いいよいいよ。田中さんの陰謀でしょ、仕方ない」


 肩をぎゅっと引き寄せられた。手のひらがぺちっと、腕を叩く。お仕置きされた。


「お待たせしました。荷物を運んでもよろしいですか?」


 引っ越し業者さんが、もう荷物を降ろし始めてた。中の一人が目の前へ来て、元気に叫ぶ。


「ですね、お願いします」

「では家主さんは、家の中で搬入場所を指示願います」

「ああ、そっか」


 運ぶ気まんまんだった彼は、拍子抜けという風に私を見る。


「私だけでもいいけど、ハレさんも居てくれたほうが……」

「いいよ、外はやるから」


 彼の荷物の細かいことは分からない。家具の置き場も相談してるけど、置いてみてやっぱり違うってことはあるだろう。

 不安を言ったら、真由美もいいと言ってくれた。


「分かった。一緒に行こうよ」

「はーい!」


 出してくれた手を握り、同じ歩幅で歩き始めた。私たち、二人の居場所へ。二人で進む人生の、出発の場所へ。


 ―― 一緒に居ようよ  完結 ――

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一緒に居ようよ 須能 雪羽 @yuki_t

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